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625/1096 【人生のギフト】親の歪みを乗りこなせ

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で625日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

625日目、今日は夫が昼食にバーベキューを用意してくれるそうだ。そしてお昼すぎからはお仕事のミーティングが入っている。昼食までは70分を切っている・・・その間にブログが書けるのだろうか!

今更だが、日本との時差が毎日投稿を何倍も大変にしていることを改めて実感する。日本はイタリアよりも冬時間で8時間、夏時間で7時間も進んでいるため、こちらの夕方4時または5時には、日付変更線をまたがってしまうのである。

朝の8時から仕事を始めたとしても、もう日本は冬場で言えば午後の4時で、疲れ具合や気分も違うため、日本にいる人との発信にもやり取りにも感覚のズレを感じる。これになかなか慣れることができないまま、その負担の大きさを測れないまま、長い時間が経ってしまった。

でも今ははっきりと、これが自分にとって多大なストレスになりうるのがわかる。こちら現地の陽の高さとともにあることと、日本の時刻に思いを馳せることとのバランスを保つことが、毎日投稿を元気に駆け抜けるコツなのだと思う。

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さあさああと1時間だ。なにかを急がなければならないとき、わたしはついつい「急いで慌てるのは良くない、と考えなくてはならない」ような気がする。慌てずにものごとに当たるべきだと、どこかで自分を追い立ててしまうのだ。

みなさんは、子供のころに大人に言われてとてつもなく嫌だったことがないだろうか。わたしには、今だに忘れられないほどのものがいくつもある。

まず嫌だったのは、「急げ」。わたしは走ったり飛んだりするのは得意だったのだけれど、その他のなにをするのにもひどくトロかったため、いつもいつも「急げ」と言われていた。急いで歩け、急いで食べろ、急いで運べ、急いで考えろ、急いで動け。

急ぐ必要なんかどこにもないのに、大人はなんでも「急げ」と言う。効率ばかりに気を取られ、誰も待たせず迷惑をかけないことに気を取られ、しまいには急ぐ理由がまったくないときですら、急げと言う。

何かの目的のために急いでいたはずなのに、最後は急ぐこと自体がルールになり、目的になっているのだ。わたしは急げと言われることを呪っていた。

母は「ノロノロするな」、「いつまでやってんだ」、「まだこんなことしてんのか」、「骨なし」、「腑抜け」、「ボサッとするな」などなど、聴くだけで心が萎縮して潰れて固まってしまうような言い回しをいくつも持っていた。それを聴くたびに「自分は普通の人とは違って、のろまのクズなんだ」と思ったものだった。おかげで、自ら急ぐことはできるけれど、急げと言われると思考停止するようになってしまった。そして、自ら急いだときにもミスを連発しやすくなってしまった。

もうひとつひどく嫌いだったのが、母がことあるごとに誰にでもわたしのことを「いつまでも子どもで」「とにかく幼くて」と伝えること。母は自分の子供は自分に似て大人びたところのない純朴な子どもだと暗に伝えることでやたらと気分が良さそうだったが、わたしはそこで黙って胸から血を流していた。母はわたしや妹を、まるで発達や成長が遅れているかのように扱うのが好きだった。

他の子に及ばないと堂々と人にも言うし、家でもわたしたちをそういう前提で扱う。それに毎度毎度ひどく傷ついた。他の子どもよりも物分りの悪い子として、出来損ないの認定と発表をされている気分だったし、なによりそれは本当ではなかった。子どもはまちまちだから、わたしと妹だけが純朴であるはずなどないのだ。それに、ちょっとおませな子どもがおかしいわけでも汚れているわけでもない。

母の満足そうな顔が辛かった。母が自分自身を、異性の苦手な人であるということをとても強くアピールする人なのはよくわかっていたけれど、それをわたしたち子どもにも被せてしまうことが辛かった。母は母自身やわたしたちを、性的な発達の遅れた、純朴で汚れのない、なにも知らない田舎の子なんだと設定したがるので、それに答えなくてはならない気がして辛くてたまらなかった。

この、「急げ」と「この子は幼い」を憎んだことによって歪んだまま大人になったわたしは、その歪みにより、

◯のんびりできる環境を非常に重要なものと考えるあまり社会不適合ぎみに
◯早く恋をして早く家を出て早く家庭を作ってやると闘志を燃やすように

なった。そしてわたしのこれまでの人生は「急ぐ必要のない環境に身を置くこと」「恋愛ばかりに重点を置いた計画性のないもの」になった。自伝を読んでくださったお方ならば、それがどれだけ荒れたものなのか、とてもよくご存知のとおりだ・・

だから、このことは恨もうと思えば恨むことができる案件でもあると思う。こうして自分の特徴について分析をすると、「原因として認定できるもの」「恨む対象」「なにが間違いだったのか」「責めるべきものの特定」などが出てくる。それももちろんわたしに「自分が悪いのではない」という観点をくれる、メリットのあることだと思う。けれども、それはそれ以上でもそれ以下でも無いのではないだろうか。

今のわたしは、大袈裟に表現しているのではなくて、この自分の歪みはむしろ自分の掛け替えのない宝物だと思っている。この歪みこそが自分らしさのようなものだと思う。わたしはおかげでとても変な人になってしまったが、変な人の歩む変な人生を楽しむことができている。

だからそれらの元となっている歪みは、親からもらったまぎれもないギフトであって、人生のドラマを作り出す、わたしだけのために独特に調合されたスパイスなのだ。人生が無味無臭でなくて、様々な困難に見舞われて波乱の面白みがあったことは、まさに親のおかげなのではないだろうか。

母が子どもに素朴さを求めたこと、急いで効率よく動けるように望んだこと。それらを抱えるに至った経緯や、それを抱えている事自体、母もまた苦しんだのだろう。そしてそれによって、母にしか味わえない人生を歩んだのだ。

わたしは、自分はこの歪みによる人生の波を楽しむことができて、十分にそれを味わったと思える。それを娘に意図せず継承しなくて良いと思う。だからわたしが娘に「急げ」と言ったり、幼稚であることを要求したりすることはないけれど、まあそれでも自分で気が付かないところでわたしも、ほぼ間違いなく毒母さんなのだ。

だから願わくば、『このママの狂気がまたギフトなんだよね』という解毒剤を、娘も持ち得ますように。それから、これを読んでくださったお方にも、苦しい毒の中和のヒントとなってくれますように。祈っています!というわけでピッタリ1時間!さあ~てバーベキューを楽しむぞ!

それではまた、明日ねー!!

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