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立花神社の元宮司

 その政治家の秘書は、厚生労働省の資料室で、古い資料を閲覧していた。
 そこには戦後、外地から内地へと引き揚げて来た者たちの膨大なリストがある。
 1945年12月、陸軍省は第一復員省へ改組され、1946年6月、復員庁になり、陸海軍の残務処理及び、外地からの引揚者を支援する業務は、1948年1月、厚生労働省が引き継いだ。
 政治家の秘書は、旧陸軍を調べていた。特に陰陽道関係者がいないか調べていた。
 佐藤大佐の一件だ。先日、深夜の首相官邸で不期遭遇した。
 旧帝国陸軍の将校の姿をしており、最初は首相官邸の亡霊を装っていたが、あれは間違いなく生きた人間だった。だが異常な力を持ち、襲い掛かってきた。一体何者か?
 恨みを買った覚えはない。
 だが日本の敵と言って、襲い掛かってきた。なぜ首相官邸で待ち構えていたのかも謎だが、そもそも意味不明である。自分と何か関係があるのか?牛丼屋で出会った仙人を呼ばなければ、やられていただろう。あの仙人も謎だが、佐藤大佐と名乗るあの人物はもっと謎だ。
 政治家の秘書は考えた。
 『帝〇物語』が流行った頃、旧軍には戦闘霊能者がいた、という噂が流れた事があった。折しも冷戦直下、旧ソ連で、超能力者部隊が実戦配備されたという怪しげな話まであった。
 霊能者の軍事利用は、発想としては在り得た。
 戦争を科学で捉える者たちは、一笑に付すかも知れないが、効果が当てになるなら、使うというプラグマティズムも別に存在した。現代でもニューヨークの市警察は、霊能者を雇い、全く手掛かりなしで、難解な事件が発生した場合、解決するための糸口に使っている。
 アメリカの大統領にも、霊的なガードマンとして、大統領警護に就いている者がいるという噂もある。この超能力者は通常の黒服、シークレットサービスとは別口らしい。ホワイトハウスのHPを見ても、大統領の霊的指導者というプロテスタント系の教会関係者は在籍する。
 話が逸れた。佐藤大佐の一件に戻そう。引揚者のリストに全て目を通した。
 電子化も進んでいない古い資料なので断言できないが、目で見て調べた限り、外地からの引揚者の中に、帝国陸軍の陰陽師関係者の名前はなかった。
 任地で戦死したのか、あるいは戦後、現地に留まり、帰らなかったのか、定かではない。
 あの佐藤大佐と名乗る人物は、現地に残った者の子孫、末裔ではないかと考えた。
 先日、防衛省にも行って、旧軍の資料を見てきたが、帝国陸軍の陰陽師関係者の名簿は存在した。陸軍で霊能者と呼ばれた人物の名前も確認できた。佐藤大佐らしき名前もあった。
 あくまでも噂だが、旧軍には霊能者部隊が存在し、特に陸軍は実戦部隊として、運用しようとしていたという話がある。研究段階で留まった。いや、実は戦ったと意見は分かれる。
 資料を見ても結局、大した事は分からなかった。ただ外地に出征している。
 旧軍の霊能者部隊というのは、伝説に過ぎないかも知れない。だが陰陽師関連の名前は、安倍だとか、賀茂だとか、蘆屋だとか散見される。無論、それだけでは陰陽師と断言できないが、何人かは本物かも知れない。陸軍に霊能者はいたのだろう。部隊かどうかはともかく。
 一つだけ発見があった。旧帝国海軍にも陰陽師はいて、しかもまだ存命だと確認できた。100歳近いが、まだしっかりしており、話もできると言う。
 陸軍ではないが、何か知っているかもしれない。
 その政治家の秘書は、今は引退した神社の宮司をやっている老人を尋ねた。
 埼玉県南部にその神社はあった。白い鳥居に、藤色の袴を着た巫女がいる。立花神社と言う。一風変わった神社だった。裏手にちょっと大きな鎮守の杜もある。
 調べていないが、包括宗教法人である神社本庁に属していない可能性があった。
 戦後、GHQの指示で、大日本神祇会、神宮奉斎会が解散となった際、単立宗教法人となった神社は存在する。一部だが、有名な神社もある。こういった事情はあまり一般には知られていないが、区分は存在する。立花神社も独立した神社である可能性が高かった。
 その政治家の秘書は、白い鳥居の下を通った時、反発するものを感じて、内心驚いた。何か結界のようなものが張られていて、あたかも自分がそれに引っ掛かったみたいだった。
 この場合、自分が異物、もしくは外敵として判定された可能性がある。
 政治家の秘書は居心地の悪さを感じた。だが用件はすでに伝えてあるので、立花神社の元宮司には会える。案内された社務所は広くて大きく、社庭が見えた。奥には宝物殿があり、日本的ではない狛犬と神馬の彫像があった。とても古いが、見知らぬ様式で作られた鐘楼もある。
 パイプ椅子に座って待っていると、藤色の袴を着た老いた巫女が来た。
 その政治家の秘書が立ち上がって、名刺を渡すと、向こうも名刺を渡して来た。妙な事に、この巫女は、立花神社のシステムエンジニアを名乗っていた。
 「……こう見えても技術者でね。個人的に外部の仕事も請け負う事はある」
 名詞の裏を見ると、何かの系統図が書かれていた。日本の年号と紐付いている。
 「私はこの神社の先代の継承者でね。平成のIT巫女と言われていたよ」
 政治家の秘書の前職はIT業界だ。10年以上いたが、IT巫女なんて聞いた事がない。
 「今は孫娘たちに、ただのコンピュータおばあちゃん扱いされているけどね……」
 IT巫女が近くの椅子に座ると、ノートPCを広げて、キーボードをカチャカチャ言わせた。
 対面で人と話しながら、こうやって、PCを操作するのは、IT業界ではおかしな事ではない。他の業界では非礼とされるかもしれないが、この業界ではむしろ推奨?される。
 間違いなく、この巫女は、IT業界の人間だった。ITエンジニアだ。
 「……遅れてすまない」
 姿勢のよい老人がやってきた。立花神社の元宮司だ。矍鑠(かくしゃく)としている。
 政治家の秘書は立ち上がると、挨拶をして、名刺を渡した。
 「ええと、陸軍の陰陽師の話だったか?」
 「……ええ。何か知っている事があれば、教えて下さい」
 政治家の秘書がお願いすると、立花神社の元宮司もパイプ椅子に座って、少し考えた。
 「確かに陸軍にも陰陽師はいたし、戦いもしたが、詳しい事は知らない」
 陰陽師同士で戦ったのか?それは皇軍相撃ではないか?初めて聞いた。
 「……なぜ戦ったのですか?」
 「それは向こうから襲い掛かってきたからだ」
 立花神社の元宮司はあっさりそう答えた。
 「理由は分からないのですか?」
 「……不意に黒い式神で襲われた。詳しい理由までは分からない」
 立花神社の元宮司は言った。
 「彼らは何をやっていたのですか?」
 「……予言に従って動いていると言っていた」
 予言?何の予言だ?何か神示でもあったのか?
 陸軍は結構、神降しをやっていた。戦争を占うためだ。ドキュメントも存在する。
 「それは彼らがそう言っていたのですか?」
 「そうだ。日本に危険な人物が現れるから、探していると」
 一体誰だ?そんな迷惑な奴は?まさか俺か?政治家の秘書は失笑しそうになった。
 「結局、戦後になってもそんな人物は現れず、今まで完全に忘れていた」
 そこで立花神社の元宮司と平成のIT巫女が、こちらを見た。
 「……今朝方、夢を見た。吉凶は分からないが、昔戦った陸軍の陰陽師が出て来た――」
 ああ、それはすでに凶だ。だからもうその先の台詞は分かる。
 「――とうとう日本の敵が現れたと言っていた」
 政治家の秘書の口許に笑みが零れた。
 「……佐藤大佐という人物を知っていますか?」
 立花神社の元宮司の表情に、驚きの波紋が広がっていた。ビンゴだ。
 政治家の秘書は先日、深夜の首相官邸で遭遇した出来事を話した。
 「それは……」
 立花神社の元宮司は深刻な顔をしていた。
 「知っているんですね?」
 立花神社の元宮司は曖昧に頷いて答えた。
 「その夢に出て来たのが佐藤大佐だ」
 「なるほど……」
 そこで話が繋がるのか。だが戦後70年以上経過している。これをどう考えるべきか?
 「……話は変わりますが、近く選挙があります。議員の補欠選挙です」
 とうとう国会議員が病気で引退するので、自分が地盤を引き継いで、立候補する。
 「自分が出ますが、これも関係ありますかね?」
 政治家の秘書は両肩を竦めてみせると、立花神社の元宮司は表情を暗くした。
 「……それは分からないが、その話も少し嫌な予感がする」
 それはそうだろう。嫌な予感というのは、いつも流れているBGMみたいなものだ。
 「失礼」
 不意に、立花神社の元宮司が右手をかざして、目を閉じた。
 どうやら、政治家の秘書の運命を読み取っているらしい。
 やはり元陰陽師で、霊能者というのは本当のようだ。面白い。非科学的だ。
 「……うん。選挙に当選して、議員になる。それから……」
 そこで不意に黙ってしまい、元宮司は目を開いた。
 「邪悪な者の影が見えた。過去に悪行、大罪を犯していないか?」
 立花神社の元宮司は、厳しい目でこちらを見ていた。
 「……悪い事なら人並にはやっていますよ。平凡だと思いますが……」
 覚えなら幾らでもある。自慢じゃないが、夜のお店で、会社の領収書を切っていた。
 だが元宮司の眼を見ていると、そんなせこい問題ではない事は見て分かった。
 「じゃあ、お祓いでもやってくれますか?」
 反省するのは苦手だったので、神頼みする事にした。
 平成のIT巫女と、立花神社の元宮司はお互いを見た。頷き合っている。
 「ところでこの神社にはどんな霊験があるんですか?」
 政治家の秘書は二人に尋ねた。
 「アンチエイジングに長けているんじゃ」
 目の前の老いた巫女がそう言った。100歳近い老人も頷いている。
 「そうなんですか……」
 爺さん、婆さんには、喜ばれそうな霊験だった。
 「あと夢解きじゃな」
 IT巫女はそう言った。見た夢を霊的に解釈するらしい。
 「何か仕事があれば、請け負うぞ」
 操作していたPCから視線を上げると、老いた巫女は言った。
 「……それでは一つ、IT系で頼みたい事があるのですが、よろしいですか?」
 政治家の秘書はIT巫女に仕事を頼むと、お祓いを受けて、帰る事にした。
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード46

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