456/1096 幸運感染目的御礼投稿
吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で456日。
(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)
456日目、イタリアに住んでから、知らぬ間にクリスマスから新たに一年が始まるような感覚に変わってきている。そして、大晦日から元旦にかけての感慨深さが徐々に薄れてきてしまった。日本にいた頃は、お正月が一年でいちばん大きなイベントだったし、なによりあの雰囲気が大好きだったのに。
この毎日投稿を読んでくださっているお方というのは、活字好きなのではないかと勝手に想像している。わたしはいつも長文を書いてしまうし、内容もクドクドと言いたい放題だから、そもそも文字を追う作業を好む脳と心をお持ちの方でないと読むことができないと思うのだ。
そういえば、昨日のクリスマスで、自分がこのnoteにあげた記事(自伝、裏自伝、この毎日投稿)すべてを合わせて500記事目だった。すごい偶然!
昨日からまた新たな一年が始まったような感覚があるから、心機一転、「活字好きな方が読んでくださっている」という勝手な前提に自らくつろいで書いてみようと思う。また次のクリスマスまで、毎日の投稿が途切れることなく続きますように!!
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気がつけばこの毎日投稿も読者さまが1万9千人に達する目前で、それが心からありがたかったので、今日はお手紙風の、幸せが感染する運の良い投稿をしてみようと思います。読むうちに、あまり実感なくとも脳波が幸運に感染するようなイメージです。長いけど、心を開いて、読めるだけでよいので読んでみてね(笑)
素敵なみなさんは、昨日のクリスマスはいかがお過ごしでしたか。わたしは、夫の作ったあまりできの良くなかった昼食を食べて、「不味い」と言って食べたくないものを残し、夕方には母を連れて隣町のメストレの有名なプレゼペ(クリスマス飾り)を見に行って涙して、それからわたしの作った極美味の牛のラグーのフジッリを食べて、ちょっと体調を崩した母のお世話をして、夜は少し仕事をしてから眠りました。プレゼペを見に行ったことを除けば、普段とあまり変わらない一日です。
一般的な感覚で言えば平々凡々な一日。そんなクリスマスの昨日、自分は何度笑って、何度幸せだと感じただろう?と思い返してみると、自分は夫と
「ちょっと・・!穴の空いた靴下は捨ててくんろ」
「外猫用の小屋に防寒具として古布と一緒に入れてあげるんだ」
「これは猫だって要らないよ、猫用にもっとマシなものあげるよ!」
「猫はきっと好きだよ」
「もっと好きなのあるよ!もっとどんどん良いもの使おうよ!」
「わかったよ」
「もう目を覚ましてよまったくもう!」
と会話をしているときも、母と
「お、おい、おっ母、こごは金属とガラスのゴミ入れだ、こごさは紙っこは入れられねんだ、紙っこはこの黄色の箱だ」
「いや~ささささ、間違ぇだ、バガだな俺」
「バガなんじゃねんだ、覚えられねど思い込んでるがらだべ、大丈夫だ」
「いや、バガなんだww」
「まあな、そがも知ぇねどもww」
と話しているときにも、娘と
「部屋片付けてくれないと掃除ができないよ」
「やるよ今」
「前回の『今』は一ヶ月前だったがなあ」
「今やるよ」
「今やってないし」
「見てるからだよ」
「なんて言い方だ・・!おのれ!」
「うるさいなあっちいけ」
「ふん、キッチンから透視して見てるからな」
「www」
と話しているときにもずっと、いつもどおり、心のどこかがあたしゃ幸せもんだと知っていました。
でも、それに理由なんかないのです。無理やり言うと自分が生きていて、欲深いことを言えば家族が生きていて、それだけでもう幸福なんかとっくにそこにあると思って、そこにあぐらをかいて、調子に乗ってすっかりいい気になっているのです。カクテルを飲みながら寝転がれるサイズのきんと雲(特大)に乗っているイメージです。
未来の幸せは、今なにかを我慢することによって準備することができないものなのです。これほんとに!我慢の今が、我慢の未来を呼ぶんですから。今の満足は、未来の満足を呼びます。とてもシンプルな法則です。
もちろん、自分はあとでぶっ転んでもいいという覚悟も、マジでもっているんです。自分は必ずなんとかするということを、当たり前のように信じています。
壇珠さんはヤバい状況になったら、いきなり両口角からカニ様の泡を吹きながら血眼で頑張ってくれ、そこに面白みも見出してくれる気がするんです。外角ギリギリの球を大外から無理矢理に巻き込んで、たとえボテボテでもいいから時空を曲げてまでなにがなんでもヒットにする変な魔太郎的底力がある気がするんです。そうして食べ物を得て生き延びる気が・・・・!
それに、なにがどうであれ、ボロボロのトレーナーを着て階段を駆け上がってガッツポーズができれば、本人はそのドラマに満足すると思うんです。だからそんな変人の壇珠さんに全部丸投げすればいいと思うんです。アリとキリギリスのお話で言えば、キリギリスのように生きてみたい・・・今が良ければいい、を極めているキリギリスがかっこよくて好きです。
特別なことにばかり幸せを見出すのは、幸せを求める心というよりも、とめどない成功欲ではないかしら。それは人の心でドラッグ的な働きをするものではないかと思うんです。一発なにかキマっちゃうと、そのスリルと強烈な喜びがまた欲しくなるのではないかしら。
そうすると、その瞬間以外の普段の生活は「退屈な、とくに幸せではない時間」となってしまいますが、それは人生を幸せにするのでしょうか。
人生の時間って見方によっては超貴重で、そんなぞんざいな扱いを受けるのにふさわしいとは思わないんです。
わたしはこの平和な毎日に、とてもエキサイティングな要素があることを知っています。なんか英語から直訳した文章みたいになってしまいましたが、それがなにかというと、生きているという、この「感覚が存在する感覚」です。そこのあなたも持っている、その圧倒的な、あなたの生きて存在している感覚そのもの、ですよ・・・!(コソコソ
これがまず大声では言えないくらいにヤバいと思うんです。そのため、他者を見ても勝手に、「聞こえますか、、わたしは心で君に話しかけています・・・!君は生きていますね・・・君がそれをどう思っていようとも、わたしはそんな君をすごいと思います!!」と思っています。
目なんか見えちゃってさ!!それが自分にとっては「幸せって消えてしまいそうで怖い!」ってくらいに幸せなことなんです。それにそのうちほんとうに実際、この見える幸せって消えてしまうものですしね。うおおおおおお!!だからなおさら、貴重です。
それでさらに空間移動もできちゃったりしてね、大概にしろと思ったりするんです。デビッド・カッパーフィールドかよと。ハアッ・・なんかもう、ウチらどうしたらいいのでしょうね。どこかに恩返ししないといけないような気にまでなってきますが、どこにすればいいのでしょう。それすらわからないんですよね。ウウ・・
それで、あれこれすごくて、わたしたちはもう生まれつき天罰級にわがままが叶っていると思うので、今更どこに遠慮しても仕方がないと言うか、じゃあもうどうせわがままに生きるしかないなら、わがままをさらしていればいいじゃん、と思うんです。
これがね、わたしにとって、「少しでもわがままにいてみよう」みたいな、「自分軸を持とう的挑戦」じゃないんです。それは自分がやるととても大変そうで、失敗に終わりそうです。
そういう、足りないという意識を基準にしたチャレンジではなくて、もう俺らはめっちゃわがままで、しかもそれが叶っちゃってるんだと知るほうがわたしは好きです。その、うっわ!自分バカかよここ楽園かよ・・!という、すみません自分が愚かでした~!!すでにわがままでした、今更わがままじゃないと思われようって変でした、だからやってみたいことはなんでもやります、はい、喜んでー!という感じが好きです。
もともとどっち向いてもわがままがとおっていて、実は完全に満ち足りていたのだから今更どこに遠慮するのだろう、という感覚です。苦があるほどの自由が叶っちゃってるんだもの、すごいこっちゃと思うんです。
だから、わがままになってみる、って、よく見りゃすでに絵の具まみれなのに、ええい!ここはもう、いっちょ絵の具で汚れちゃえ~!って言っているみたいで変な感じがしてしまうんです。どうせ幸福まみれだからもう破れかぶれなんです。それこそ変な言い方になってしまうけれど(笑)
それで、自分はつい、すみませんすみませんこのような奇跡を享受いたしまして、人生に文句のつけようもございません、どっちを向いても大丈夫でした、どんな文句を言ってもいいほどに!と思ってしまうわけです。ほらぁ~壇珠さんはいいやつでしょう?(死ね
それなのに、さらに外には太陽があって、昼ばかりじゃなくて星の出る夜もあって、星が小さいとつまらないからといって月まであって、さらにさらに、ここは奇跡の青い星の表面で、宇宙空間のど真ん中なのですよね、どうすればいいんでしょうね。書いていて申し訳ないほどで、懺悔すぎて「死にましょうか?」と思ってしまいます。え?ほんとうですよ・・・!そのために自分にいつも死の覚悟を迫っています。でも、これがなかなか極めきれない課題です。
地球で三次元体験をできる方というのは限られていて、時間限定・地球ツアーの体験が許されているのは特別会員魂さまのみなのです。地球ツアーを体験するには、会員証となるものが必要なのですが、その会員証が、生きた人体です。会員証がそのまま地球ツアー用のモビルスーツとなっていて、酸素を取り込んだり老廃物を排出したりなどの機能が備わっているのです。それがなくちゃ、わたしたちはこの惑星の大気圏内に存在することができません。なんとドラマチックなことだ・・・・!涙 あなたもですよ、あなたもその体験真っ最中のユニークな存在です。
わたしの甘~~い甘~~~い、先日夫がイングリッシュマーケットで買ってきた安いマロングラッセのように甘~~い基準では、この生きているという体験が叶っているだけで、もう自分は幸福ということになってしまっています。
わたしにとっては、誰がなんと言っていようとも、これこそがザ・自分愛なんです。自分に好きじゃないところいっぱいだけれど、生きてるのがまず偉いじゃん。という感覚で生きています。なかなかいいものなんですよ!世界がバラ色バラ臭バラ味バラタッチになります。バラ肉のことじゃないですよ?薔薇ですからね薔薇。
でも、だからといって、生きていられれば自分を開花しなくていいという意味ではないんです。生きていられれば幸せだから、開花してみたくて動くときに失敗してもいいんだ、という感じがします。どうせ幸せなくせにゴタゴタ言ってんじゃねえと自分にいつも発破をかけています。
そんな気持ちで、年末を平和に気分良く過ごしています。ホコリ取りとお風呂が面倒だなと思ったりしながら、家の中だからってパジャマのままで仕事に夢中になったりして、読者さんにこうして話しかけて、自分と家族とみなさんと知らない人と動物との安楽な幸せを、力のかぎり祈っています。
というわけで今日は、みなさんへ日記風のお手紙で、わたしはとても平凡でどうせ幸せだからキリギリスに憧れています、それもなかなかのバラ色ですよという感覚を、力強い空気感染力を込めて暑苦しくシェアしてみました。長文ゴメーン!!それではまた、明日ね~!!
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□このレッスンで期待される成果□
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・視野が広がり明るくなる
・重力と調和して立ちやすくなる
・深い呼吸ができる身体になる
毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)