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車輪の下へ

 その女子中学生は涙を流していた。
 動画を見ていた。手元のスマホに涙が落ちる。
 画面には不幸な女子高生の飛び降り自殺が、配信されていた。
 コピペではあったが、元のサイトに書かれていた長文も転載されていた。
 大元はもう消されたが、本人の拡散希望に応える形で、ネットに広がっている。
 自らの生い立ちから、訪れた不幸、そしてその最期までを綴っている。
 ……可哀想。
 女子中学生は涙を拭った。14歳だ。最も多感な年頃で、人生の中で、他人に対する共感性が最も高まる時期と言われている。そのため、異常行動さえ起こす事もある。
 女子中学生は気付いていなかったが、部屋に赤い目をした長い髪の女が立っていた。こちらを見ている。手を伸ばすと、女子中学生は動画を止めて、スマホで友達に電話を掛けていた。
 「ねぇ、今からURLを送るからこの動画を見て」
 「……え?どうしたの?」
 「いいから見て。それからこの人の遺書も送るね」
 「……遺書?」
 スマホの向こう側で、友達は驚いていた。
 今更何を驚いている。とにかく見て欲しい。早く。早く。
 あれ、私、何でそんな事を考えているんだろう?
 おかしいなと一瞬思ったが、すぐにスマホの操作に戻っていた。
 いつもより手が速く動く。超高速だ。まるで慣れた手順のようだ。
 程なくして、友達から反応が返ってきた。泣いている。ビンゴだ。
 「……可哀想」
 友達も心から泣いていた。そうだろう。こんな事があってはならない。許されない。
 「ねぇ、今から会わない?」
 時計の時刻は、8月31日午後4時42分を差していた。
 女子中学生の背後で、赤い目をした長い髪の女がほくそ笑んでいた。
 リセット・ザ・ワールド。何もかもぶち壊し、皆巻き込んでやる。死だ。
 だがデザインは必要だ。この子たちの運命は何と名付けようか。
 
 9月1日午前4時42分、その女子中学生二人は、駅のホームから、お互い抱き合って、転落した。スマホで撮影しながら、ライブ配信している。動画タイトルは「車輪の下へ」だ。
 電車は緊急放送で「急停車します。アテンション」と言ったが、間に合わず、女子中学生二人を轢いた。二人の人生は儚い花のように散った。真っ赤に咲いた新鮮な肉片を残して。
 駅のホームに黒くて薄い人影が立っていた。赤い目をした長い髪の女だ。ほくそ笑んでいる。先日ビルから飛び降り自殺した女子高生だ。スマホで自分の死をネットにライブ配信した。
 ふと視線を転じると、駅のホームに女子大生が立っていた。あれがいい。
 人身事故を近くで目撃していた女子大生は、震える手でスマホをかかげた。後ろに赤い目をした長い髪の女が立ち、肉片をスマホで撮影して、ネット配信させた。たちまち拡散する。
 そこで女子大生は悲鳴を上げて倒れた。赤い目をした長い髪の女は満足そうにしている。
 リセット・ザ・ワールドは進んでいる。全部破壊してやる。何もかもだ。このインターネットというものはよい。呪いの女にとって、それは格好の夜の森であり、スマホは呪いのわら人形だ。刺す言葉は釘となって、赤い血を流す。やがてそれは燃え上がり、血祭が始まる。
 その赤い目をした長い髪の女は、完全に怨霊と化していた。もはや女子高生でさえない。
 そんな怨霊を、駅のホームで密かに見ている別の影が二つあった。
 小柄で不吉な影だ。デス・サイズを持っている。傍らには黒い三角頭巾を被った処刑人が控えている。無論、誰も気が付かない。彼らの存在は、科学的じゃない。論理的じゃない。この世的には非存在。無だ。だが無は溢れて来る。世界の隙間から、世界の終わりに向けて。
 
 ここに、呪いの弁証法というものがある。
 弁証法(注26)とは、正・反・合の形を取って、論理展開するものを指す。大論理学だ。
 大論理学とは、小論理学を超えて発展した論理学というぐらいの意味だろう。形而上学の一種だ。小論理学では、心の鏡に映るものが対象とされ、有と言われる。存在論を扱っている。
 そして呪いというものを、大論理学の公式に当てはめて考えれば、こうなる。
 誰かを呪い(正)、人に反響し(反)、皆で炎上する(合)。ネットでお馴染みの血祭だ。
 そして最終的にそれは拡散して、さらに世界を破壊する。呪いの弁証法の完成だ。
 世界は自然発生したものではない。世界には世界性がある。物語だ。歴史だ。絶対者が紡いでいる。無数の物語を叙述し、並行世界さえ紡いでいる。無論、人類の幸福を補完するためだ。
 宇宙の光の扉を開けば、神秘が溢れ、宇宙の闇の扉を開けば、呪いが溢れる。
 人はどちらも見たがる。だが闇の扉は開くべきではない。閉ざすべきものだ。

 8月31日午後9時42分、その女子中学生は、友達に言った。
 「……ねぇ、こんな酷い世界、もうさよならしない?」 
 「うん」
 友達も虚ろな目で言った。夜の公園だ。二人以外誰もいない。いや、もう一人いる。
 赤い目をした長い髪の女だ。呪いの女となって、今も世界を駆け巡っている。
 「……もう、嫌」
 女子中学生は、公園の机にスマホを置いた。画面にはスレッドが映っていた。
 学校で叩かれ、塾で叩かれ、家で叩かれている。全てSNSだ。逃れる事ができない。一度迷い込んだら、出られない夜の森だ。みんなスマホを手に持ち、言葉を釘にして、呪いの藁人形に打ち込む。悪行だ。こんな事は止めた方がいい。世界のデジタル化、DXは地獄への道だ。
 「いくら気を使ってもキリがないよね」
 友達も疲れていた。スクール・カーストは存在する。すぐに村八分になる。
 「……ホント。すぐにマウントを取りに来る奴がいて、こっちも身を守らないといけない」
 女子中学生は嘆息した。SNS上の攻防が、そのまま現実生活に反映される。ホント疲れる。
 「ああ、〇〇、死んでくれないかな」
 友達がそう呟くと、その呪いの言葉は、黒い文字列となって、空に飛んで行った。コードだ。プログラムだ。人工言語だ。世界に書き込まれる。強い憎しみは、エネルギーがある。呪いだ。世界を破壊する。悪行だ。机に座る見えない三人目が微笑んでいた。無論、呪いの女だ。
 「……ビルから飛び降りたあの先輩、可哀想だよね。アレは酷過ぎる」
 女子中学生がそう言うと、赤い目をした長い髪の女の全身から、赤黒い光が増した。増量だ。
 「大人も酷いよね。おっさんって全部ああなの?」
 友達がそう言うと、呪いの女は、女子中学生の耳元に近寄って、そっと囁いた。
 「「……おっさんはいやらしい。必ず下心がある」」
 そうかもしれない。だがそうでない男たちもいる。修行者たちだ。童貞である事を誇る。心に理想の女を描いて、夢精する。真の紳士たちだ。両肘は瀉血の跡だらけかもしれないが。
 「何か男の人って嫌だね」
 友達はスマホで開いていた推しノートをそっと閉じた。
 「「……もう何も信じられないよね」」
 女子中学生は、隣に座る呪いの女を受信していた。口が同期している。口パクだ。
 「夏休みが終わるね――ずっとこのままだったらいいのに」
 友達は呟いた。今日は8月31日、夏休み最後の夜だ。二度と巡って来る事はない。
 「……エンドレス・エイトだったらいいのに」
 女子中学生は、指で8の字を横に倒して描いた。メビウスの輪だ。
 終わらない夏休みはない。全ての夏休みは終わる。終わらない夏休みは無限ループである。それはきっとある種の地獄だ。出口がない。悪無限だ。横に倒した8の字を描く。
 「明日は9月1日か。死んじゃおうっかな~」
 友達は言った。その笑顔は公園のライトで逆光だった。
 「「……そうだ。死んじゃえ」」
 女子中学生と呪いの女は完璧にユニゾンしていた。波長が同通していた。

 とある日の午後9時42分、死神美少女と三角頭巾の処刑人は、公園でエンドレス・エイト状態に入った女子中学生二名を見ていた。このあと決まって、二人で電車に飛び込む。ずっと延々と8月31日夜から9月1日朝を繰り返している。二人は自殺して迷った。不成仏霊だ。
 49日ルールも適応されない。お迎えの人も来ない。自殺は善行ではないからだ。
 二人は、もうどうしていいのか分からないから、同じ会話、同じ事を繰り返して、無限ループ状態に入る。人間なのに暴走したプログラムみたいな動きをしている。慣性の法則も効いている。まるで動画のように再生されているが、呪いで縛られたから、逃れられない。
 原因は、赤い目をした長い髪の女だ。元女子高生で、今は呪いの女だ。世界を破壊する。呪いの力で人を縛り上げて、地獄を作り上げる。悪霊だ。怨霊だ。一歩一歩、悪魔に近づく。
 公園から場面が変わり、駅のホームに変わった。二人が飛び込む。だが電車は運行している。あたかも何事もなかったかのように。二人は起きて、また公園に帰って行く。虚ろだ。
 死神美少女は嘆息した。それを見ると、三角頭巾の処刑人は言った。
 「……あっしは、あの電車の車輪って奴を見ると、どうしてもギロチンの刃を思い出していけねぇ。アレは刃の向きが、縦が横になっただけじゃないんですかい?圧倒的な社会の力で、人間の首を跳ねている事に変わりはねぇ」
 今は人口が増えて、機械が増えて、ネットという夜の森も広がっている。圧倒的な社会の力から逃れる事が難しい。職場、教室、政府、同調圧力、SNSだ。そしてDX化する。苦しい。
 「あのギロチンって奴は、どう考えても、自分から入っていく奴が多くていけねぇ。何で自分から入りたがる?便利だからか?楽だからか?あんなものない方がいい!」
 三角頭巾の処刑人は、吐き捨てるように言った。
 死神美少女は、赤い目をした長い髪の女を見た。呪いの女としてそこに立っている。
 「……お前は必ず救ってみせる!必ずだ!」
 デス・サイズを向けて叫んだ。そして黒衣を翻して、死神美少女は立ち去ろうとした。
 「私を救う?」
 その呪いの女はさも可笑しそうに嗤った。
 「意味が分からない。私はもう世界の一部で、そこの三角頭巾が言うギロチンの刃を回す歯車に過ぎない。あなたたちと同じ存在よ」
 死神美少女は立ち止まった。そして少しだけ振り返る。
 「……それは違う。お前には人を呪う心がある。悪行を為している。世界を破壊している。私たちは人々の悲しみを拾う者だ。世界を修復する方に立っている。回復者だ」

 注26 弁証法は哲学者ヘーゲル(1770~1831年)の考え方。『精神現象学』等に記述あり。

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード55

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