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玄奘、カシュガルを通過

 一行は再び、西域に戻って来た。
 だが往路と同じ道を、選ばなかった。
 それには理由がある。玄奘、カシュガルを通過だ。
 玄奘たちは最初、高昌(トルファン)に立ち寄ろうとした。
 18年前、約束した。天竺からの帰路、必ず立ち寄ると。
 だが高昌は、唐の太宗によって、滅ぼされたとカシュガルで聞いた。
 「……そんな」
 若い従者は、茫然としていた。彼は高昌人だ。
 「戦国の世とは言え、あまりに惨い。高昌王も果てたか」
 玄奘は顔を上に向けた。女の童も哀しそうだ。
 若い従者は、完全に思考停止している。故郷を失ってしまった。
 「どうする?長安まで行くか?」
 玄奘は、この若者なら、面倒を見てもよいと思った。
 若い従者は、すぐに判断が付かなったのか、曖昧に頷いた。
 「……ねぇ、トルファンって確か、例の妖怪BBAがいた国だよね」
 猿渡空がヒソヒソ声で言った。ブタの💝様が頷いた。
 「……ああ、そうだな。だがそれがどうした?」
 高昌国の王妃が、画皮妖怪に成り代わっていた。
 「……亡国の妖怪ですか。復讐して来ますかね?」
 河童型宇宙人も嘆息した。無駄に恨みを買った可能性がある。
 「陛下にも困ったものだ」
 玄奘も思わず呟いた。これは愚痴だったかも知れない。
 
 それから一行は、天山南路ではなく、西域南道で帰る事にした。
 距離的に最短であるからだ。だがロプノールが干上がり、水がない。
 だから楼蘭から敦煌まで、水補給なしで行くしかない。難路だ。
 中央には、死の砂漠が広がっている。渡る事はできない。
 「ねぇ、この砂漠、何て言うの?」
 青天の下、猿渡空が尋ねると、河童型宇宙人が答えた。
 「……タクラ・マカン砂漠だよ」
 「タクラ・マカン?」
 猿渡空が口真似をすると、河童型宇宙人は伝説を語った。
 「……気が遠くなる程、遥か昔、この地には大都市があったんだ」
 思わず砂漠を見渡した。信じられない。猿渡空は振り返った。
 「それがタクラ・マカンなの?」
 「……ああ、そうだ。今も砂漠を渡る蜃気楼で、その姿を見れる」
 高層ビルが林立する超近代的なビル群だ――意味が分からない。
 「……死の光という兵器で滅びて、砂漠化したんだ」
 河童型宇宙人は静かに言った。皆、黙っている。
 「死の光?兵器?」
 ちょっと信じられない。現代の話ではないのか?
 「……古代核戦争だよ。インドにも伝わる。『ラーマーヤナ』とかな」
 この星の砂漠地帯の多くは、滅びた過去の文明の跡地だ。呪われている。
 「名前だけ残っているの?」
 「……ああ、そうだ。アトランティスも、名前だけ残っただろ」
 この星の砂漠、氷河の下、淀んだ海の底には、過去の文明が眠っている。
 
 一行は夜、連なる砂丘の月明かりの下、休んでいた。
 「……この『ケサル王物語』という英雄叙事詩は面白いな」
 河童型宇宙人が、赤い岩波文庫を手に取っていた。皆、注目する。
 「何だ?それは?どんな話だ?」
 ブタの💝様が尋ねた。すると河童型宇宙人は芝居がかった言い方をした。
 「……我こそは天界では神、地上ではケサル王、仏敵を滅ぼす者なり!」
 チベット仏教の神話だ。前世の怨念を抱いて地上に転生した仏敵と戦う。
 「その仏敵って、一体何なんだ?何でそんな奴らが存在するんだ?」
 これまで、玄奘の旅を護衛してきた。とにかく奴らは異常にしつこい。
 「……仏敵とは、悪魔や妖怪ですが、元は人間です。悪魔は地獄行きで、転生しませんが、妖怪は現世に転生して来ます。だから厄介です。人間に紛れているので、分からない」
 河童型宇宙人が解説した。妖怪は悪とは言い切れないが、善でもない。
 「妖怪は転生者なのか。地上に肉体を持った存在としている?」
 ブタの💝様は驚いていた。霊体の一種だと思っていた。
 「……いや、霊体もいるが、肉体を持って、生まれて来る事もある」
 仮初めの体を持って限界する事もある。女の童もそういう存在の一つだ。
 「……妖怪は計画性があり、身内に転生して内部から切り崩してきます」
 妖怪は怨恨があり復讐してくる。あと妖怪の厄介さはそのステルス性か。
 「……妖怪はとても狡猾で、しつこく、敵味方の識別が困難という事だ」
 河童型宇宙人が答えると、ブタの💝様は、不機嫌に鼻をブウと鳴らした。
 「……妖怪って一体何だ?」
 ブタの💝様が尋ねると、河童型宇宙人は考えた。
 「……元人間ですが、偽我の塊でしょうね。人生を誤魔化した者がなる」
 男でも女でも、過度な自己愛に陥る者がいる。偽我で人生を取り繕う。
 他者に対して残虐でなければ、死後、悪魔ではなく、妖怪になる。
 「……人間の成れの果てか。大体人型で、変形しているしな」
 ブタの💝様はそう言った。この後、妖怪BBAとの戦いがあるのか。

 その都市は無人だった。楼蘭だ。水がない。
 放棄されて、まだそれほど時間が経っていない。
 往時であれば、そこかしこに、炊事の煙が上がっていたに違いない。
 城壁が綺麗なだけ、無人である事が際立った。立ち寄る予定はない。
 「……何か聞こえる。歌?」
 若い従者が歩みを止めた。そしてそちらに向かって、歩いて行く。
 「おい!待てよ!どこに行く?」
 ブタの💝様が声を掛けた。ちょっとおかしい。
 だが若い従者は、吸い込まれるように、楼蘭に入って行った。
 「どうする?」
 「……ほっとけないでしょう」
 猿渡空とブタの💝様が、そんな会話をしていた。
 二人が駈け出すと、女の童も玄奘を見上げた。
 「確かに何か聞こえる。中に入ろう」
 玄奘がそう宣言すると、一行は楼蘭の中に入った。
 戦乱で破壊された訳ではないので、綺麗な街並みのままだ。
 だが完全に鬼城となっている。不気味だ。
 そして歌が聞こえる。微かだが風に乗って聞こえて来る。
 ――楼蘭(ローラン)の歌?いや、これは高昌(トルファン)の歌?
 見ると、広場に若い従者が立ち尽くしていた。
 茫然としている。若い女が歌を歌っていた。
 「……妖怪BBA!」
 猿渡空はスマホを真横にかざすと、一瞬で霊装を纏った。
 ブタの💝様も猪八戒に変身する。すると金角銀角が打ち掛かってきた。
 「……しつこい奴らだな」
 たちまち戦闘が始まった。だが妖怪たちの形勢は不利だった。
 河童型宇宙人も沙悟浄になった。見た目は変わらない。様子を見る。
 「玄奘。お前が憎い。来世、来来世まで呪ってやる!必ずだ!」
 高昌国の元公主は、髪を振り乱し、爛々と輝く瞳を燃やしていた。
 「……それは国が滅びた事を言っているのか?」
 「そうだ!知れた事よ。何を言う!」
 それは唐の太宗の責任だ。玄奘のせいではない。
 「……拙僧は仏法を拡げるために、西天取得の旅に出ただけだ」
 「お前が来なければ、高昌国(トルファン)は滅びなかった」
 それは関係ない。だが画皮妖怪は叫んだ。
 「我らは戦った。小乗を捨て、敵を討った」
 玄奘は僅かに動いた。一瞬、王の顔が見えた。麴文泰だ。
 殺生戒を破ったのか。いや、国を守るためなら、仕方ない。
 「だが滅びた。なぜだ!大乗に切り替えた仏教国なのに!」
 「……それは戦力の差、味方の有無、形勢の妙でしょう」
 沙悟浄が玄奘に代わって答えた。
 「違う!小乗だろうが、大乗だろうが、仏法では国は守れぬ!」
 高昌国の元公主は、血染めの衣装を振り乱した。玄奘は沈黙した。
 史実としては、高昌は麴文泰の子、麴智盛の代で滅びた。
 当てにしていた西突厥が来ない事が分かると、投降してしまった。
 戦らしい戦も起きていない。仏教が盛んなため、民も戦を嫌った。
 だが一部の王族は抵抗した。その中心は、元公主だ。
 金角が孫悟空に打ち負かされた。銀角も猪八戒に敗北する。
 二人とも体から小さなシャボン玉が飛んで、砂のように崩れて消えた。
 「……国はいつか亡びる。諸行無常だ。永遠の国はない」
 玄奘は言った。そして目を瞑った。カピラヴァストゥも滅びている。
 「……大乗が言う一切衆生救済とは国家ではなく、社会を救う事だ」
 「ああ言えば、こう言う!」
 その画皮妖怪は怒り狂っていた。沙悟浄が留めを刺そうと近づいた。
 不意に妖怪は走ると若い従者に飛びついた。あっという間の出来事だ。
 高昌国の元公主は死んだ。いや、彼女の霊体が若い従者に憑り付いた。
 高昌人だからか?その日を境に、若い従者は姿を消した。

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺052

『玄奘、長安に帰る』 玄奘の旅 18/20話

『玄奘、西天取経の旅に出る』 玄奘の旅 1/20話


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