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米津玄師、 刹那に宿る光を見つめて

一つずつ集まったピースがいつのまにか新しいパズルの絵を描くみたいに。バラバラに散らばる人生の断片を、音楽が結び目となって引き寄せるときがある。
過去、現在、未来は地続きであり、ひっくるめて人生と呼ぶが、時折それらが交差する瞬間に出会う。

米津玄師の歌声を聴いていると、何かに似た胸の痛みを伴うと気付いた。その感覚を追いかけてみたら、夏終わりの空気だった。
冷たい夜風がふと腕肌に触れたときに、遠い過去へ押し込んだ記憶が声を上げるような鈍い痛みだ。

彼が楽曲の中で描く「人を想うこと」は、愛と孤独が混ざり合っている。相手に向かって放つのではなく、ひとりでそっと祈るような、距離がある。

あなたの抱える憂が
その身に浸る苦痛が
雨にしな垂れては
流れ落ちますように
(海と山椒魚/YANKEE)
もう二度と離れないように
あなたと二人 この星座のように
結んで欲しくて
(Orion/BOOTLEG)


相手の存在そのものや二人の間にある物語を、ただ大切にしたいという想いが、いつかの自分とリンクする。


喪失感に飲み込まれた夏があった。

湿った空気を纏う、6月下旬。付き合っている人にフラれた大学生の私は、これからやってくる賑やかな夏の気配を恨めしく思っていた。
その矢先、近所に住む祖父の急逝が知らされた。脳内出血だった。

ずっとそこに在ると思っていたものが忽然と消えてしまう様に呆然とし、後悔を数えた。気を紛らわしたくて楽しげな予定を詰め込んだが、虚しさは深まるばかりだった。

そのまま数ヶ月が過ぎたとき、ようやく一つの結論にたどり着いて、少しだけ上を向けるようになった。

それは気が済むまで「想い続けること」だった。

楽しい思い出はそのままで、
どうか朗らかに過ごしていますように
どうか安らかに眠れていますように

想いは自ら消さなくていいのだと。
夏が終わろうとしていた。


あれから10年以上が経ち、今年はかつてないほど別離について考えさせられる夏を過ごしている。
某ウイルスの拡大と蔓延、想像を超えた自然の猛威、人種差別による痛ましい事件、孤独を抱えた著名人の訃報。
ニュース番組が垂れ流す音は否応なく私たちの心に影を落とす。

そんな日々の中に届いた、米津玄師の5thアルバム「STRAY SHEEP」。
当たり前だった学校生活、楽しみにしていた行事、家族や友人たちとの時間、人との繋がりが無慈悲に奪われた毎日の中で、この作品の発表を心待ちにしていた人がどれほどいたことだろうか。

美しさや儚さ、危うさが表出した過去作品の魅力をそのまま受け継ぎながらも、「STRAY SHEEP」に収録されている楽曲は、圧倒的なほど壮大で力強い世界へと広がりを見せていた。

米津玄師の音楽はアルバムごとにどんどん外に開かれている印象がある。過去のインタビューを読む限り、それは彼が持っている「人」や「世間」に対する距離感がそのまま反映されているようだ。

まあ結局のところ、自分の性癖として、人を傷つけたくないっていうのがすごく強くあるんですよね。だから、人を傷つけたくないから、また自分も傷つきたくないし。その性癖に対する回答が、子どもの頃は、内にこもるってことでしかなかった。
(ROCKIN'ON JAPAN 2020年9月号インタビューから引用)


本人ボーカルの1stアルバム「diorama」を振り返ると、愛したい、愛されたい、嫌い、そんな言葉が連なっていた。

いけないと知りながら
愛されたいのはあなただけ
(あめふり婦人/diorama)
嫌いだ嫌いだ あなたが嫌いだ
何処かへ消えてしまえばいい
(ディスコバルーン/diorama)
誰も嫌いたくないから 
ひたすら嫌いでいただけだ
皆のこと 自分のこと 
君のこと 自分のこと
(恋と秒熱/diorama)
愛していたいこと 愛されたいこと
望んで生きることを 許してほしい
(恋と秒熱/diorama)


ここで用いられる一人称はすべて「僕」であり「私」であり「あたし」だった。歪さを含んだ愛や孤独は、ひとりきりの部屋から発せられる魂の叫びみたいだった。

「diorama」の発売から8年の月日が経って生まれた「STRAY SHEEP」で、それらの姿形は大きく変わったように思う。

「僕」からは「僕ら」が派生し、「愛したい/愛されたい」よりも「愛してる/愛してた」が多くなった。
内に籠もっていた「diorama」と比較すると、「STRAY SHEEP」に収められた関係性には、人の体温が宿っている。

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よ いつの日も 愛してるよ きっと」
(迷える羊/STRAY SHEEP)
あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたとともに
(Lemon/STRAY SHEEP)


この変化は、米津玄師本人が、音楽家として、ひとりの人間として、歩みを進める上で積み重ねてきた「人との関わり」によってもたらされたのだろう。

そうした人との関わりや自身の変化を、彼はインタビュー等で「宝石」や「ミラーボール」と表現している。外からの光を反射して己の輝きを放つ。人間も同じように思う、と。

光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル 
君がつけた傷も 輝きのその一つ
(カムパネルラ/STRAY SHEEP)


私たちは生きる過程で、たくさんの人とすれ違い、愛をもらって、愛を与えて、傷ついて、傷つけられて、刺激と摩擦を繰り返す。
それが自分を輝かせるのか、燻らせるのか。より優しい場所を作り上げるために必要なものは何だろう?

「STRAY SHEEP」のジャケットに、ヒントがある。

おそらく米津玄師本人であろう人物が羊の頭蓋骨面をかぶっているイラスト。
想像を超えて顔と名と音楽が知られるまでになった自分を覆い隠すような、マスクを手離せない混乱とした世の中を映し出したような、意味深な構図はどこか「diorama」時代を彷彿させる。

その中で異彩を放っているのが、目と鼻を覆う部分に埋め込まれた宝石の輝きだ。これは、こんなふうに世界を見ていたいという、米津玄師の「眼差し」を模したものではないだろうか。

同アルバムのクロスフェードでは、9分ちょっとの映像の中で、楽曲ごとに背景や人物の色がどんどん変化していく。
まるで、本人の姿はそのままに、取り巻く環境や感じ取る心だけが変化するかのように。

その間中、極彩色の眼差しは静かにキラキラと輝き続けている。もう一箇所、埋め込まれているのが鼻。嗅覚は記憶に繋がりやすいと言われている。


人も、気持ちも、環境も、自然も、あっけなく変わっていく。この夏たくさんの命が失われる中で、それをまざまざと見せつけられた。人間は無力なのだとも思い知った。

だからこそ、残された命や日々の一瞬を、大切に見つめなければならない。

米津玄師は「永遠」を約束しない代わりに「瞬間」を鮮やかに切り取る。
「STRAY SHEEP」には、彼の繊細な眼差しで集められた一瞬が詰め込まれている。

終わる日まで寄り添うように
君を憶えていたい
(カムパネルラ/STRAY SHEEP)
たった一瞬の このきらめきを
食べ尽くそう二人で くたばるまで
(感電/STRAY SHEEP)
今だんだん恋になっていく ときめいていく
(PLACEBO/STRAY SHEEP)
風に飛ばされそうな 深い春の隅で
退屈なくらいに何気なく傍にいて
(まちがいさがし/STRAY SHEEP)
あなたも わたしも 変わってしまうでしょう
時には諍い 傷つけ合うでしょう
見失うそのたびに恋をして 確かめ合いたい
(カナリヤ/STRAY SHEEP)


喜びや煌めきばかりじゃなくて、哀しみや失望を切り取った描写もある。人生が凝縮した瞬間的な感情や情景は、ひどく混沌としている。

それらすべてを、演劇や映画に例えながら「千年後」という大きなスケールで包括しているのが、表題曲の「迷える羊」だ。

核として置かれた同楽曲の存在と、ここに出てくる「愛してるよ」の歌詞は、とても重要な意味を持っていると思う。
この楽曲およびフレーズの包容力が、全体的なまとまりをもたらし、アルバムの強度と明度を高めている。米津玄師が迷いながらも凛として未来を見据える意志も感じさせる。

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よ いつの日も 愛してるよ きっと」
(迷える羊/STRAY SHEEP)


「きっと」が、永遠を願う希望の言葉になるのか、ただの不確定要素を含んだ言葉になるのかは、人によって変わる。その違いを生み出しているのが、眼差しだ。

私たちは現実と戦い続けなければならない。気が滅入るニュースも世の中から消ることはない。そのたびに何度も迷子になるのだろう。そして容赦のない離別に心を痛めるのだろう。

「君の持つ寂しさが 遥かな時を超え
誰かを救うその日を 待っているよ ずっと」
(迷える羊/STRAY SHEEP)


そんなとき、暗闇から救ってくれるのは、自分の眼差しによって切り取られた大切な人との「一瞬」だと彼は伝えているのかもしれない。

たとえば二度と会えない相手だとしても、美しく尊い瞬間を集めた思い出は、残された者にとって大きな力になるはずだから。


先日、思い立って実家にいる母に電話をした。急に祖父の命日について確認する私を、母は不思議がりながら「10年以上経つのに、昨日のことみたい」とぽつり言った。

簡単に割り切れるはずがない。消えて欲しくもない。想いや後悔はグラデーションのように濃くなったり薄くなったり繰り返しながら、心の中に留まり続けている。

今でもあなたは私の光
(Lemon/STRAY SHEEP)


米津玄師の優しく儚い歌声が、乾きかけていた心に染み込む。

遠い夏のやりきれない寂しさ。重ね合わせる現代の息吹。結び目となる美しい音楽。その一瞬を、こうして切り取っている。

未来の私たちにとっての「あの夏」が終わろうとしている。

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