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☆本#246 少し不幸であること 「自転しながら公転する」山本文緒著を読んで

昨年12月にテレビで著者を見て、それから読み始めて、今後もずっと読めると思っていたら、先日亡くなってしまって深く悲しい。

この作品は、たぶんその時紹介されていたもの。
主人公は親の病気で帰省した、仕事も私生活も悩み多く不安定で揺れ動くアラサー女子、都。
そんな彼女を「自転しながら公転している」というのは彼氏のかんちゃん。この後地球の自転に関するうんちくを披露する読書男子。

通常あらすじをチェックしてから読むけど、この著者の本は外れが少ないのでそのまま読んだら、プロローグの内容のせいで、途中まで勘違いしたまま読み進んでしまった…。
プロローグでは「わたし」がベトナム人と結婚するところから始まる。

読み終わってから、プロローグとエピローグが書き下ろしということを知った。本文は連載ものだったので、そっちを読んでる人もこの出だしはあれっ?と思ったに違いない。
この書き下ろしについては賛否両論っぽいけど、個人的には著者にとって書く必要があったのかなと思う。揺れ動いていた主人公が、不幸も少しあったほうがいい的な結論に達したこと、彼女が仕事ができるひとであること(本文では語り手なので、客観的に仕事ができるかわからない)。
それと、これも賛否あるようだけど、かんちゃんの人となりやその後がわかるし。

本文では、学歴というのもひとつのテーマだと思う。
主人公と付き合うかんちゃんは、中卒の寿司職人。
中卒(高校中退含む)はあるデータによると全体の約2%らしく、年々減少しているとか。

最近読んだ将棋まんがによると数十年前まではプロ棋士は中卒が多かったとか。今若手トップの棋士がもう少しで高卒なのに中退したというニュースを聞いた時なぜだろうと思ったけど、勝つには研究第一なので学校に行ってる場合じゃなかったのだと理解できた。まあでもこれは特殊なケースだろう。

かんちゃんは中学の頃はヤンキーだったけど、もう落ち着いていて(読書が趣味で自宅にTVがなかった)、性格的にも安定していて、都に対しても思いやりがあるけど、中卒のコンプレックスがあって、親の施設にも支払いをしていて、いつ振られてもいいように受け身でいる。本で得た知識が豊富だけど、都からはうんちくうざいといわれたりする。若いのにどこか身の丈をわかっていて、自分にとって最適なこだわりもたぶんわかってる。
都は見た目はそもそも彼ののタイプなんだけど、彼の受け身なところや、合理的で論理的なことを言う友人の意見で揺れ動く。しかも職場でも実家でも問題が浮上している…。母親の更年期障害に家族が振り回されている。これは、意外な着地点にたどり着くけど。

かんちゃんっていわゆるさとり世代なのか?無職になってもマイペースで、都の誕生日には高額なブランドのアクセサリーをプレゼントしたりする。でも、これ買うくらいなら風呂付アパートに引っ越すとか、洗濯機買うとかしたほうがいいと思っている都と口論になる。が、彼は仕事にはこだわりがあって、コントロールできる範囲内を望み、金持ちになりたいというような野望はなく、生活できればいい的レベルで満足している感じ。現時点で高卒になるのはハードル高くて、若干諦観気味。
けど、ボランティアに参加したり、近親者が亡くなりそうなときは遠くても夜中でも駆けつけようとしたり、真摯で自由。
善意に打算がない。

一方、都はかわいくて一見自立してるけど、過去の仕事での失敗で自己肯定感が低いので悩みやすい印象。胸が大きいことで会社でセクハラにあったり、ボランティアでひどい言葉を言われたりして傷つく。たまに浅はかだったり。このボランティアシーンは不要という人もいるようだけど、次に踏み出す一歩としては必要なのかなと思う。
そして都は、娘曰く、マキシマリスト。

ほかの人のレビューによると、30代で共感するひともいれば、そうでないひともいるらしい。後者は、作者が50代後半なので今の30代と感覚が違うと。でも、世代というより、日々不安で迷うタイプや気を使いすぎるタイプは主人公に共感するかもしれない。

著者は直木賞受賞後うつになった。不安に関する描写や、仕事なんて二の次でいいとか、少し不幸なほうがいいとか、その経験からきているのかなと勝手に想像。

エピローグでかんちゃんは娘に、妻との関係を「厳密には恋愛じゃあなかった気がする」とさらっという。どう見ても恋愛だったと思うけど、どういう意味かちょっと気になった。。。?




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