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東京バビロン、捕囚

 その会談は、北部戦区の司令部がある瀋陽で行われた。旧名で奉天と言う。
 日本の外務大臣が、他の国に先駆けて、大陸の新しい権力者と会う事になった。軍人上りで、第二砲兵出身だと言う。北部戦区に転出した後、軍司令官に登り、そのあとは、津波によって生じた権力の空白に乗じる形で、クーデタを起し、他の戦区を抑えて、登極した。
 すでに、皇帝のように振る舞っていると噂されていた。権力志向が強い男らしい。
 「新顔だが、官房長官を抑えて、政権のNo.2らしいな。総理大臣の後継者か?」
 その軍服姿の党中央はソファーに座ると、鷹揚に言った。外務大臣は黙って座っていた。豪華な客室だ。通訳の秘書以外いない。カーテンは閉ざされているが、中庭が少し見える。
 「怪力乱心内閣と言うからには、外務大臣も何か特別な力が使えるのか?」
 プライベートな会話だ。非公開のやり取りとなる。だから外務大臣も答えた。
 「……いえ、自分には総理のような神通力はありません。天耳通と他心通を少々」
 新しい国家主席は、外務大臣を見た。爬虫類を思わせる細くて長い虹彩が、怪しく光る。
 「それは注意しないといけないな。私の考えている事が分かるのか?軍師殿」
 「……いえ、私は総理の使いに過ぎません。策は全て首席秘書官から出ています」
 「例の懐刀か。魏徴を使っているらしいな」
 党中央がそう言うと、外務大臣は頷いた。
 「本から出て来たと聞いている。本当か?」
 それは見ていないので、分からない。だが総理大臣から、そう聞いている。
 「何か特別な本なのか?古書の類か?」
 総理大臣の書斎に納められている『貞観政要』は、ただの文庫本だ。付箋だらけだが。
 「……総理が『貞観政要』を紐解くと、様々な変異・神変が起きるのです」
 それは世にも不思議な光景だった。漢文を読み上げただけで、様々な現象が起きる。まさに怪力乱心だ。総理大臣は、謎の力を持っている。複数の英霊さえ従えている。
 「蝗の件は聞いている」
 総理大臣は、九州を襲う筈だった蝗害を未然に防いだ。祈祷行為、もとい昆虫食だ。
 「アレはロケットマンの全身全霊の叫びが、羽化したものらしいな。蝗の群れの大元だ」
 それは知らない。だが半島の南北の憎しみが合体したものだと聞いている。
 「大した男だよ。しかし唐の太宗ではないと言っているのだろう?」
 「……ええ、総理は太宗ではございません」
 当たり前の話だ。一体何を言っているのか?だが国家主席も外務大臣も真剣だった。
 「大臣も過去の記憶があるそうだな」
 誰だって過去の記憶はある。当たり前だ。だがそんな事を言っているのではないのだろう。
 「……遣隋使で俀國に渡って、聖徳太子と会いました。その時の記憶があります」
 外務大臣がそう答えると、国家主席は破顔一笑した。
 「裴世清か。なるほど、読めたぞ。総理大臣の正体が」
 党中央はなぜか嬉しそうにしていた。よく意味が分からない。
 「一代で栄華を極めた独裁者の中の独裁者だな。始皇帝にも劣らぬ悪評だが、詩も吟じる」
 確かにちょっと変わっていた。美も分かるのだ。そして聖徳太子に異常に執着していた。わざわざ日本に行って、人物を確かめて来いと命じたぐらいだ。何かある。恐らくもっと遠い過去に起因する縁があるのだろう。聖徳太子の魂に、強く憧れているようにも見える。
 「しかしなぜその転生者が、日本に生まれたのだ?大陸ではなく?」
 「……それは総理に訊いて下さい」
 お陰で外務大臣も運命に巻き込まれて、日本に生まれる羽目になった。都落ちか。
 「まぁ、よい。それよりも本題だ」
 国家主席は席を立つと、カーテンを開いて、中庭を見せた。猿兵が数人、警備している。
 「チンパンジーと人間のハイブリッドだよ。頭脳と意識は人間と同等で、チンパンジーの身体能力を持つ。握力だけで鉄も砕く。戦闘力は人間の兵士と比べものにならない。前任者が宇宙同志と共同開発した置き土産だが、かなり使える。もう人間の兵を配置しなくていい」
 改めて見ると異様だ。目の動きや表情を見る限り、顔だけ人間のようにも見える。何て言うか、SFの世界のようだが、超えてはならない一線を超えた感じがする。これは危険だ。
 「……これは人間なのですか?」
 すでに資料を読んでいたが、実物を見ると、また違った恐ろしさを感じる。
 「それは人間の定義に寄るだろう。だが今そんな話をしても仕方ない」
 党中央は振り返った。燃え上がる赤暗い炎のような影が見えた。
 「これで兵士は揃った。あとは娼婦だ」
 兵士と娼婦、それは権力者の奴隷だ。外務大臣は西洋の伝説を思い出した。記憶がある。
 「……一説によると、アトランティスは、人造の兵士と娼婦を造って、地上で栄華を極めようとしたから、神の怒りに触れて、沈んだと言われている。大陸陥没です」
 合衆国の西海岸が沈没した件が、改めて思い起こされた。恐らく今回は、全地球的に来る。
 「神の怒りとか、自然の摂理とか、西洋の下らない神話に過ぎない。今は理性の時代だよ」
 だがこの国家主席は、宇宙人と超能力の存在を信じている。現実的な力だからか。
 「……彼らにも、理性的なものは合理的、合理的なものは理性的という教えがあった。だから人造の男女を造って、奴隷にした。そして新世界の神になろうとした」
 「教えてくれ。理性的なものは合理的、合理的なものは理性的と考えてなぜ悪い?」
 一瞬、軍服姿の党中央に、白い神官服を着て、青いペンダントを下げた姿が見えた。
 「……彼らは滅びている。結果を見る限り、許されていない。神仏の世界はある」
 外務大臣は、この国家主席に、人民の虐殺者だった前任者を超える悪を感じ始めていた。
 「まぁ、よい。議論は遊びだ。力こそ全ての源泉だ。日本は大陸に朝貢せよ」
 沈黙があった。国家主席の影が動いていた。大きく伸びる。
 「日本から奴婢(ぬひ)を差し出せ。まず若い男女200万人だ」
 外務大臣が連れて来た通訳の秘書が、完全に動転していた。翻訳できなくなっている。
 「合衆国の西部が沈み、欧州が大戦で泥沼化した今、西洋文明は間もなく滅びる。我ら大陸が世界の中心となるべく歴史は展開している。日本は我に続け」
 外務大臣は、北京語も解するが、それ以上に、見えないものが見える。聞こえないものが聞こえる。通訳は不要だ。総理大臣の代理で任されて来た。無論、真実を見るためだ。いつだって、自分の役割は、相手の真実、善悪を見抜いて、上に正しく伝える役目だ。
 「東京が沈み、若い男女が行き場所がなくて余っているのだろう。我々が有効活用する」
 「……念のため、理由を聞いてもいいですか?一体何のためにそんな事を?」
 「決まっている。兵士が出来たのだから、日本人の体を使って、娼婦を造る。それだけだ」
 狂っている。外務大臣はどう断るか考え始めた。色々予想していたが、これは想定外だ。
 「ああ、そうそう。私は第二砲兵出身でね。在庫が余っている水爆をいつでも発射できる」
 また水爆か。古典的な脅しだが、日米安保を切る手前、核の傘もない。ピンチだ。
 「……一度、持ち帰らせて下さい」
 外務大臣は最早これまでと場を辞した。とにかく総理に報告しないといけない。

 その総理大臣は長野で、外務大臣の報告を聞いていた。徐(おもむろ)にテレビを点ける。
 「……我が国は、被災した若い日本国民を200万人受け入れる用意がある。無償だ」
 大陸の外交部の女性報道官がそう言っていた。日本のマスコミは様子見だったが、警戒する声もあった。大陸の被害はより甚大な筈だと。何よりも台湾で、一度砲火を交えている。
 「これは表向きの話で、大臣の話が本当の話という事かね?」
 総理大臣は、ハナクソさえほじってみせた。偵察総局を出し抜いてから、態度が変わった。
 「……どうされます?」
 「どうするって、日本には核兵器はないし、作る気も起きない。核アレルギーだよ」
 総理大臣は、臨時庁舎のデスクの上に、両足を投げ出した。書類が散らばって落ちた。
 「シン・防衛構想が完成するのは数年後だ。間に合わない」
 「……どうされます?」
 「どうもしないさ。無視だよ。無視」
 驚いた事に、総理大臣は、ノープランで無視と決め込んでいた。
 「……それで大丈夫ですか?相手は水爆で脅しているんですよ?」
 「大丈夫な訳はないが、どうにかする。だから東京バビロン、捕囚が起きると言ったのに」
 外務大臣は拱手礼をして退出した。あの総理大臣は常人ではない。何かするだろう。一度、自宅の書斎で、魏徴と議論している姿を見た事がある。ソクラテスの対話禄かという勢いで、話題はあらゆる事象に飛び、何を話しているのか全然分からなかった。いつも凄く考えている。
 
 その後、政府筋だけに、大陸の共産党から命令と脅しが来た。水爆投下か、200万人若い男女を差し出せだ。政府閣僚はパニックに陥った。近頃、あちこちに核が落ちているので、核兵器の都市投下が、非現実的と思えなくなっていたからだ。合衆国はもう当てにならない。
 「……総理、今からでも遅くありません。北方の大国との平和条約を反故にして、合衆国と安全保障条約を延長しましょう。核の傘があれば、脅しに屈しなくて済む」
 防衛大臣は必死になってそう言った。官房長官が反論した。
 「米軍は全世界的に合衆国に引き上げている。守備範囲を縮小している」
 「……じゃあ、せめてお金を払って、傭兵をやってもらいましょう。それしかない」
 防衛大臣はそう言った。それは考えないでもないが、米軍も戦力が低下している。ダメだ。
 「欧州も難しいだろう。総理がNATOの連絡事務所を追い出してしまった」
 官房長官が指摘した。そうなのだ。総理大臣の一存で、日本からNATO勢力を追い出てしまった。これは国民からも非難された。合衆国も切って、欧州も切るのかと。総理大臣的には、遠い戦争に巻き込まれるだけで、こっちがピンチになっても、助けてくれないだった。
 最近、欧州では、東西勢力干渉地帯の首都に対する新型爆弾の投下以来、止まっていた戦線が動き始めて、欧州大戦が再燃した。東西勢力干渉地帯の政府が瓦解してしまったので、NATOとEUが責任を持つと言って、軍隊を進駐させた。当然、北方の大国と直接砲火を交える。
 集団的自衛権の行使が発動されて、欧州の東西対決は全面戦争に発展した。双方、核による第一撃を投下した後である。いつ、お互い、全面核戦争になってもおかしくない状況だった。そのため、極東で起きている危機にも対応できなかった。正直それ処ではない。
 国連も機能しなかった。だが国連にもかつてない動きが起きていた。北方の大国を国連から除名しようとしていた。当然、常任理事国でもなくなる。これも大きな問題だった。
 閣議でも答えは出なかった。200万人差し出す事はできない。だがこの内容を公表するのも憚られる。だが総理大臣の強い意志で、脅しの内容をありのまま世界に伝えて放置、強行突発する方針を最後に採択した。核を撃たれたら、万事休すだが、脅しには屈しないと言う。
 「核なんかなくたって、意地でも退かない。それが我々の意志だ」
 だが助けは意外な処からやって来た。北方の大国だ。日本を撃つなら、大陸に打ち込むと宣言した。無論、頼んでいない。これはややこしい事態を招いた。日本と北方の大国の接近だ。
 国民は政府の発表に驚いたが、脅しに屈しないという総理大臣の姿は、黙って見ていた。

         『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード117

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