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大人になって気がついた「暗記だけ」で生きていた私の話

中学時代はほぼ満点

私は中学時代、テストがほぼ満点の子だった。

だから、一つの教科が100点満点だとして、苦手な国語を80点台なんて取った時はかなり落ち込んだし、一生懸命勉強し直した。

小学校の頃は勉強なんて興味が無くて、あんまり成績もよくなかったけれど、中学に入った途端できるようになったのは「テスト期間」というのができて、時間をかけて「勉強のコツ」を把握することができたからだと思う。

学年順位は常に5位~20位の間にいたし、苦手な国語以外はほとんどが100点に近い点数だった。

コツさえつかめば、点数を取るのは簡単だった。中学の勉強は国語以外はほとんどが「問題」と「答え」が事前にセットになっていると入学してから気が付いた。それからは、とにかく過去問を見たり、でそうな問題と答えをセットで暗記した。

だから、暗記ゲーの社会や理科は特に点数が高かった。
数学だって公式にさえ当てはめればなんだって解けた。
証明の問題だって、型にさえハメてしまえば何でも解けた。
英語は案外得意だった。文法のルールと単語を覚えてしまえば中学英語は何とかなるレベルだったからかもしれない。英検は3級だけれど取った記憶もある。

でも、国語はそうはいかなかった。人の心情を読み取ったりしなければいけなかったし、毎回課題として読むべき物語が違ったから、答えは予測できるものではなかった。

高校生になってできない現実

でも、高校生になって私の得意となった暗記の勉強はできなくなってしまった。

唯一なんとかなったのは社会くらいだろう。他の英語や古文、数学AB、などすべてがもう入学初日からできなかった。

とくに化学は悲惨だった。化学式の話が少し進めば進むほど応用ばかりで頭が追いつかなかった。中学時代は予習しておけば簡単に理解できた授業も、高校ではいくら予習しても頭には入ってこない。

だって、覚えるだけじゃなくて「応用」ができないと進めないものばかりだったから。

私の高校はそれなりの進学校だった。地域でも有名な「頭のいいところ」とされるところだ。だから、入学してからの勉強のレベルもかなり高くて、今まで通りの過ごし方じゃやっていけなかった。進度もかなり早くて苦しんだ。

また、私はこの入学のタイミングで統合失調症を発症する。勉強どころじゃなかった。体と心を壊して、不登校になり、引きこもり、通信制へ転校することになってしまった。

資格20個を2年で取った

でも、私は引きこもりの期間を抜けて、リハビリを重ね、通信制高校を卒業し、回復してからは専門学校へ進学する道を選んだ。

進学校に通っていた頃は大学進学が絶対だと思っていたけれど、引きこもってから自分を見つめ直した時、「資格をたくさん取れた方が将来の為になるな」と考えるようになったので専門学校にした。

また、専門学校に行って「いつか色んな仕事が出来るようになってみたい」と思った。とくに「経理」や「システム」系の仕事には興味があったから、猛勉強した。

私は専門学生の2年間とにかく頑張った。そして、2年間で20個以上の資格を取得した。ほとんどが簡単な3級や2級の資格が多かったが、合格率が30パーセント以下になるような難しい資格もいくつか取得することができた。

私はここで「ちゃんと勉強さえしていれば、資格なんて誰でも取れるな」と思った。多い時には月に5個も受験し、全部合格した。

過去問さえやっていれば、「問題」と「答え」のパターンがすべてわかるので私にとっては難しいことではなかった。もちろん、全部の資格が全部できるわけじゃないけれど、ある程度のレベルなら時間をかけて勉強さえすれば覚えられるので問題はないと感じていた。

私は「考える時間」と「記憶する時間」さえあれば上手くいくことに気が付いた。ひとつの資格も調べると「勉強目安30時間」と書いてあったとしても、「100時間」くらいとれば合格できるレベルになることが多かった。だから難しい検定ほど、勉強の仕方を考える時間と暗記する時間が必要だった。

パソコン系や秘書、接客系だけでなく、日商簿記3級や銀行業務検定法務3級も私は持っている。

だから、就職先は自然に「銀行」になっていた。

臨機応変に対応できない社会人

就職活動では「数多くの資格」のおかげで、話すネタに困ることもなく、むしろ面接で盛り上がることが多くてそんなに苦労はしなかった。

しかし、社会人になってみた時、「仕事があまりにもできない」自分に直面してしまう。

銀行の窓口でも、後方事務でも、臨機応変に対応することなんてできなかった。私に足りないもの、いや、できないことは「応用」だ。私の選んだ新卒の仕事はその「応用」しか存在しなかった。

しかも、接客だからどんな作業もその場で判断しなければいけなかった。私には時間が必要なのにじっくり考える時間もないことからミスばかりだった。

その為、私は先輩になれない新人のまま1年で仕事を辞めてしまった。

記憶力の高さ

私はその後何度も転職をした。

今は執筆を主にして、旦那とゆったりとした生活をしているが、そんな生活になるまで様々な仕事を経験してきた。できるだけ、新しい仕事は接客のように「臨機応変」が無い仕事を選ぶようにして、「チームプレイ」よりも「もくもくと個人で取り組める専門的な仕事」「時間をかけていい仕事」を選ぶようにしていった。

中には、資格の多さから大手から内定を貰えることもあった。

そして、私には転職先で必ず言われることがあった。

「もう覚えたんですか?はやいですね」

どんな仕事でも、自分の記憶力から仕事を覚えるのがとても早かった。システム系の仕事をしていた時は、「1年で覚える仕事を1ヵ月ですべて覚えた」ことがある。

だから、その仕事は割と長く続いたが、私が仕事を終わらせるのがはやく暇な時間がとても多かった。そもそも仕事の量が元々少なかったのもあるかもしれないが、仕事を覚えきった後はとくにやることが無く、勉強することも上限を達し、半年すぎても1年すぎてもほぼ暇だった。

私はそんな、「覚えきったら終わり」の環境に嫌気がさしてそこを辞めた。

そして、その後も転職し続けるが、発達特性からなかなか上手くいかないことが多く続くことが無かった。「応用」が少しでもあれば何もできないし、かといって「暗記」だけだと仕事がすぐ終わってしまう。

今後もし、企業など外で働くのなら「精神障碍者手帳も必要かもしれないね」と旦那にも主治医にも言われているので検討する必要があると考えている。

正直、今も十分申請できるレベルらしくて、主治医と話し合いをしているところだけれど、ゆっくり決めていけたらなと思う。

私は暗記だけで生きていたのだ

自分の歴史を振り返ると、私は「暗記」で生きていたように思う。

社会人では「記憶力が良すぎる、覚えるのが早い」と転職する度に言われた。「でも、人と話すの下手だよね」とも指摘された。専門学生時代には「短期間でも過去問を覚えてしまえば資格が取れる」状態だった。月に1つの試験の為に勉強するならまだしも、月に5つ受験できちゃうなんていくら簡単な資格とはいえなかなかできることではない。しかも全部合格してるし。

アルバイトだってやっていたし、決して暇という訳じゃなかったし。

あの頃は気が付けなかったけれど、高校時代勉強ができなかったのも、中学時代急に出来るようになったのも、結局「暗記」が得意だったからなんだなと思う。そして、覚える為の時間を人よりも作れたから上手くいった時があっただけだ。

ただ、社会人になればほとんどが「応用」と「臨機応変な瞬時の判断」だ。

資格をいくら取ったって、その「知識」だけじゃ何の意味も無くなる。実技で上手く使えなければ、ダメだった。知識があったってすぐ脳内から掘り起こせなければ意味が無かった。私はすぐにできるような人間じゃなくて時間が必要だった。だから、上手くいかないことが多かったけれど、でも、仕事によっては自分を発揮しすぎることもわかった。

私は正直、企業で働くのは苦手だと今は感じている。頑張っても頑張っても、自分の「できない」と「できる」の差が激しすぎて報われない。

執筆をすることと出会ってからはとにかく楽しい。過去の自分を思い出しながらいろんなことを振り返って気づきもある。

いろんな知識を自分の中に保存することもできる。
そして、自分のペースで仕事を作り上げることができる。

だから、今は執筆が辞められないし、私らしい働き方ができているなと感じている。

▽大切に生きるをテーマに執筆中▽

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