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『されどわれらが日々――』ノート

柴田翔著
文藝春秋社刊 420円(1971年当時の値段)

 さて次はどの本を紹介しようかと思いつつ、頭を巡らせていたら、この本のタイトルが浮かんできて、スライド本棚の奥の棚から引き出してきた。ガラス戸がついているのに、棚やこの本の天にも埃が溜まっていた。手に取るのは今の家に引っ越して来て本棚に収めて以来だろうから、おそらく四半世紀ぶりだろう。表紙の色も記憶より色褪せている。

 本の後ろ見返しを見ると、1971年5月14日と書いてある(購入日を書くのは私の習慣である)。ちょうど半世紀前に買った本だった。

 『されどわれらが日々――』は、1964年上期の芥川賞受賞作で、いわゆる〝大学紛争〟の中で〝学生運動〟に携わり生きてきた、あるいは運動に距離を置いてきた(ノンポリと言われていた)大学生たちの物語である。

 私の年代は、1960年代に始まった大学紛争の真っ只中は、まだ高校生であった。高校2年の時の修学旅行で、東京に来た時に引率の教師から「新宿駅方面には絶対に行くな」ときつく言われていた。あとで分かったが、「10・21国際反戦デー」を記念しての新宿駅周辺での左翼騒乱事件で、およそ1600人の逮捕者を出した。

 主人公の大橋文夫と遠縁の佐伯節子は、幼なじみで、かつ許嫁の関係で、ともに学生運動に携わっていた。この二人の関係の変化が大きくこの物語のプロットに関わってくる。
 仲間には党中央の活動方針の大転換で、茫然自失となり、最終的に生き方に行き詰まり自殺する佐野という活動家や、路線変更をどう解釈したらよいのか分からず離れて行く仲間がいる中で、自分というものの存在に自信が持てず自殺する優子という名前の女子学生などが二人の関係に、あるいは人生観に陰に陽に大きく影響を及ぼす。

 節子は憧れとともに想いを寄せていた野瀬という指導的立場にいた学生との関係と、幼なじみの文夫との関係を自問自答し、結局どうしてよいかわからないまま、文夫への思いを残したまま婚約を解消し遠く離れて行く。

 青春期の自我との格闘、ひりひりとした感性の衝突、自問自答、恋愛とは、男女の性とは、そして結婚とは、幸福とは、生死とは……学生運動という一つの思想的表現運動を巡っての男女学生たちの群像を緻密な心理描写で描き出した作品である。
 学生時代に何回も読み、今回半世紀ぶりに読み返してみて、自分がこの小説に影響されてきたことの大きさに改めて気づかされた。

 文中の佐野の曾根宛の手紙(遺書)の中で、恐怖のあまりにデモの列から逃げ、その後、党活動のこまごました実務に専念する自分の事を佐野は自嘲して次のように書いている。
「そのいわば手仕事的誠実さは、ぼくにとっては、思想的誠実さからの逃避だったのです」

 この佐野の手紙や、文夫への想いを残しながら送った節子の別れの手紙には胸を締め付けられる。今読み返しても重いテーマを我々に突きつけてくる。

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