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都会の小聖

 ニートの朝は早い。朝五時半に起きて、昨日の遅れから取り返す。
 とうとう自己ノルマを周回遅れしてしまった。スケジュールを挽回しなければならない。
 窓のカーテンをさっと引いて、差し込む目玉焼き色の朝日に軽く拝礼すると、まずはPCを立ち上げる。同時にスマホでアプリも立ち上げる。『鳥リンゴ』だ。
 立ち上がりが遅い。コミカルに描かれた緑色の林檎と梟のイラストをじっと見つめる。足元で毛長種の猫ヒマラヤンが鳴いていた。ニーナだ。手を伸ばして、軽く頭を撫でる。
 早速ランキングをチェックすると、やはり順位を落としていた。
 夜中の間に、海外の連中が動いて、再びニートを抜き返していた。
 いつもの上位ランカーたちが並ぶ。どのランキングをチェックしても首位から転落している。
 やはり幾つもの戦場を抱えて、マルチに戦うのは限界がある。
 最近、どの戦線でも、トップを維持するのが難しくなってきている。
 今相手している上位ランカーたちは、恐らく単独の戦場しか抱えていない。
 流石に不利だった。だがそれだけに闘志が湧き上がる。朝活ボーナスで順位を取り返そう。
 ニートはUnit2の「季節」を選んで、デイリークエストを開始した。
 
 以下の文を読み上げて下さい。
 📢 Joyeux Noël!
 タッチして話す
 発話は飛ばすを選択する
 
 迷わず飛ばすを選択した。部屋でいかなる声も出さない。これは鉄則だ。ニートはいかなる事態に直面しても、沈黙しなければならない。すぐに次の問題が現れた。
 
 以下の空欄を選択して下さい。
 C'est bientôt Noël ?
   C'est Noël maintenant!
 Oui!
 Non!
 
 ニートは迷わず、Ouiを選択し、送信する。正解音が鳴り響き、意味が展開される。
 「もうすぐクリスマス?」
 「うん!今クリスマスだよ!」
 その後も問題なく、設問を突破していく。この辺りは寝ぼけていても間違えない。
 だが次の設問で一瞬、立ち止まって、貴重な時間をロストした。
 
 以下の語句から必要なものを選択して、和訳を作りなさい。
 Une chatte blanche mange un gâteau.
 黒 ケーキ の 猫 に 食べて 白 が います 一個 を 
 
「白猫が一個のケーキを食べています」と選んで送信した。正解音が鳴り響く。
 いや、待て。これはおかしくないか?猫はケーキを食べるのか?このアプリはAIで、問題を自動生成するので、またテキトーな事を言っていないか?
このアプリは、しばしば自然界に存在しない事象を設問して、回答を求めて来る。
 思わず、PCにタイピングした。キーボードもフランス語モードに切り替える。
 インターネット上、無数の画像が出て来た。白猫が口を開いて、ガトーを喰らっている。
 最近の猫はガトーも食べるのか。知らなかった。勉強になった。また知識が一つ増えた。
 その後、フランス語でランキング一位を取り返すまで、アプリをプレイし、反す刀で英語と中国語(北京語)もやった。無論、首位を奪回するまでプレイする。
 全て無料モードでやっている。当然ノーミスだ。間違えたら、直ちにゲーム・オーバーになるので、それなりにキツい。どんなに簡単な問題でも、数をこなすと軽く死ねる。
 ただこのアプリのいいところは、回答に制限時間がない事だ。だから慎重にやれなくもない。だが人にはリズムというものがあり、やはりそれなりの速度でやってしまう。罠だ。
 日本語モードだと、あと韓国語もあるが、こちらはまだ手を付けていない。それよりも英語モードで全く別の言語をやろうか迷っている。現代ギリシャ語とか、アラビア語とか、文字コードからして異なる言語も学習する事ができる。これは魅力的だ。しかも全て無料だ。
 ニートにとって、無料アプリとは、空気、水、端末、ネット回線に次ぐ、重要インフラだ。これがないとニートとして、活動できない。
 ニートとは極力金を掛けず、極力外出せず、部屋で沈黙し、世界を観照する者に他ならない。
 アプリをプレイしながら、ふとPCでニュースを見ると、東京で米騒動が起きていた。
 令和の米騒動だ。どうやら地方都市でも起きているようだ。人々が長蛇の列を組んでいる。
 北海道情勢を受けて、お米の買い占めを防ぐため、政府がお米の配給制を決定した。
 これに対するリアクションのようだが、江戸時代みたいな騒ぎにはなっていない。
 近頃の日本人は大人しく、従順なので、お上の決定には模範的によく従う。
 だが裏で、国民を監視する偵察総局が動いているようだ。
 最近、偵察総局なる省庁が日本政府内に突如出現したが、政府の発表によれば、数年前から別の名前で存在しており、ちゃんと予算も組んでいたと言う。
 あれ?そうだったかな?と国民は不思議に思い、すぐに分からなかったのだが、去年の表と比べて判明した。デジタル庁だった。これが偵察総局に化けていた。どういう事か?
 政府の説明によれば、これも北海道情勢を受けての対応で、大陸諸国との連携を深めるために、数年前から準備を進めて来たと言う。国民は特に驚かず、沈黙した。
 同時期に警察組織内でも、近年まれに見る動きがあり、特警なる派閥が出来た。これは一体何なのかまだよく分からないが、とあるサイトで見た解説によると、Z〇ンダムで言えば、テ〇ターンズに相当するらしい。だが警察内で派閥ができるなど、本来あってはならない筈だ。
 しかし表向きには、北海道情勢を受けて、政府のシビリアンコントロールから離れた北海道の4個師団に対応した動きだとも言われている。現在、日本国内の内圧は高まっていた。
 お昼までに、アプリのノルマを終わらせると、ニートはYou Tubeを開いた。
 NBC、FOX、CNNの順番で、アメリカの動画ニュースを眺めて行く。今日もレ〇ター・ホールトは左手をポッケに突っ込みながら報道し、タ〇カー・カールソンが、いつもの激しい調子でまくしたて、ア〇ダーソン・クーパーの銀髪が眩しかった。
 余裕があれば、イギリスのBBCも覗いておく。女王陛下は元気か?
 その後は、TV5MONDE、フランス24、Géopolitis、ARTE(独仏共同)などを見る。
 特にTV5のジュルナルアフリックは欠かさない。西アフリカの情勢が分かるからだ。無論、アンテルナショナルも押えておく。時々、日本も報道されるが、イスラム圏の動きも分かるので重宝している。フランス語放送は、ムスリムがいつラマダンに入ったとか伝えてくれる。
 最後に北京語で中国中央電視台を見る。中南海の様子を見る。大紀元時報や新唐人電視台も見る。華僑の動きも見る。広東語だが、繫体字なので、記事は読めなくもない。
 ニートは部屋に居ながらにして、世界を手にしつつあった。
 英語、フランス語と順調に足場を広げ、中国語に手をかけ始めた辺りから、情報量が限界突破し始めて、四つの視点で、世界が見れるようになった。これは凄かった。
 無論、You Tubeにも検閲があり、情報は完全ではないが、外国語だと分からない事も多いのか、小さいチャンネル、再生数が低い動画だと、AI的な自動検閲しかできていない。
 だが最近、ニートが外国語で一番追っている情報は、宇宙人だった。
 というのは、少し前に宇宙人の夢を見たからだ。これは本当に凄かった。まさに啓示だった。眼が覚めた時、あまりの衝撃に、しばらくの間、作業が何もできなかったほどだ。
 今では、夢とは言え、本物の宇宙人に会ったと思っている。……頭がおかしいか?
 特に一番、印象が残っているのは、赤や黄色の与圧服を着た半魚人たちだった。
 気が付いたら、なぜか地球周回軌道上の宇宙船の船内のような場所にいて、シアタールームに似た会議室に案内され、様々な種類の宇宙人たちと一緒に、現在の地球の情勢について、司会者の解説を聞いたり、宇宙のパネリストたちとの討論を見た。
 自分がなぜこの場に招待されたのか、最初は不明だったが、そこで語られる言葉は母語的に分かり、議論の内容も理解できた。というか、普段自分が追い掛けている話ばかりだった。
 じきに、自分はここに座る資格はあると思った。前提となる情報は全て掴んでいたからだ。
 そして宇宙人たちが、地球の行く末を心配しており、かなり懸念を抱いている事が分かった。
 時々、地球人が演台に立つ事もあった。自分以外でも日本人もいた。You Tuberもいた。
 誰かが話を終えると、ヒューマノイドの宇宙人たちは、地球人のように拍手をするのだが、一部の者たちは、身体的に拍手ができないので、代わりに別のボディ・ランゲージをしていた。
 ニートの右斜め前に、赤や黄色の与圧服を着た半魚人たちが集団で座っていて、会場で拍手が起きると、上体をダンスのように揺らして、歓迎の喜びを示していた。
 最初、あれは何をやっているのか、分からなかったが、じきに拍手の代わりだと分かった。
 そして夢から醒めて、あの半魚人たちについて、長く考えた。
 お互いヒューマノイドであれば、コミュニケーションに、それほど苦労はないかも知れない。だが半魚人みたいに、デミ・ヒューマンだと、お互いかなり差がある。だから理解を妨げるものも多く、理解し合うのが大変だと実感した。
 それでも、お互い歩み寄って、人間のように拍手できないなら、別の表現方法で補って、相手に合わせようとする姿勢は、宇宙の礼儀というか、彼らなりの流儀で、相互理解をしようとしているのだと、ニートは気が付いた。いい宇宙人は存在する。悪い奴もいるかも知れないが。
 恐らく宇宙では、こういう流儀で、やり取りしているようだと認識した。
 スペース・ブラザーズという考え方は、宇宙の「礼」として、確かにありそうだと思った。
 だがふと疑問が生じた。果たして、自分の心は、本当に宇宙にまで届いたのだろうか?
 外国語をひたすらやり続け、情報量が限界突破した辺りから、認識力の拡大のようなものを感じ始めた。そしてPCの画面を見ていると、時々おかしな現象も起き始めていた。
 以前、NBC Nightly Newsで、テキサスのハリケーン被害が甚大で、番組の開始と共にいつもの音楽ではなく、ちょっと不吉で悲しいメロディーが流れた事があったが、その時、PCの画面から、冷たい風が吹いて、ニートの部屋の照明が全て落ちた。
 冷蔵庫の扉を開けて確認したが、電源は落ちていなかった。ブレーカーも落ちていない。
 あれは一種のポルターガイスト現象か、心霊体験だったかも知れないと今は思っている。
 ニートは、とうとう自分もおかしくなったのかと内心嗤(わら)った。
 大聖は街に住み、小聖は山に棲むと言うが、ニートは街にいながら、後者の境地に近づいているのかも知れない。大都会のこの部屋は、どんな山よりも深いかもしれない。都会の小聖か。
 今なら、仙人でも、花咲爺でも、サンタでも、半魚人でも相手にできそうだった。
 ふと足元で家猫のニーナがこちらを見つめて、鳴いていた。
 ああ、また心配させてしまったらしい。作業に戻らないといけない。ニートは椅子を引いた。

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード7

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