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【質問回答】人気業にチャレンジしているけれど、自分が猛烈に恥ずかしい。どうすればいい!?

日に日に夏は本格化してすっかり暑くなりましたね。これを読むあなたはいかがお過ごしでしょうか。

季節は決して後戻りも停滞もせずに進んでいきますが、私の身辺でも、母の日本でのお葬式や納骨のことが二転三転してどんどんと変化しております。

そのため、日本への帰国がいつになるのかがなかなか決まらず、さらには引越し先の家の改装にも時間がかかっており、今年はいくつか大きな気がかりのあるまま、夏を迎えました。

でも夏はいいやぁね。窓の外までが生活空間とつながっていて、空も心も開いていて、空気が明るくて。夏に唯一嫌なのは、蚊の存在です。蚊ぁさんよ、あんたやで!あんたがこの輝かしき夏の日々を軽く憂鬱にしてくれとるんやで。

ハッ!?わたくしとしたことが、自分の母さんの話をしていたら、蚊ぁさんの話にすり替わっていたじゃないの。夏だからかしら、ちょっと頭が勝手にバカンスしちゃってるのかしらね~

そんな頭をしつつですが、気を引き締めて質問回答に参りたいと思います。今日はこちらのご質問にお答えしますよ。

ええ、ええ、わかりますともその気持ち。私もブログを始めたばかりのころ、自分のことが恥ずかしくて仕方ありませんでした。

今でも覚えているのが、約15年も前のことですが、イタリアで撮った写真を載せてちょっとした文章をつけた投稿をしたときのことです。その投稿は、イタリアの建物のアーチ状の入口の写真と、それについて「このアーチが可愛いですね」というような、簡単な一言を添えたものでした。

それだけの投稿なのに、私はそれを公開することが非常に恐ろしく、投稿したあとはなにかひどく恥ずかしい気がして、居ても立っても居られない気持ちになりました。なにか自分だけが変な投稿をしたような気がして、投稿したあとにも何度も見返したり、コメントをチェックしたりして、超絶ソワソワして過ごしました。とにかく今思えば本当にひどい自意識過剰だったのです。

質問者さまも、ちょうどそれと似たような感じで自分に意識が強く向いている状態なのです。これは、実際にこうした状況に遭遇してみないと、自分がそうであることがわからないものですよね。それまでは、自分でも知らない、隠れ自意識過剰さんなのです。

ご質問では、自分に対する恥ずかしいという感情と「どう向き合えばいいのか」、ということでした。ここがポイントなのですが、自分の感情というのは、向き合うというよりは離れて観察するほうが良いのです。

「向き合う」と言うと、まるで誰かとじっくりと膝を突き合わせて向き合って、腹を割って話をし、互いに本心を打ち明けたり誤解を解いたりなどをして、お互いを理解し合い、距離を縮めるようなイメージがありますよね。

なにかと向き合っていく。それは、自分でその対象を見つめ、分析して、考えまくって、理解して、許して、嫌なものではなくなるまで構う、というプロセスが伴うイメージです。けれども、感情というのは構えば構うほど、強まり、大きくなり、繰り返されるものなのです。

ですから感情というのは、どっぷりと浸かってそこに自分を向けきってしまうと言うよりは、離れて観察するほうがよいのです。

「キャー恥ずかしい、この状態ってどうすればいいの?!こう考えればいいの?ああ考えればいいの?どうすれば抜けられるの、どうすれば変えられるの?!これってどうなってるの!」と構えば構うほど、その感覚は自分の経験として、より強く、よりたしかに記録されます。そして、そこに向くたびに繰り返され強められます。つまり、その感情をますます大げさにコピーしてしまうのですね。こうすることで、私たちはこの自意識過剰から抜けにくくなってしまうのです。

そうではなくて、「自分って、今これをひどく恥ずかしがってるんだな」「自分が他の人からどう思われるのかを、めちゃくちゃ気にしてるんだな」「自分はそのことで、自分のことを気が小さいだとかダメな奴だとか思っちゃうんだな」「こんなに恥ずかしいなんて私って異常なのかな、という考えすら湧いてきてるわ」などと、観察する。

そしてそのまま放置です。感情が湧いて、高まり、引いていく。それを海の波が押しては引くのを眺めるように、観察していればいいのです。感情そのものは、そのままでいいし、湧いてくるのなら湧いてくるままにさせてあげて。好きなだけ恥ずかしがらせておいて、「へえ~」「ふうーん」「そうなんスね」と思っていればいいのです。

スカートめくりをする男子の気持ちを想像してみてください。

スカートをめくったら、「きゃーやめてよーなんでそんなことするの、もう~恥ずかしいからやめてよ~!」「私はあなたのせいで恥ずかしいの!あなたとどう向き合えばいいのよ、ほんとに困っちゃう!もうバカバカ!」と真っ赤になって騒いで自分を構ってくれる女の子と、スカートをめくったのに「私はそういうことをされると恥ずかしいと思うんだ…ふーん」「恥ずかしいと思う自分のことが、駄目な人間って気すらするわ…」などと冷静な目をしてこちらを見もせずに分析する女の子と、どちらの子に対して、もう一度やっちゃうぞ❤と思うでしょうか。当然、騒いで構ってこちらと向き合ってくれる、前者の女の子ですよね。

これに似て、自分が刺激に対して構おうとすればするほど、私たちはそれを繰り返します。スカートをめくられて恥ずかしがる女子と、スカートめくり男子の二役を、自分ひとりでやっているようなものですね。笑

だからあなたは、恥ずかしくて「ヒーッ!」となりながらも、そのことはそれ以上にあれこれと考えなくてよいのです。自分が「ヒーッ!」となる。はい。今日もヒーッ!でした。以上。こんな感じです。

同じことで恥ずかしがるのも、最初のうちだけです。いずれ飽きて、慣れて、だんだんと図太くなるのが人間です。そうなるまで、照れ散らかしておけばいいのです。最初はみんな、ウブなのです。ですから、そんな自分を、ま、フツーだな。と思っておけばちょうどいい。

それはそのままで良いので、自分の発信に対する反応が悪い理由を考えたり、客観的に見ると痛いと思える部分について、冷静に原因を分析することを継続してやってみてください。恥ずかしい感情が伴いつつも、それとこれとは別にして、分析や研究だけは淡々とやっていくのですね。

つまり言い換えれば、人目に対して恥ずかしさを感じるというのは、場数を踏んで、だんだんと慣れて、いずれ鍛えられて薄れ和らいでいくのを待つ以外に、やれることはない。ということでもあります。一番遠回りなようで、一番の近道であり、それが唯一の道だということですね。

もうひとつお伝えできることがあるとすれば、そんな恥ずかしがりのあなたはフツーだぜということと、あなたは人気業に向いている、ということです。

自分のどんな部分をさらけ出しても恥ずかしさを感じない人がいるとすれば、その人は人の目にさらされることに対して、さほどのコンプレックスもなければ、それを乗り越えるための情熱も湧いてこない人なのです。つまり、人の目に触れることで湧いてくるこの狂おしいほどの自意識と、熱意をもって格闘しようという気持ちが湧きにくい人だとも言えます。

でもあなたのように、そこがめちゃくちゃ気になって仕方のない人は、これに対する恐れが強い人。恐れとは、非常に強いパワーの源です。恐ろしいものと対峙したときの人間というのは、そこから目をそらすこともできないほど、それに対してエネルギーを注いでしまいますよね。

これを、いい形で使ってください。そのためには、自分がこの仕事に対して強い思いが湧くタイプなのだと認めることです。それが恥ずかしさだろうとなんだろうと、強い思いなのですから。そして、それを悪いことだと考えずに、まあ今はウブだってことだ、そういう時期なんだ、おかしいことじゃないんだ、と考える。そして、その恥ずかしさをあまり相手にしないことです。

猛烈に照れながら、そのまま突き進んでみればいいのです。繰り返しになってしまいますが、これ以外にないんやで!笑

自分を人目にさらすお仕事って、気づきがいっぱいですね。自分がどんなことを恥ずかしいと思い、どんなところに意識が強く向いて、どんなことを恐れているのかが浮き彫りになります。それから、他者や社会そのものと、自分がどう関わっていけるのか、今自分がどの地点にいるのかもまた、嫌というほどわかります。だからこれは、己を知る素晴らしい旅でもあります。

だからどうか、恥ずかしがる自分を携えながら、そのままで怖さに立ち向かったり、色んな方法を試してみたりして、試行錯誤しながら力強く進んでください。さすればこのチャレンジは、あなたの人生をとても彩り豊かなものにしてくれると思いますよ!応援してます。がんばってね!

それでは、またね。


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