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シン・松岡洋右の誕生

 世間では、台湾防衛戦で、合衆国とその同盟国が、勝利したと報じられていた。
 15,000発の巡航ミサイルが、大陸沿岸部に着弾して、人民解放軍が積み上げていたサプライを全て焼いた。継戦は不可能となった。米空軍の新戦術、ラピッド・ドラゴンだった。
 当日、ハワイ、グアム、沖縄から、300機以上の米軍輸送機が飛び立ち、台湾に向かった。最初、人民解放軍は大規模補給作戦と考え、台湾近くで、戦闘機による迎撃を試みた。だが大輸送機部隊は、空中で物資を投下して、途中で引き返してしまった。戦闘は起きていない。
 しかしこの時、投下したのが、専用ケージに入っていた巡航ミサイルだった。それが大陸沿岸部の東部戦区を襲った。結果は、人民解放軍の大惨事で、合衆国にとっては、大勝利だった。なお米空軍から、費用対効果も発表され、被害額はミサイル代を上回るとされた。
 欧州大戦初年で、北方の大国が消費した巡航ミサイルは5,000発。それの3倍のミサイルを合衆国は1日で消費した。使用期限切れのミサイルを纏めて、処分する狙いもあった。
 それにしても、相変わらず、やる事が凄いというのが、合衆国の評判だった。だが大勢は完全に決した。大陸は台湾にもう手が出せない。大陸の覇権は潰え、共産党は敗北した。恐らく、国の体制も揺らぎ、五大戦区内で争いが生じて、大陸は四分五裂するかもしれない。
 それにしても、大陸は合衆国を見誤っていた。台湾防衛戦で甚大な被害が出れば、米軍は後退すると読んでいた。その目標ラインが、米空母二隻の撃沈だった。だから核魚雷で津波を起こして、アメリカ第七艦隊を葬った。だが結果は逆で、米軍は燃え立った。
 太平洋戦争の時、帝国海軍が犯した過ちと同じだった。あの時も、合衆国は真珠湾奇襲による大損害で、戦意を失うどころか、逆にRemember Pearl Harborという呪いの合言葉まで作って、反撃してきた。アメリカ人は感情的な人たちだった。大陸は敵を見誤っていた。
 沖縄・台湾問題は収束に向かっている。沖縄はまだ米軍の施政下にあるが、それも台湾防衛戦のためにそうした側面が強い。戦いが終われば沖縄は返還されるだろう。世間ではそう言われていた。そして残された問題は、北海道情勢だった。例のミストラル級強襲揚陸艦二隻だ。
 上陸された町は相変わらずで、武装したロシア語の話者たちが、中隊規模で駐屯している。
 この問題は、記録的な速度で、倒れて行った歴代の内閣で、話し合われたが、答えが出なかった。日本は欧州大戦の初年、時の内閣の判断で、西側に味方して立った。旗幟を明確にした結果、北方の大国から、総理大臣以下、大手マスコミに至るまで、出禁を喰らった。
 つまり、外交の扉が閉ざされていた。誰もモスクワに行けない。それが問題だった。解決策が模索され、二通りの案が出された。一つは、東京都知事による電撃訪問。日本政府としては、あの都知事に頭を下げるのは業腹ものだったが、この若者は世間の期待も大きい。
 だが肝心の本人が断ってきた。曰く、テロリスト、国家犯罪人とは、交渉はしない。これは国際社会の大原則だと言っていた。一つ目の案はこうして潰えた。二つ目の案は、日本国全権大使を選んで、モスクワに送り込む案だった。これは可能だった。禁止リストに載っていない。
 問題は誰が、その日本国全権大使をやるかだった。あの東京都知事でさえ、見送った役回りである。今、この重責を担える政治家が、日本にいるとは思えなかった。当然、与党内で激論が起きて、日夜、東京大深度地下政府は、上級国民で賑わっていた。
 ここに奇怪な噂が流れていた。話は与党筋というより、外務省筋からだった。北方の大国の大統領が、国連の安全保障理事会の乱闘動画を見て、笑ったというのだ。現代の最悪の独裁者、戦争犯罪人、欧州大戦の侵略者、イワン雷帝の再来と言われたあの大統領が笑った?
 大陸の国連大使に椅子を投げて、KOした動画を見て、当該人物に強い興味を持ったらしい。そんなバカな。そんな事がある訳がない。だが誰もあの犯罪者相手に、交渉などしたくない。後世に汚名が残る。だったら、あの議員一年生でもいいじゃないか?という噂が流れていた。
 打電は割と早い段階で来た。議員一年生は即断で、日本国全権大使を引き受けた。北方の大国と北海道情勢を協議する。問題を解決する腹案もある。この状況は予め読んでいた。
 議員一年生は、一つの答えに達していた。日本を救う究極の一手。だがそれは世間から見たらとんでもない一手であり、後にシン・松岡洋右(注63)の誕生とさえ言われた。議員一年生は怒った。寄りによって、歴史上、一番大嫌いな人物と一緒にされるとは!
 だが世間というものはうるさい。本人の思惑とは関係なく、そう見えれば、そう見るのである。とにかく、日本国全権大使として、モスクワ入りする。出発前、総理大臣から言われた。
 「……頼むから、椅子だけは投げないでくれ」
 日本国全権大使はタラップ上、笑顔で振り返った。
 「総理、辞任をお覚悟下さい。日本国民には、必ず吉報をもたらしますので」
 総理大臣の泣きそうな顔が忘れられない。日本国全権大使は機上の人になった。モスクワ入りすると、すぐに北方の大国の大統領と協議に入った。大統領は遅刻の常習犯で知られていたが、念には念を入れて、かなり早めに会議室に入った。だが驚いた事に、大統領は待っていた。
 戦争前、共和国の大統領と使った例の5mの白いテーブルだ。もの凄い距離がある。
 「……これくらい離れていれば、君が椅子を投げても、私に届かない」
 大統領はご機嫌だった。意味が分からない。よい兆しか?両者は着席すると、すぐに始めた。まずこれだけは訊かなくてはならない。宗谷海峡、日本海側で起きた戦闘だ。
 「最近、ラ・ペルーズ海峡(注64)近くで、海上自衛隊の一個護衛隊群が、超極音速魚雷で撃沈されました。閣下はこの件について、何かご存じですか?」
 「……それはどういう意味か?ラペルザ(注64)の戦闘なら聞いているが?」
 「超極音速魚雷は貴国のものではないか?」
 大統領は、全く関心がない様子を見せた。
 「……ああ、その事か。それは我が国のものではない」
 額面通りに受け取るなら、これで謎がますます深まった。大陸でもないだろう。
 「……疑うならまず我が国ではなく、合衆国を疑いたまえ」
 大統領はそう言った。確かにあとは、合衆国くらいしか思いつかない。
 「……超極音速魚雷など、我が国にあれば、とっくに使っている」
 欧州大戦でも、東西勢力が激突した海戦は発生している。超極音速魚雷は確認されていない。
 「再確認するが、貴国は海上自衛隊を攻撃していない?」
 「……私は命じていない。報告も上がっていない」
 謎は深まったが、ここからが本論だ。最低でもこの目標は達成しないといけない。
 「北海道に上陸している貴国の部隊を即時、撤退させて欲しい」
 「……それは私から極東軍管区に伝えよう。だが彼らにも考えがある筈だ」
 「閣下は、極東軍管区の一司令官の問題だと考えている?」
 「……私は承認した。委細は極東軍管区に任せている」
 「極東軍管区の考えとは?」
 「……当然、我が国の国益だろう。彼らも我が国のためにならない事はしない」
 「貴国の軍隊が、目的を持って、我が国の領土に侵入したと理解するがよろしいか?」
 「……現在、我が国は貴国と平和条約を締結していない」
 第二次世界大戦から、まだ戦争状態が終わっていないと言いたいのだろう。想定済みだ。
 「我が国も自衛権はある。今のところ、日本政府は防衛出動を出していない」
 大統領は黙っている。戦闘自体は容易く勝てる。だが問題はその後だ。確実に戦争になる。
 「我が国は貴国との戦争を望んでいない」
 「……では貴国が西側に送った装備はどう説明する?貴国はNATO加盟国でもないのに」
 欧州大戦で日本政府は西側に立ち、防弾チョッキ等、自衛隊の装備を送っている。だがNATOが最初に戦車を送った時、日本は見送った。そして第二陣で戦闘機が送られた時も、日本は見送った。さらに第三陣がNATO加盟国で議論された時、これ以上、遅れる訳には行かないと、日本も戦車を送る事が決まった。最新の陸自の10式戦車だ。訓練はもう始まっている。
 東西勢力干渉地帯から、ジェットスキー大統領も来日して、訓練の様子を視察している。
 「我が国は自衛隊の装備をもう西側に送らない。戦車も取り下げる」
 最初の勝負に出た。勝ち目は十分ある。
 「……いいだろう。私から極東軍管区に部隊の引き揚げを命じる」
 この取引は、向こうに利益がある。お釣りが出るくらいだ。乗るのは当然だ。
 「……だがいいのか?あのカーキ色の道化師はどうする?」
 「構いません。私は全権大使です。この交渉を日本から任されている。そこで本題です」
 大統領が不審な顔をした。これが本題ではなかったのか?という顔だ。
 「我が国と貴国の間に横たわっている根本問題の解決です」
 日本国全権大使がそう言うと、大統領はあまり関心がなさそうな顔をした。
 「……ああ、その事か。その事なら、亡くなった貴国の元首相ともう散々話した」
 「我が国は貴国と平和条約を締結したい」
 「……貴国と平和条約を締結して、我が国にどのような利益がある?」
 今、日本の未来の扉を開く。神仏よ。我に力を与え給え。御心あれば、両国を和解させ給え。
 「日米安保を更新せず、現在の期間で失効させます」
 沈黙が訪れた。一世一代の大勝負だ。乗るか?反るか?大統領は考えている。
 「……それは貴国が合衆国と同盟を終わらせるという事か?」
 「我が国は現在、沖縄県の施政権を失っている。米軍が管理している。これは重大な侵犯です。米軍及び合衆国に問い合わせたが、ご存知の通り、連邦政府は休業中という回答だ」
 大統領は微笑んでいた。合衆国連邦政府が、借金で予算が立たず、本年度は休業中というのは茶番だが、茶番は茶番で意味がある。日本は今、在日米軍の予算を100%負担している。
 「……なるほど、理由はあるという事か。だが台湾では共に大陸と戦った」
 「台湾が落ちれば、沖縄が危機になる。沖縄が落ちれば、九州が危機になる。利害の一致です。だが台湾で、共同に戦うためとは言え、我が国が、沖縄を合衆国に渡す理由にはならない」
 「……いいだろう。貴国と平和条約を締結する。旧敵国条項適応も取り下げる」
 大統領は拍子抜けする程、あっさり言った。だがそれには十分な理由がある。欧州大戦から日本を引き離す事は、西側の結束を乱す重大な一手となる。数年後、合衆国も日本から離れるというのも大きい。北方の大国にとって、悪い事は何もない。北方領土の話もしていない。
 「つきましては、日本全国で止められているロシア語会話教室も再開させます」
 今回の交渉で優先順位は低いが、これだけはどうしても伝えたかった。大統領は笑顔だった。
 「……私ももう一度、日本語を勉強して、日本人の奥さんでも、もらおうかな?」
 こういう男だ。柔道の黒帯は返上しているが、心はまだ日本に残してあるようだ。
 帰り道、異例な事だが、大統領は日本国全権大使についてきた。駅で見送りをするらしい。これは全世界で報道された。日本と北方の大国が、平和条約を締結すると言う。大ニュースだった。だが問題はその後起きた。大統領と日本国全権大使のツーショット写真だ。
 写真の構図が、ソビエト連邦共産党書記長「鉄の人」と松岡洋右の写真とそっくりだと言われた。1941年、松岡洋右は「鉄の人」に気に入られて、日ソ中立条約を締結している。これはあの時の再来だと言うのだ。無論、日本国内は大騒ぎになった。これは西側に対する重大な裏切りであり、日本は東側に走ったのかと。日本国全権大使は、非難轟々の祖国に帰った。

注63 松岡洋右(西暦1880~1946年)1940年7月22日~1941年7月18日 外務大臣
注64 La Pérouse Straitは国際名。英語表記。日本名は宗谷海峡。ロシア名はラペルザ。

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード90

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