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☆本#251,252,253 男女差「夫の息子」「男の始末」藤堂志津子著、「不自由な心」白石一文著を読んで

ふたりの作家がとても対照的な作品。ふたりとも作家になって数年で直木賞と芥川賞をそれぞれ受賞しているけど、なるほど確かに直木賞を獲った藤堂志津子のほうがエンタメ系だと改めて思う。なんといっても、こっちのほうが読後が暗くない。

ふたりともさらっと不倫を描く点が共通している。
藤堂志津子のほうの女性主人公(30~50代)は浮気しても、のめり込まず自分主導で相手に別れを告げて、引きずらないタイプが多い気がする。比較的あっさりした理性的なタイプで、100万円ほどなら返済がないだろうという前提でポンっと相手(女性でも男性でも)に渡したりする。不倫相手も、同世代から10歳以上年下と様々。
一方、白石一文のほうの男性主人公(アラフォー)は妻子がいるも、妻とうまくいっておらず、不倫した10歳以上年下の女性を選ぶとか、別れても引きずるというか、暗い。本当かわからないけど、作家がアラフォーで妻子を置いて家を出て、その後知り合った15歳年下女性と事実婚中らしく、その設定が短編等で散見される。本人たちはそれからずっと一緒にいるようだけど、作品のほうのカップルは、別れたり、どちらか死んだり、妻の介護が待っていたり(その原因は自分)…。

「夫の息子」も「男の始末」は意外な結末を迎える。どっちも長編。
前者は30代女性が主人公。8年ほど不倫の末結婚するも、彼の第一優先は前妻との息子とわかる。30代の主人公は浮気で寂しさを紛らわせようとするけどばれて浮気相手と別れる。夫のほうも適当に浮気しているけど、結局意外な事実が分かり、別れて別の相手と再婚し、出産する。
夫の最優先は子供だった点がちょっと新しい。一方、白石一文のほうの男性主人公の子供との関係はあっさりしている。
後者は、藤堂志津子の作品ではあまり見かけない、なんというか流されやすく、迷いやすい(?)50代女性が主人公。むしろ珍しいタイプ。バツ2で、散髪屋やアパート経営をしている母親の家に同居している。母親のほうがビジネス的にやりて。父親の違う子供はすでに家を出ていて、40代で知り合った男性も住んでるけど、愛人でもなんでもなくただの同居人なので出て行ってほしいと思っているけど居座られている。で、子供たちのことや同級生のことやいろいろあって、この男を始末する流れで話は終わる。

藤堂志津子の初期の作品は、30代の女性が20代のふたりの男性と付き合うという、ある意味新しい設定で、自身を「公衆便所」呼ばわりの表現もすごいなとは思ったけど、その後の作品でもそういう女性主導的で女性一人に対し、男性二人というパターンが多い。けど、後者の作品はそれとはちょっと違う。

「不自由な心」は短編集。表題は、アラフォー男性が主人公。
妹が夫の不倫で離婚すると聞き、その夫が会社の後輩なので、不倫相手の20代女性と彼に、別々でそれぞれ話を聞く。先日読んだ自伝的小説で実の妹の離婚の話がちらっと出ていたので、それから創作されたのかと推測。
元さやに納まるよう説得するも、逆切れされ、離婚を認めた形で話は終わる。主人公も不倫経験があり、それが原因の事故で妻が半身不随となり、相手とは別れていた。

表題以外も、どの夫も不倫相手が過去にいたり…。別れた場合でも、心のどこかに残っていて、また会いに行ったり…。藤堂志津子の描く不倫した女性主人公はとらない行動をとる。
白石一文の作品を読んでいると、早くして結婚した男性主人公は早くに結婚したため、アラフォーで20代女性と出会い、こっちが本当の運命の相手だった的な流れが多いような気がする。
実は以前この本は読んだことがあったけど、内容を覚えていなかった…。アラフォー男性が主人公だったのもあると思うけど、共感できなかったから記憶に残らなかったのだろう。考えさせられる部分はあるけれど。生と死がテーマだったりすると。

藤堂志津子は村上春樹と同じ世代。白石一文はそれより11歳下。世代の違いも作品に投影されているのかな、所々。

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