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日本偵察総局によるクーデタ

 地震があった。翌日、巨大な津波が、大陸の沿岸部を襲った。
 大連、天津、香港、廈門、上海が壊滅した。津波は北京にまで迫り、中南海がやられた。大陸の国家主席も流されて、行方不明になった。異例の三期目に入り、人類皇帝への道を歩み始め、猿兵まで完成させたのに、無念の最期だった。
 党中央の権力が空白になった。だが北部戦区が権力を握った。軍閥だ。北部戦区司令官が、大陸全土を掌握した。無論、各地で軍事衝突が起きて、内戦状態になった。だが北部戦区が早期に、中部戦区を押さえたため、比較的早く全土を掌握した。
 新しい党中央は、野心的だった。前任者が様子を見て、控えていた作戦を実行に移した。日本偵察総局によるクーデタだ。地震と津波で日本も混乱している。この隙に、乗っ取りを掛ける。火事場泥棒だ。共産党勢力は浸透している。成功の見込みは高い。
 
 地震の数日前、その電話は、獄中から掛かってきた。秘匿回線だ。
 「総理、お時間いいですか?」
 獄中の若手研究者は静かに言った。富士山の令和噴火を予言した男だ。
 「……構わない。言ってくれ」
 内閣総理大臣は、執務室での作業を止めた。電話に集中する。
 「太平洋側に面した全ての海岸線から住民を、内陸へ50km、避難させて下さい」
 少しの間、沈黙があった。総理大臣は頭を巡らせた。
 「……津波かね?」
 「ええ、そうです」
 「……震源はどこかね?」
 「合衆国西海岸、カルフォルニアです」
 「……規模は?」
 「マグニチュード11.5」
 総理大臣は再び沈黙した。地震学の上限では、マグニチュード10とされる。超地震だ。
 「……それはいつかね」
 「近日中としか」
 獄中の若手研究者は、今使える機材が限られている。計算ができない。
 「北米大陸の西海岸全域が沈むかも知れません。大陸陥没です。超地震です」
 「……超地震?それで日本に津波が来るのかね」
 受話器は沈黙した。この場合、沈黙は肯定だった。
 「それから地球の自転に、変調が計測されています。このまま行くと倒れる」
 「……倒れる?」
 「コマのように回っていると考えた時、勢いがなくなって、地球が大きく揺らぐ」
 「……何が起こるのかね?」
 「ポールシフトです。地軸が傾いて、極地が移動します。氷河期が来ます」
 津波と同時に来るのか?いや、ポールシフトが原因なのか?いや、それとも?
 「時間があまりないです。避難を急いで下さい」
 獄中の若手研究者の声は震えていた。ありありと光景が見えているのだろう。
 「北米大陸、西海岸の沈没は序曲です。北半球であちこち沈む。地図が変わります」
 世界中で大陸陥没が起きるのか?それは恐ろしい。だが南半球は助かる?
 「……分かった。私の名の下に、全国民に避難勧告を出す」
 総理大臣は電話を置くと、秘書官を集める。直ちに指示を出し始めた。
 「……天皇陛下に連絡だ。京都の御所に帰ってもらう」
 とりあえず、遷都だ。東京はもう守り切れないだろう。
 「……東京都知事に連絡だ。政府は東京を放棄する」
 この宣言は、衝撃を持って受け止められた。そんなに大きな津波が来るのか?
 「……長野に遷都する。今すぐ拠点を構築しろ」
 瞬時に判断した。奥地に引っ込むしかない。総理大臣は、閣僚の緊急招集を命じた。
 「……災害出動だ。自衛隊は全力対応せよ。但し一個旅団だけ予備戦力として残せ」
 閣議は荒れた。だが官房長官と新しい外務大臣はすぐに話を信じて、協力した。
 「なぜ一個旅団だけ、手元に置くのですか?」
 閣議後、その外務大臣が尋ねると、総理大臣は答えた。
 「……首席秘書官からの献策だ。火事場泥棒に備えよだそうだ」
 「ああ、魏徴殿ですか」
 実はこの外務大臣も、魏徴や左慈道士と話ができる。怪力乱心だ。なぜか総理に対して、拱手礼をする。この二人は何か特別な関係にあるようだった。そしてこの時期、世界の中で日本だけ、政府閣僚に何人か霊能者がいて、危機を乗り越えようとしていた。

 地震の数日前、国民は日本政府からの避難勧告を聞いた。津波だ。太平洋側の海岸線から、最低でも50km避難するように言われて、耳を疑った。東京から八王子くらいまでだ。意味が分からない。だから従わない人が続出した。太平洋沿岸に混乱が広がった。
 追加の勧告も出た。日本海側も最低25 km避難するように言われた。陸地にぶつかった波の乱反射で、日本海側も襲われると言う。もう無茶苦茶だった。だが内閣総理大臣は声を枯らして、津波からの避難を訴え続けた。しかし国民の反発も大きかった。
 政府は一体何を根拠に避難勧告しているのか説明せよ、と関係各所からそう言われたが、富士山の令和噴火を予言した男がそう言っていると伝えると、流れが一気に変わった。少なくとも、関東圏内の人間は信用した。避難が加速した。都内は大混乱に陥った。
 ただ他の国、世界は首を傾げて、日本の動きを見ていた。まだ何も起きていない。
 だが地震が起きたその日、都内でも一時間以上揺れが計測された。震度7だ。てっきり都民は、関東大震災に襲われたと思ったが、違った。大陸陥没だ。北米大陸の西海岸が海中に没した。超地震で地殻が砕けて、形を保てなくなって、海の底に沈んだのだ。
 これだけ震源が離れているのに、都内の地震は大きかった。歴史時代に入ってから、経験した事がない。だがその後、北半球を襲った津波の方がヤバかった。日本も関東平野がやられた。首都圏は埼玉まで水浸しになった。見渡す限り、高層ビルと海面だ。
 地図が縄文時代に戻った。関東平野の深い処まで海が侵入している。
 東京は、火山噴火による降灰、そして今回の地震と津波で、完全にダメになった。政府は東京大深度地下を放棄し、長野に臨時庁舎を構築する事にした。完全に野戦仕様で、戦時体制だった。予備に政府機関出張所を、岐阜と山形にも構築する。
 「……新潟の柏崎刈羽原発と連絡が付きません」
 総理大臣は輸送ヘリ、CH-47JAチヌークで移動中、秘書官から報告を受けた。
 「どの回線もか?」
 「……どの回線もです」
 秘書官がそう答えると、総理大臣は新たな指示を出した。
 「陸自の予備兵力を投入。すでに制圧されたものと見なして、施設を奪回せよ」
 「……例の火事場泥棒ですか?」
 同行している外務大臣が尋ねた。
 「ああ、そうだろう。騒ぎがひと段落したら、君には大陸に行ってもらう」
 「……新しい権力者と会見ですか?」
 「ああ、そうだ。どれほどの人物か見て来い」
 総理大臣がそう言うと、外務大臣は慇懃に拱手礼をした。
 「遣隋使の時と逆になりましたね」
 明らかに時代錯誤な発言だったが、誰も気にしている様子はなかった。
 
 その偵察総局局長は、日本の総理大臣のヘリを捕捉した。レーダーの光点を見る。EC-225LPスーパーピューマだ。政府の要人輸送専用ヘリコプターなので目立つ。馬鹿な奴らだ。まる分かりだ。これで秘匿行動をしているつもりか。可笑しい。
 「……击落」(撃ち落せ)
 局長は発令所から部下に指示を出した。直ちに命令は現場で実行される。
 山岳地帯を飛行していたスーパーピューマは、地上からのスティンガーで撃ち落された。待ち伏せの歩兵ミサイルだ。機体は木っ端微塵になって墜落する。護衛していた戦闘ヘリコプター、AH-64D アパッチ・ロングボウが逃げ惑う。現場から喝采が上がった。
 レーダーから目標の光点が消えた事を確認して、局長は満足した。これであの生意気な総理大臣は消えた。清々する。議員一年生とは因縁があったが、それも終わりだ。奴がサラリーマンだった頃、特警が捕まえた時から続いていた。特警による尋問だ。
 とにかく、しぶとい男で、最後まで認めなかった。思想犯として、検挙できなかった。
 「……报告情况」(状況を報告せよ)
 撃墜した機体に生存者はなし。護衛していた戦闘ヘリは撤退。ミッション・コンプリート。やけにあっさりした最期だったが、輸送ルートは掴んでいたのだ。待ち伏せは簡単だ。政府が長野・新潟に向かう事も分かっていた。偵察総局は情報収集を怠らない。
 これで新潟の柏崎刈羽原発も押えたので、大陸の党中央に報告できる。
 「……消除了日本的中心」(日本の中枢を排除しました)
 局長は新しい党中央に簡易報告を上げた。これで作戦の第一段階は終了だ。クーデタは大陸の支援を受けて、第二段階に入る。自衛隊の掃討だ。最高指揮官を倒してしまえば、防衛出動が出せない。後任も選出させない。間を置かずに急襲する。
 今回のクーデタは、大陸で政変があった事が大きい。だが党中央が誰であれ、偵察総局は大陸の出張機関として、準備していた。日本に張られた蜘蛛の巣だ。行動を起こすのは時間の問題だ。日本側も大陸を刺激するシン・防衛構想など発表している。自業自得だ。
 不意に発令所が騒がしくなった。何だ?原発を制圧した部隊が、何者かによって襲われているらしい。局長は部下に詳細な報告を求めた。
 「……敌军未知。进入战争状态」(敵勢力は不明。交戦状態に入りました)
 自衛隊か?誰が命令を出している?総理大臣は消した。防衛大臣か?不意に部下が携帯ラジオを持って来た。日本語で何か言っている。局長は耳を澄ませた。
 「臨時の庁舎を長野に開きます。政府の移転です」
 内閣総理大臣の声だ。何だこれは?録音か?奴は死んだ筈だ。どうして生きている?
 発令所の外で銃声と爆発音がした。近くで戦闘が起きている。局長は部下と顔を見合わせた。強化外骨格が次々に倒されている。AI多脚戦車はどうした?AI攻撃蜂はどうした?
 「……我们与核电站失去了联系!」(原発と連絡が途絶えました!)
 奪回されたらしい。不味い。ここも逃げないとやられる。局長は発令所から、簡単な指示を各部隊に通達すると、撤退した。大陸には行かない。あくまでも日本に潜伏して再起を待つ。新しい党中央にとって、まだ自分たちは利用価値がある筈だ。
 日本偵察総局によるクーデタは失敗した。総理大臣は暗殺されていなかった。
 
         『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード116

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