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ヤバくない、”ヤバい”

現在オーストラリアに在住している筆者だが、ある日知り合いの日本人の方にサーフィンを教えていただく機会があった。運動音痴である僕はそこまで楽しむことができなかったのだが、一緒に来ていた初対面の日本人の男性は非常にハマっていたようだった。

その時に彼が言った言葉が、

「ヤバい。マジヤバい。」

であった。


・・・


いや、


ヤバくないだろ。


富士山の火口のマグマの上でサーフィンをしただとか、サーフィンしてたらサメがやってきて片手食われたけどうまい具合に止血できてその食われた方の手でサメを殴ってサメを追い払ったとかならヤバい。特に後者はヤバい。愚地独歩だもん。だがサーフィンはレクリエーションである。溺れて死にそうでもない。サメに襲われてもいない。つまり、別にヤバくはない。


同年代と僕とのヤバいという言葉の捉え方には違いがあるようだ。


やばい
別表記:ヤバイ

(1)危険または不都合な様子。状況・具合が良くないさま。
(2)非常に興味をひくさま。大変面白いと感じる様子。
(実用日本語表現辞典)


元々危険な状況を示す言葉である「ヤバい」だが、近年では「すごい」「素晴らしい」という意味でも使用されるようになった。10代から30代、場合によっては40代の方々も、肯定的な意味の「ヤバい」を使用しているのをよく耳にするところから、(2)の意味もかなり浸透しているように思われる。英語だと「nuts」っていう言葉に一番近いのかな。

しかし僕は、このヤバいという言葉が用いられる際には、緊迫感や狂気といったえげつない要素が含まれていないとどうも気が済まない。

だってヤ、とバ、だぜ。響きが爽やかじゃない。大体聞いてて響きの悪い言葉というのは意味も良いものではない。Fで始まってKで終わる四文字の英単語だって英語を全く知らない人でも直観であ、悪い意味だなと分かりそうなもんだ。いや、、、でもスペイン語で言うところのファックであるプタマドレはスーパーで売ってる外国の遠足で定番のお菓子みたいな響きだな。うーん、ダメだ。ちょっとこの論法は一旦ゴミ箱ポイポイのポイです。ウソですアイデアはとりあえず貯蔵しときます。役に立つときがくるまで。

少し脱線してしまったが、「ヤバい」の発祥はどこか気になったため語源を調べてみた。すると次のようなものを発見。

ヤバいのヤバ、とは、元々「厄場」という言葉から来ている。この「厄場」というのは、江戸時代における牢屋、看守のこと。犯罪者たちがそれらと関わるような危険な状況に陥りそうな時、隠語として用いられた「やば」、というのが形容詞の形となり、「ヤバい」となったということである。犯罪者の、隠語。聞いててあまり気持ち良くないはずだ。これを調べる前からこの言葉が持つ粗悪なイメージは薄々感じてはいたが、やはり元来良くない意味合いを持っていたのである。


とここまでこの言葉についてあまり良いイメージを持っていないことについて話したが、場合によっては人やモノの偉大さを表すのに、「ヤバい」を使用するのがベストな場合も存在すると思う。

私が最も尊敬しているミュージシャンである向井秀徳が、落語家の立川志らく師匠と対談している動画である。数々の楽曲を通して唯一無二、独自性の強い詩を手掛ける向井。日本の誇る言葉のスペシャリストの一人、だと僕は勝手に思ってる。ここで向井は、立川談志について以下のように述べている。

子供の時からちょっと、ある種の、恐ろしさっていうかですね、そういうものを感じてたんですね。
まあもっと簡単に言うと、ヤバさ。あ、ヤバいなこの人っていう。

言葉を選びつつも最終的に出たのが、「ヤバい」。立川談志という人間の凄みや恐ろしさ、狂気といったものを表すのに最も適した表現だと思ったからこそ、使った「ヤバい」。だったと思われる。


時代と共に意味が変化してゆくのは言語の性であり、仕方のないことなのかもしれない。

それに言語の意味だって元々どういう意味だっけ?ということを常に毎度毎度考えていたんじゃキリがない。

だが、考える余地があれば考えるべきだと思う。そしてこれは僕の持論にはなるが、言葉元来が持つ意味のポジティブ、ネガティブな要素というのは、時代を経ようとも付きまとう、ように感じる。だからこそ安易な「ヤバい」に少し嫌悪感を覚えてしまうのだ。言葉は受けた人を動かし、発する人を支配する。

一つ一つの言葉の意味を考えず、流行り言葉を流行りだから、という理由で思考ストップ状態で大勢が使用する、それは、なかなかにヤバい時ではないかと思う。

そしてこんな記事を書いている俺は将来「最近の若い連中は・・・」とほざく老害予備軍なのかもしれない。それもまたヤバい。

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