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日常のエピソードを話そう

 FMぜんこうじラジオで話した内容です。みなさんこんにちは、マスク少しずつはずす方向にありますが、どうだろう?ある調査によれば必ず使用、出来るだけ使用で6割、高校生の間では「顔パンツ」と呼ぶらしい、マスクを外すことがはずかしいという現実もありますね。一度習慣となったものをはやめることは案外に難しいことを表している。マスクでコミュニケーションを取らなくなったという調査もある。その結果悩む人も増えている。だからこそ、コミュニケーションが必要だともいえる。
 ある医療施設で挨拶しない、しても返してくれない、休憩時間に話をしない、皆それぞれのスマホで会話ない、どうしたら良いのでしょうと相談受けたことがあります。
全員集まってもらい、お互いに普段どう感じているか全員が全員に対して簡単なメッセージを書いてもらい、交換。お互いに開いたオープンな窓を少し開けてもらって感想言い合う中で出てきたのは本当は話がしたい、というものだった。スマホやるのはある種回避行動。うまく話しかけられない、遠慮したり、神経使ったり、そうしたことを回避するためにスマホに回避していたんだということですね。そんなところから明日からは笑顔で明るく元気に挨拶しよう、これが自然ですよね。

毎月1回第3日曜日市民が集まり心問題に係わる勉強会を地元の社会福祉協議会で行っています。6月で303回、25年、多くて10数人。導入は前回からの出来事や、気づいたことの近況を話してもらっています。そこで感じたことが今回のテーマです「エピソード話そう」 
人の人生、エピソードで成り立っている気がする。ある出来事があって、それについて回る人間関係、家族や友人の話ということになります。
日常のエピソードを上手に語る人は誰だと思いますか? それは幼い子供!「今日保育園であるいは学校で、こんなことがあったんだよ…」お母さんに向かって話しかける。お母さんはそれを聴いて、少し解釈をして、言葉を返す。そうやって子供たちは育ってきます。子供や家族が帰ってきて話し始めたらしっかり聴いてほしいですね。若いお母さんはスマホやらずに。もし、黙っていたら、これも信号ですから、「何かあったの」と聴いてみましょう。その一言で心のドアが開きます。

 人の日常は実はエピソードでいっぱいです。市民の集まり見ますと、男性は社会的な事件等に自分の感想、女性は先週の日曜日家族で旅行に行きました。ところが約束の電車の時間に娘家族がなかなか姿を見せず、お父さんは心配するやら怒り出すわで、そんな時にぎりぎり娘家族が間に合ってホッとした云々と女性はエピソードを語るのに長けてる感じがするけど? 定年退職したあと家にずっといる夫を見ていると腹立たしくなる等
 小説読むとこのエピソード中心に物語が出来上がっている。小説家の感性はそこなのでしょうね。
日常の中にエピソードはいっぱい、スマホの中ではなく、日常のエピソードに目を向けて対話することが大切だと感じます。市民の集まりが月1回で300回以上続いているのも井戸端会議のようなエピソードを語り合う場となって吐き出しているからなのかもしれないと思っています。そこに少しだけ、社会情勢や心理的なことを入れて学びも入れているだけなのですが、そんな場が必要なのかもしれない。

家庭はエピソードを語りあう場であったはず。そこで批判、比較、説教せずにエピソードを語りあうだけでいいような気がする。話を聴いて、うなずいて、相づちうってそれで充分なのだと思う。その証拠にエピソードをたくさん語り合う家庭で育った子供はとても創造的で問題解決能力が高く、ストレスに強いという研究もある。
 
 「日常のエピソードをたくさん話そう」
 これからは人間性回復の時代だと思います。こんな時は女性が主役かもしれない。社会に関心を持ち、子供や孫のことを思いエピソードテラーになってほしいと思います。女性の感性が人間性回復の扉を開ける気がする。
 

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