作品を観るタイミング
昨日、岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』を鑑賞した。
「誰でも書きこみができるネット掲示板を用いた小説」というかなり先鋭的なコンテンツが原作というこの映画。劇中でも人物たちが動いている中で、架空の掲示板に書かれている内容がとめどなく流れるという演出が使われており、映画の文学的要素を色濃くしている。
ちなみにタイトルにもある「リリイ・シュシュ」というのは架空のアーティスト名なのだが、岩井監督が『スワロウテイル』で描いたバンド、『YEN TOWN BAND』同様、リアルの世界でも音楽ユニットとして活動もしている。
特にリリイの唯一のフルアルバム、『呼吸』は絶品だ。誇張かもしれないが世界に通用するサウンドじゃあないかとさえも勝手に思っている。
一本の映画の中で凄いもんをこしらえるものだ。
そんな多くの見どころがあるこちらの映画なのだが、
正直な感想としては、
「思ったよりは」だった。
いや、かなり良い映画だったと感じたのだが、これまでに観た同監督の作品よりは、少し感動が薄かったのである。
この映画で描かれているのは、中学生たちの青春や葛藤のリアルな部分である。いじめ、恐喝、万引き、強姦、果ては殺人までが
過激に、そして丁寧に…
更に、当時まだ日の目を浴び切っていないであろう市原隼人、蒼井優といった豪華俳優たちによる繊細な演技が作品のテーマを助長させる。
とここまで文字で説明して伝わり切ってない部分が多々あるとは思うが、とにかく完成度が高く、素晴らしい映画なのだが「刺さる」までには至らず。
「あぁ、中学生って、まあこういうこと考えてるわなぁ」というような心持ち、どこか俯瞰で観てしまっていた。
感情移入しきれなかった。
登場人物たちと現在の僕とを重ねきれなかったのである。
我ながら中学生時代には多くの思い出を作ったつもりだ。何なら劇中に出てきたものよりは軽いけれども、「いじめ」に近い行為も受けたこともある。感情移入可能な材料は、あった。
しかし、僕が中学生だったのは、もう10年以上も前である。
「学校」というところを離れてから長い間が経ってしまっていた。
作品が「刺さる」にまで至るためには、自分が培ってきた経験と作品とがどれだけシンクロするかも大事だが、人生の中でいつ作品に触れるかというタイミングも大事なのだと思う。
僕の「映画オールタイムベスト」の中に何時如何なる時でも食い込んでくる作品が『トレインスポッティング』だ。
斬新かつスタイリッシュな映像と共に流れるテクノやブリッドポップの名曲、スコットランドのおしゃれでリアルな描写など、作品そのものがロックとも呼べるカッコええ映画である。
そしてこの映画には、内容という内容は特にない。
ただただ先が見えないヤク中の青年たちの様子が描かれているということに完結している。
金もないのにドラッグをやる、世間体から見ればド底辺の野郎たち…
だが、彼らはどこか人生を謳歌しているような気がした。
少なくともこいつらは、そんなどうしようもない人生を、楽しんでいるようにも見えた。
そんなどうしようもない奴らを描いた作品を初めて観た頃の僕は、
どうしようもないニートだった。
夜中の4時に寝て朝は11時か12時に起床。飯は渋谷のマックで食うビッグマックセット一食のみ。後はひたすらゲーム、アニメ、自慰行為。ヘロインこそないものの、人生で最も体たらくな生活を送っていた。
映画の中のユアン・マクレガーと僕が、大きくシンクロしたのである。
ニート時代にこの作品によって揺らされた心の振れ幅は、人生の中でも最大風速に近いものだった。
この作品はもう4回も5回も観ているからか今でこそ「衝撃」と呼べる感覚は持てないものの、心のどこかにあの感覚が残っているのだろう。年に一度は観たくなる。
観るタイミングって、そのくらい大事だ。
今回観た『リリイ・シュシュのすべて』ももしかしたら僕が中学校の記憶が新しいうち、せめて高校生の時に観ていたらもっと刺さったのかもしれないが、時既に遅しといったところか。人生でこういった虚しさを感じたのは初めてかもしれない。
今後観たい歴史に残る傑作だったりを漁るのも良いが、今最も刺さるものを逃してはいけない。孤独な人間、足掻いている青年などを題材にしたものを優先的に鑑賞し、家族をテーマにしたもの、例えば『ゴッドファーザー』とかはもっと後の方にとっておこうと思う。
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