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人生を切り取る、楽しさと怖さ

前回のnoteみたいに、子どもとの日々について書くと、しばらく気持ちがグラグラする。揺さぶりの原因はギャップだと思う。乖離ともいう。文章の私と現実の私。

エッセイの中ではしっかり子どもと向き合っているように見えるけれど、いい母親でいられるのなんて、日常生活では数%しかない。残りは真逆。書いて公開する、その数時間前まで怒り飛ばしていたのだ。いい面だけ切り取ったことに対する、後ろめたさに似た気持ちがずしんと残る。


「順風満帆な人生ですね」なんて言われると、「えっ」と構える自分がいる。海外で暮らし、伴侶と出会い、子どもが産まれる、といった面を切り取ると、そう見えたりするらしい。

その度に、ちょっとした抵抗感が芽生える。この人生になるまで、結構大変な思いをしたんだけどなぁと。努力した時間とか、抱えた葛藤とか、犠牲にした人間関係とか、すべてが土台となって今の人生がある。その過程は、順風満帆とは程遠かった。そして、苦悩が多かった背景にこそ、本当の私がいると思ってしまうのだ。

相手はポジティブな意味で言っている。褒めこそすれど悪気はない。現に今の私は、多少の悩みはあっても総合的に幸せである。だから、素直にそのまま受け取ればいいのに。

自分ではうまくいっている面を切り取るのに、他者がそこだけを切り取ると反発したくなる謎の心理。いったい私は何とたたかい、何を守ろうとしているのか。よくわからない。


また、そうやって言いながらも、私自身も他の人を眺めるときは一部にフォーカスしている。華やかさや眩さに惹きつけられ、その裏側にあるものまでは見えていない。

奥まで思いを馳せるのは、実際に難しいとも思う。語られない限りは想像さえもできないし、ただの邪推やお節介は、ややこしさをもたらすだけだ。だから、心得ておく。人には外から見えていない多様な面があること。他者の目線はコントロールできないこと。

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以前、「人の眼差しって本当にそれぞれだ」と感じる出来事があった。

いつかのnoteにも書いたが、数年前に夫が日本の出張中に倒れて、集中治療室へ運ばれたことがある。一刻もはやく駆け付けたかったけれど、幼い子どもを二人抱えながら日本へ帰ったり見舞ったりするのは難しいだろうと、義両親との話し合いにより、私たちはアメリカに留まるように決まった。

一歩遅かったら亡くなっていたかもと告げられ、最初の段階では入院期間も目処が立たず、私はそろそろ仕事復帰したいと契約を入れたばかり。不安すぎて、気持ち的にパツパツだった。


それでも日常生活はつづく。ある週末、息子たちを連れて買い物へ出かけた。反抗期が始まった3歳と、まだまだ赤ちゃんな1歳。スーパーの駐車場で、カーシートに座りたがらない彼らと悪戦苦闘する。

はたと気が付くと、杖をついた80代ぐらいのおばあちゃんと、娘さんらしき女性が背後にいた。通行の邪魔になっていたらしい。Sorryとつぶやきながら慌ててよけると、おばあちゃんは笑顔でこう言った。

「You are lucky!」

よっぽど泣きそうな顔をしていたのだろうか。何かを悟ったように、おばあちゃんは私の目を見て微笑みかけ、息子たちを見つめながらニコニコと通り過ぎていった。

ほんの一瞬だけ「いやいや、結構大変な状況で…」と心の中で突っ込んだけれど、その言葉は思いのほかフラットに響いた。ラッキーか。息子たちがはしゃげるほど元気である。こうやって3人で買い物できる。この事実は幸運なのか。

子育ての期間はとうに過ぎたであろうおばあちゃん。娘さんだと思った女性だって本当は違うかもしれないし、どんな人生を歩んでいたか知る由もない。ただ、あのとき届けられた「lucky」はとても誠実に聞こえた。

駐車場であたふたしていた私は、ある一面では「夫が入院中でワンオペに追われている妻」であり、他の一面では「かわいい子どもが二人いる母親」であった。おばあちゃんの一言は、ひとりの人間には複数のレイヤーがあるのだと気付かせてくれた。


自分や他者の眼差しの数だけ、いろいろな「私」が存在する。つまりは、どこをどう見つめて切り取るかなのだろう。文章を書き残す行為でも、込めるものは人や作品によって異なる。記録、思考、懐古、希望、懺悔…挙げるとキリがないほどに、それも一辺倒ではなく。

私が子どもとの日々について書くときは、意志や願いが含まれているように思う。こうありたいという、ちょっと理想がかった私の姿。嘘や見栄とは違う。子育ての話は、多く書ける気がしないし、書くつもりもなくて。毎日はてんやわんや。だからこそ、少しでもきらめきを残そうとするのかもしれない。

つらつらと書いたけれど、何だかんだ切り取るのは楽しい。読んでくれた人の訪問をきっかけに過去の書いたものを読み返すと、当時の私や周りの人や出来事とふたたび出会える。記憶がふわっと蘇ってくる。

そして今まさに、印象的だったおばあちゃんの一言を、こうして書き記せてよかったなぁとも思っている。

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