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417/1096 【持論】男女仲良しの秘訣

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で417日。
(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

417日目、毎日のように雨が続く。一度ひどく降り始めてしまったから、空が降り止みかたを忘れてしまったのだろうか。なんだか一度ハマったら抜け出せないネガティブ思考のようだ。

雨の日に気が滅入るのは仕方ないとしても、そんなときだからこそ、家の屋根と壁に守られていることを面白く思う。

神奈川にも30センチを超える積雪がよくあるが、子供のころにその雪で小さなかまくらを作って中に入ってみたことがある。そのときに、なにかの中にこもるというのが自分にとってものすごく快適で喜びを感じることなのだと知った。

自分の周囲が外から隠され守られていて、説明不可のワクワクがあった。中にはほんわかとした暖かさがある。なぜかその状態がすごく面白くて、その中に食べ物などを持ち込んで過ごしたいと思った。あのとき、好きな形の家を造ってみたいと思ったのを覚えている。わたしはその後も、ダンボールなど子供にも手に入る素材で、繰り返し基地を作って遊んだ。その度にいつも同じ「こもる喜び」を感じることができた。

雨や雪が降る中で家の中にいると、あのときの「こもる喜び」の体感を思い出す。いや、思い出すのではなく、今もそれを感じる。なんだか温かい気持ちになるのだ。今日はそんな気持ちで書いてみよう!

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夫がブロードを作る準備をしている。ブロードとはイタリア料理で使われるダシのこと。野菜だけのブロードのほかに鶏肉や牛肉を使ったものなどがあり、わたしたちは寒い時期になるとこのブロードを大量に作って、細かいパスタを入れて煮たものを頻繁に食べる。

我が家では現在夫が料理当番(+皿洗い当番+ゴミ仕分け当番+ゴミ捨て当番+暖炉管理当番+子供の送り迎え当番+ダメだ書ききれないが洗濯以外のすべて)となっていて、それがすっかり定着している。わたしはそれをほんとうにありがたいことだと思っている。むぉのっすごく幸せだ。

結婚当初、家事当番はわたしだった。自然とそうなった。男が仕事をしているから女が家事をする、という有名な方程式(※)に則って、なんの摩擦もなく暗黙のうちにその担当になったのだった。

※X−(男Y)=女Z
このXにすべての仕事、という値を入れたとき、Yにお金を稼ぐ仕事という値を入れると、Zに出される家事などの残りの仕事が必ず「女のやること」という値になる不思議な方程式である。

なぜこの逆転劇が起こったのか。わたしはこのことをよく聞かれる。でも、わたしはこれを狙ってそのために何かをしたという覚えはなく、夫婦間の和平の元に自然とこうなったのだ。

わたしはこれをお世辞を言うなどして実現しようとしたことはない。夫が食べ物を作ってくれることをほんとうに嬉しく素晴らしきことだと思うけれど、味についての感想を偽ったことがただの一度もない。

味が気に入らなければ、ウエ…わたしはこれ好きじゃない、塩味がない、口に合わない、不味い、などと言う。食べたくなければ一口でやめる。

作ってくれた心に対しては窒息するほど抱きしめたい気持ちが湧くから、その思いをそのままに、撫でたり撫でたり撫でたりして褒め称え腕を組み飛び跳ねて幸せと感謝を表すけれども、それと味とは別である。
食べて合わなければ、いきなり無表情になって手を止める。そんな鬼嫁であった。いや、鬼嫁である。現在形で書かねばならぬ。

そのかわり、美味しいと思ったときにもそれをそのまま表す。「ウワッすっっごーい!えッなにこれ天才?!いやーヤバいマジ美味しい!ガツガツモグモグフガフガ、ごちそうさまー!ハァあなたってすごいのね、あたし超幸せゲフッ」(※)みたいな感じである。

※この台詞はフィクションではなく、実在の人物の架空ではない発言をそのままに記録しています。

夫はきっと、顔には出さずとも、わたしが不味いと言えば闘争心がわき、美味しいと言えば承認欲が満たされていたのだろうと思う。彼はそれらを顔に出さないけれど、わたしはそれを気にしない。なぜなら、わたしが男なら、やはり同じようにそれらを顔に出したいとは思わないからだ。だからわたしはそれを放っておく。(それからわたしが男なら、「本当はどう思っているのか」を言葉に出せと追求する女とは一緒にいたくない。俺の行動を見て欲しい。カッコつけさせてくれよと思う。言い過ぎに見えるかもしれないけれど、話し合いをしたがり、こちらに正直になってほしいと言う女は面倒で煙たくて可愛くない。

それからわたしが男であったなら、口に合わないのに我慢して食べてもらうのが一番ツラい。悲しいし力が抜ける。俺を信じてくれよと思う。偽りの笑顔なんか欲しくないのさ…!だから、正直な鬼嫁に逆に安心する。

そして偽らずに済むぶん、わたし側にストレスはない。そのためかどうか、わたしたちは一緒に暮らして9年目の今も、新婚かよ!という仲の良さだ。チャーミーグリーン的な…!(古杉)

これはわたしの持論なのだけれど、男女が仲良く付き合おうと思ったら、男はどこまでカッコつけて痩せ我慢をしてもよく、女性は偽りを表現しないのがよいのだと思う。男と女はその点で反対なのだと思う。

女が男の本心を暴こうとせず、男は女に我慢を強いないのがおしどり夫婦の秘訣なのだと思うのだ。

男が好きなだけ武士ぶってヒーローぶってカッコつけられる空気、女が無邪気奔放でいられる空気は、ちょうどひとつになって、カップルを家庭内ヒーローと家庭内ヒロインとにしてくれる。そしてその間に慈愛とロマンスを生み出すのだとわたしは思う。

長くなってしまったけれど、それは女が「男の言葉を気に留めない」「男の行動を信じる」のがベースとなっているように思う。次回はそのことについて、書いてみよう!
それではまた、明日ね!



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