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671/1096【幸運を呼ぶ】我慢と戦わない方法

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で671日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

671日目。フフフフ、高い、高いよ・・・!なにがって、気温がさ・・!
暑くて身体がペタペタしてくる。わたしは暑さを感じるのがとても好きだ。

身体感覚というのはとても面白くて、たとえば走り始めるとあるところまではとても辛いのに、それを超えると急に辛さがバッサリと減るポイントがある。暑さもそうで、暑い暑い・・・!と思っていてもあるところでふと快感に変わるところがある。

これは注意しなければ過労になったり熱中症になったりする原因とも言えるけれど、人間の色んな面を表している反応で、奥深いことだと思う・・!

常識の範囲内でのことだが(これが大事ですね)、暑さは苦しみでしかないという思い込みに囚われたまま、ウダウダと文句を言っているあいだは不快でしかないのだけれど、暑さよ来い!とこちらから挑みかかると体感まで変わるのが面白い。快感ポイントは、探し始めるから現れる。

日常の範囲ではもちろん暑さに十分気をつけなくてはならないし、自分を過不足なく観察して危機管理をすることは何より大切だけれども、体感と心のありようがつながっていることを把握し、さらには便利な範疇で使うことができると面白いと思う。本当に興味深い!

たとえば銃弾を受けたときにも、銃社会のアメリカでは人々が銃や銃創について考えることに慣れているために生き延びるケースが多いのに比べ、銃を身近に感じることのない日本人にとっては、致命傷とは言えない傷で亡くなるケースも多いのだそうだ。これは、銃弾を受けた!というショックが身体にも影響しているのだとか。銃というものが、日本人にとってはあまりにも慣れ親しみのないもので、銃で撃たれるというのは想定の範疇にない強烈なインパクトをもたらすということだろう。

暑いのは絶対的に辛いこと、という強い反応の代わりに、暑いのも意外と気持ちの良いことなのかもしれないぞ?という穏やかな心持ちで、ちょっと冷房を控えたりあえて団扇で過ごしてみるなどすると、夏を風流に思う感覚に出会えるかも・・!これは、暑さだけではなくていろんな問題に対して応用できることなのだと思う。

ささ、今日は暑さを楽しみながら、書いてみよう!

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みなさんは生活の中に嫌なことや辛いことや切ないことがありますか。
わたしには、いろいろとあります。

イタリアのAmazonで買い物をしても、予定通りに届きません。
掃除しないとホコリがたまるし。
夫が義両親と仲が悪いし。
両親は老い、夫や前夫やわたしの身体も老います。
いちばん近いスーパーで果物を買うと古いし、、
事務的なことで失敗したりもします。

ちょっとしたことからとても切ないことまで、わたしはそれぞれが苦と呼べるものだと思います。

それでね、最近まで「嫌なことは我慢しなくていい」という流行というか、流れがありましたが、皆さんはこれについて、どんなふうに思いますか。
その流れはとてもいいもので、自分を大切にするために意識すると効果大なことですよね。無用な我慢や忍耐はする必要がないと、わたしもたしかに思います。

けれども、その大きな流れによって、どんな小さな我慢にもアレルギーのように反応する人がチラホラ見かけられることがよくあります。
どんなわがままも言わなくてはならない、言えないといけない。どんな小さな「不快」も見逃してはならない。そうして、いつも機嫌よくハッピーでいようとするべきだ・・・

けれども、そのような矯正をかけようと頑張ることことでかえって苦しんでいる人や、現実との折り合いがつかなくなってしまっている人が少なからずいるのです。

そのことで苦しんでいる人はきっと「我慢をする=幸せではない」、という関数を信じている状態だと思うのです。
X=Yの、Xに我慢を入れると自動でYから不幸せが出てきます。

その潮流に逆らうようでもありますが(だからちょっとドキドキですが笑)、わたしはそうではないと思っています。今日は、そのことを書いてみようと思います!
 
わたしは大胆にも、「我慢することと自分のご機嫌を保つことは同じこと」だと思っています。逆に言うと、「我慢さえしなければ幸せ」という条件付きの幸せは、ニセモノだと思うようになりました。

それは自分の思い込みを疑うところからスタートします。
この我慢は本当に我慢かな?→ありゃ!そもそも我慢案件ではなかった!!と悟る、というプロセスをたどります。

「我慢しないほうを選ぶ」「わがまましちゃう」というのは、その我慢案件の解決のための、あくまでもひとつの方法でしかないと思うのです。絶対的で唯一の方法ではない、ということですね。

我慢を「我慢ではなかった」と気がつくことはそのまま、日常にあれこれと嫌なことがあってもゴキゲンでいられる、ということです。ね、ね、これって、ごっつええ感じでございましょう?!?!

自分のご機嫌を自分で保つのに、わたしは「我慢」に囚われなくていいと思うんです。『我慢する・しないの土俵』から抜け出す。わたしはこれが好きになりました。

どうやるとよいのかと言うと、たとえばですが、わたしの住んでいる家の横に、非常にうるさいオジサンが住んでいるとします。夕方帰ってくると一杯やるのですが、そうすると歌を歌い始めるのです。そしてこれがまた、ジャイアンのように爆音でひどい音痴なのです。

毎日この騒音を聴いていて、わたしは我慢で発狂しそうだとします。

このような場合に、我慢をするのかしないのか・・・!!ということだけを見ていると、

「このまま耐え続けるのか、それともここから引っ越すのか!!」とか
「このまま耐え続けるのか、それともあのオジサンをやっちまうのか!!」

というように、自分に極端な二択を迫ってしまいます。
 
それは、本当にわたしたちにとって、幸せな、あるいは意欲の湧く、あるいはピンとくる方法を含んでいるのでしょうか。もちろんそんなときもありますよね。これを機に、引っ越してみっか!!と思い立ち、そこから思わぬ楽しい展開が待っていることもあります。

けれども、我慢する・しないの土俵から出て観てみるという柔軟性のある選択肢をそこに入れて、そこから選び直してみるということもできるのです。

例えばですが、そうか!あのオジサンをうるさいと感じるということは、そのあいだ、自分がなにかに夢中になっていないからだとも言える。なにかに夢中だと、同じ環境でもちっとも気にならないかもしれないもんな??自分の暇が原因だと言い換えることだってできるじゃないか!!
ほほう・・・これは、自分がその間習い事をしてみるとか、音楽を聴くようにしてみるとかして、あの騒音すら気にならないほど自分の楽しみを追ってみたらどうだろう?「この状況を楽しめたなら、あなたの現実は、今のその土俵のスケールを抜けるよ」という神さまからのユニークなテストじゃないかよ!!
たしかにたしかに・・わたし最近楽しんでなかった!!なにか興味のあることをやるのにいいチャンスかもしれないな?!?!オジサンがうるさくなるときが、毎日それをするのに完璧なスタートのサインだったりして!!と考えて、そもそもの『我慢する・しないの土俵』を、降りてしまうのだ。

そう、これはまるで、現実を相手にした、一休さんのとんちの世界。どちらが「うわ手」か。勝負を仕掛けられても、その戦いの土俵にすら乗らないとき、わたしたちはそこを超越しているのである。

こういう方法を取ると、そのレベルでの二極の勝負が終わり、次のステージに動くのですね。だからこそ、つい戦ってしまいそうな局面で、戦わないで遊ぶ、が極意なのだと思うのです。
 
合気道の神、塩田剛三氏の名言がそれを象徴しているように思います。
「合気道のいちばん強い技は、自分を殺しに来た相手と、友だちになることだよ」(書いていて、涙が・・・・・!!

わたしたちも、現実に起こるあれこれの苦を、ひょいひょいとトンチを利かせて逆に利用しながら、ご機嫌でいましょう!そのオジサンの起こした我慢の状況を甘んじてそのまま受け入れることを、自分のご機嫌を守ることに利用するのです。その苦と、友達に・・!!ワガママを押し通すことだけが絶対の解決なのではないのです。

というわけで今日は、嫌なことと常に戦わず、もっと楽しく応じて自分のステージをあげることに利用しちゃいましょう!というアイデアのお誘いでございました。ピースマークの指は、二本は地に、二本は天に、バランスよく向きますよね。でも親指だけは真横を向いています。天を向いて考えて、地を向いて考えて、そのバランスを大切に、ヒョイッと水平な方法を考えてみるのです。

どなたかのトンチにつながりますように。
それではまた、明日ねー!!

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