魔女達の寄宿学校の歴史
ホラー映画に興味がなくとも、サスペリアという映画のタイトルをどことなく知っている方は多いのではないだろうか。少なからず、魔女達の寄宿学校の歴史なるタイトルの記事を読むあたり、ホラー映画に興味がないということは考えにくいが…
サスペリアなる映画は1977年に日本で公開されるやすぐにそのキャッチコピーである「決してひとりでは見ないでください」が流行語となり、同年公開の洋画ベスト10入りを果たした。その人気にあやかろうと本作と関係のない作品がサスペリアパート2として公開され、サンゲリア(原題Zombie)やゾンゲリア(原題Dead And Buried)なるおこぼれ頂戴の邦題が後続として生まれることとなる。
本作の監督はイタリアホラーの巨匠が一人、ダリオアルジェントでありその演出や色彩のセンスからサスペリアがなぜヒットしたのかは容易にうかがえる。プロットとしては、全寮制のバレエ名門学院に入門すべくスージーという少女がニューヨークからはるばるドイツへと留学に訪れるが学校生活を送るうちに奇怪な事件とともに生徒の少女達一人、また一人と死んでいく。実は学院は魔女達の巣窟であり、バレエとされていた踊りは魔女の儀式の踊りから派生したものであった。全ては魔女の手中にあったというわけだ。
ダリオアルジェントによって続編である1980年にインフェルノ、2007年にサスペリア・テルザ最後の魔女も制作されておりこれらをまとめて魔女3部作と呼ばれている。これだけの認知度を獲得すると「魔女達の寄宿学校」というプロットがダリオアルジェントの専売特許のように感じられるが、1973年公開の作品である女子大生悪魔の体験入学がサスペリアよりも4年早く「魔女達の寄宿学校」というプロットを取り扱っているのだ。
女子大生悪魔の体験入学という邦題はなんだかイカガワしいものに感じられるが、そのイカガワしさはエロスではなく紛れもなく悪魔崇拝によるものだ。プロットは、マサチューセッツ州セーラム学園に通うマーサは何者かに追われるように車を走らせ姉の家に逃げ込む。しかし帰宅した姉が見たものはマーサの無残な首つり死体であった。警察に自殺と断定されるが不信感を拭えない姉はセーラム学園に入学と偽り潜入する。そこで目にしたものは魔女たちによる悪魔の儀式であった。
サスペリアはヨーロッパの作品としてヨーロッパの魔女を題材とし、女子大生悪魔の体験入学はアメリカの作品としてアメリカの魔女を題材にしていたが、日本はどうだろうか。映画ではないが日本にも前述の2作品よりさらに早い1971年に「魔女達の寄宿学校」というプロットの作品が発表されている。それが美内すずえ著作13月の悲劇だ。
舞台はイギリスの寄宿学校、母を亡くしたマリーは映画スターで多忙の父に追いやれるように入学させられることになる。入学した聖バラ十字学校の教師であるシスター達の表情は冷たく、どことなく顔つきも一様に見える。そしてそこに長年いる生徒の少女達も、どことなくシスター達と同じ雰囲気を纏っているのであった。この寄宿学校は日曜日ではなく水曜日が礼拝日となっており、礼拝堂に介して動物の血の犠牲を持ってして主ルシフェルを讃えるのであった。
お気づきかと思われるが主ルシフェルは魔王ルシファーのことであり、シスター達は悪魔崇拝者である。興味深いのは礼拝に用いられる犠牲と血であるが、60年代に米国西海岸で巻き起こったサタニズム旋風の1つであるカルト団体4P 運動が引用した東方聖堂騎士団の様式に由来する特徴がみられることだ。世界的オカルトリバイバルの1970年代にタイムラグなく西洋的オカルティズムを作品に取り入れたアンテナの高さに脱帽する。また前述の映画作品が本作の影響を受けているか否かははっきりとしないものの、いち早く「魔女達の寄宿学校」というプロット作品を完成させているあたり美内すずえはパイオニアであると言えるだろう。
では実際には美内すずえはどこから13月の悲劇の着想を得たかというと、他作品執筆の際に。2~3か月のカンヅメ状態になり資料を買いに行く以外に外出することはないほどの極限状態で思いついたとインタビューで答えている。そこに当時読んでいた魔女裁判の本などで得た知識を落とし込んでいった。極限状態で気が付けばクリスマスも師走も楽しむこともないまま年が明けていたことから、新年を迎えた気になれずに12月の延長である13月という言葉が思い浮かんだあたりこれまたセンスを感じる。
年代を問わず、日本のホラー漫画には海外のホラー映画から着想を得たと思われる作品が多数存在している。しかしながら13月の悲劇のように後のヒット作品のプロットを先駆けているものも存在している。ホラーという物を映画や漫画で区切るのではなく概念として捉えると楽しみが増えるのではないだろうかと思われる。
追記:本記事で紹介した、所謂キリスト教社会から異端とされた女性達の共同体はフィクションに留まらない。14世紀頃に存在したベギン会は女性のみで構成された半修道会的性格を持つ施設で、脱会は比較的自由ではあるものの厳しい規律と敬虔な信仰が求められた。また共同体自体も社会と隔絶されたものであった。
彼女達は魔女ではなく敬虔なキリスト教徒であったが、教義の軸が独自のものへと揺らいだ時に異端審問の牙は向かれる。南フランスで粛清された清貧たるキリスト教徒カタリ派もまた、自身達を敬虔なキリスト教徒と信じてやまなかった。魔女という烙印はキリスト教の家父長制によるところが大きく、今後記事として取り扱いたく思う。
―完-
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