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恐怖の対象に関する情報はゼロであってくれ

先日、Netflixで兼ねてより気になっていた『マー ―サイコパスの狂気の地下室―』を鑑賞。

未成年だけと飲酒がしたい!という高校生たちが代わりに酒を買ってもらうために通りすがりの黒人女性に声をかける。そして彼女は酒を買ってくれただけでなく、自分の住んでいる家の地下室を隠れた宴会場として使ってもいいと申し出た。高校生らは「最高じゃねぇか!」と喜ぶのだが、この女、何かおかしい・・・とあらすじとしてはこんなところ。

正直な感想としては、うーん・・・といったところか。時間あったら見たらいいんじゃない、という感じ。万人に強く勧めるというほどでもないかな。

こういう感想になったのは、「ホラー映画の類なのに、そこまで怖くなかった」というのが大きな理由だろう。これはガッツリ怖がらせるというよりは、怖いとされる対象の暗い過去やトラウマといった部分にもスポットが当てられていたことが大きい。シンプルにヤバいやつが狂気的行為をする、というだけで完結していなかったのは監督のそういった意図もあるだろうし、なかなか斬新な切り口だったのでそれはそれで良かったが、僕がその時求めていたのはスティーブン・キング原作の『ミザリー』的なものだったのでちょっと肩透かしを喰らった感じだった。

そして、僕が『マー』を心から怖がれなかったもう一つの大きな理由がある。

それは、

恐怖の対象が、知ってる俳優だったからだ。


これは僕に限った話なのかもしれないが、ホラー系統の映画で恐怖の対象となるものを演じる俳優は、全く知らない俳優であってほしい。対象に対して完全に「得体、素性が知れない」、という状態でないとしっかり怖がることができないのだ。ホラー映画の発表会見か何かで、幽霊役の方が「いやぁ、ちょっと恥ずかしかったですねぇ」なんてのを聞いた時点で僕はアウトだ。


『マー』でヤバいおばちゃん、スー・アンを演じたのはアメリカの女優オクタヴィア・スペンサー。目立った主演こそないものの、数々の映画やアメリカンドラマに出演している方なのだが、僕は以前彼女が出演する作品を鑑賞していたのである。

『シェイプ・オブ・ウォーター』

怪獣オタクでもあるギレルモ・デル・トロ監督が2018年に発表した作品。言葉を話せない冴えない女性と異形の生物の純愛を描いた作品で、数々の賞を受賞している。

この主人公である女性の数少ない職場での友人とも呼べる女性を演じたのが、『マー』の主演、オクタヴィア・スペンサーだったのだ。『シェイプ・オブ・ウォーター』では、大変懐の広い、寛大な女性を演じており、それが記憶に強く焼き付いていたのである。『マー』でどんなに奇妙な行動、言動を彼女がしたとしても、「いやでも、『シェイプ・オブ・ウォーター』では優しかったしな・・・」が恐怖を少しかき消してしまうのである。


数年前に青年が子供の幽霊を従えて悪い大人たちを懲らしめるという、『こどもつかい』という映画があった。

鑑賞はしてないのだが、僕が観てもおそらく微妙な感想を抱いてしまうだろう。なぜならこの映画、主演は滝沢秀明。「あっつっくビィーナスッ!」でおなじみのジャニーズイケメンあんちゃんである。彼が怖がらせにきたとしても、「いや、タッキーやんけ」が勝ってしまうような気がする。『呪怨』の清水崇監督が手掛けているところから、一つ一つのポイントの見せ方は上手いのだと思うが、怖さのレベルをマックス10としてレベル10で怖がることはできないと思う。


あ、でも『こどもつかい』、門脇麦出てんのか・・・やっぱ観よかなw

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