毒親でも恨む部分もあれば感謝する部分もある話
私の母は毒親に苦しんだ
私が高校生の頃、家を出て行った母は昔毒親に苦しんだ経験がある。その毒親とは私のおばあちゃんにあたる人になる。母方の祖母である。
だから、母は家を出て行った時も離婚をした時も、全てが認められなくて「自分の親の育て方が悪かったから私がこんな目にあうんだ」と言ってムキになっていたようにも感じる。
母はずっと、親に「こうしなさい」と言われて育てられた。「良い高校大学へ行きなさい」と厳しく育てられ反抗も出来ず従うしかない人生だったそうだ。
だから、行きたい高校にも行けず行きたい大学にも進学はできなかった。全てが親が決めた道を選んでいた。いや、選ぶしかなかったのだ。
そして、大人になって親の言いなりで育った母は親の考える世界しかわからない人になってしまった。自分で何かを選択することもできず、何かあればすぐにパニックになり、昔の親のせいにして逃げることが多かった。
きっと親のせいにするしか、方法が無かったんだと思う。親の為にこんなに頑張って生きてきて報われなかったのだから。たくさん我慢をして生きてきたのに、どうして不幸にならなければいけなかったのか答えが見つからなくて苦しかったと思う。
母は家を出て行き、私の父と離婚した後、そんな自分をとにかく責めた。でも、責めても責めても自分のせいには怖くて出来なかったんだと思う。
恨んで叫んで縁を切った
母が初めて自分の親に反抗したのは、離婚して一人暮らしを始めた時だった。
「お前のせいでこんな人生になったんだ、地獄に落ちろ」そんなことを自分の母親に叫んで縁を切った。
でも、母はうつ病や自身の発達特性から思うように働けなかった。5年経っても10年経っても上手く働くことができずに、両親から毎月お金を支援して貰っていた。
ひとりで生活できるような部屋でもなく、散らかっていて家事も出来ないままだった。私はそれを見て胸が痛くなった。
でも、ムキになって自分の親を恨んでいた母は実家に帰ることはしなかった。母は自分の母を遠くで恨み続けたのだ。
母の両親はそれでも金銭的支援を続けた。何も言わずただただ続けた。
母の母は変わっていった
母がひとりで暮らし、働けない10年間に母の母は大きく変わっていった。
始めの頃は「私は大切にあなたを育てたのに」なんて怒っていた。
母が「なんでこんな育て方をしたんだ」と言えば、母の母は「あなたの為にしたのに私の努力がわからないの!?」と怒鳴るような人だった。
しかし、初めて母に反抗されてから月日が経つほど、母の母は「私、あの子に悪いことしたかもしれん」と考えるようになっていった。
自分の何が悪かったかなんて、気が付ける人じゃなかったけれど、自分の娘を苦しめたことを感じることができたようだ。だから、この10年何も言わず経済的支援を続けたんだと思う。
恨んでもいい
恨んで叫んでぶつかるのは私はいいことだと思う。
だって、子供の頃にできなかったことだから。自分が辛かったことはまっすぐ辛かったと叫び、恨むことはとことん恨んでしまっていいと私は思う。どんなに酷いことを叫んでも、それが本心なら時にはぶつけてもいい。
小さい頃に普通は反抗期がある。でも反抗したくても出来なかった分、それは大人になった時に大きく回ってくる。
母は大人になって、爆発したのだ。自分をぶつけることができたのだ。私はそこで母が少し成長できたんだと安心した。
感謝もしていいんじゃないか
でも、母の母は変わったんだ。
私はそれを母にわかってほしかった。
私だって、そんなこと言ったら母の育て方には納得していないし、苦しんだ。私は毒親だなんて母のようには考えてはないけれど、それでも、母の母と似ている部分は母には私はあったと感じる。
だから言ってやった。
「ママはばばに会わないって言うけれどさ、ばばだって変わったんだよ。お金だってずっと支援してくれてるよ。昔のことは恨んだままでいいじゃん。でもそれとは別で今は今で感謝してもいいじゃん」
「私がママを恨んでないと思ってる?恨んでる部分もあるよ。でもそれでもこうやって向き合ってる。それは何でだと思う?」
「感謝している部分もあるからだよ」
お互い認めて欲しかっただけ
そして、母はやっと自分の母に久々に再会を果たした。
母の母、私の祖母は母に久々に会うまでずっと「下手なこと言ったらどうしよう」「悪いこと言わないようにしたい」「でもばあちゃん不器用だから娘のことまたひどく言うてる時があるかもしれん」と言っていた。
母の母はずっと、娘の為に会い方を悩んだ。話し方を考えた。この10年、一生懸命自分なりに反省したのだ。
あんなに「私の娘は私が育てたんだ、文句をいうな」と理解を示さなかった人が、一生懸命母の為に「うつ病」「発達障害」の本を読み勉強をした。
古い人間だから全部が全部理解できるわけじゃなかったけれど、それでも母の気持ちに今からでも寄り添おうと努力をした。
それは、私が孫として祖母に怒ったのもあるし、母に対して言葉を投げ続けたのもあるが、こんなに大きく変わるとは思わなかった。
そして、母は自分の親にちゃんと伝えることができた。
「自分は認めて欲しくて辛かっただけなんだ」と。
今まで両親の言葉を信じて頑張ってきたこと、だから頑張るのが辞められなくなったこと、だから親にずっと認められたくて苦しかったこと、親の言葉で辛くなったり嬉しくなったり大きくしたこと。
期待されて育ったから、その分親の期待に応えないといけないと苦しんだこと。それを、すべて伝えられたのだ。
そして、きっと母の母もずっと頑張ってきたのに誰からも認められないまま育ったんだと思う。だから、「私は頑張って育ててきたのに、どうしてそんなこと言うの?認めてくれないの?」という態度だったんだと思う。
母だって認めて欲しかったように、ばばだって認めて欲しかったんだ。
ただただ、お互い認めてくれる人がいなくて苦しかっただけなんだと思う。
私はこの「認めて欲しい」という強い気持ちから、子供を「自分の思うように育てよう」「いい子にしよう」と考えてしまったのかもしれないなと思った。周りから認められる子に育てなければいけない。そう思ってしまったのかもしれない。
だから、私はこの代々繋がってきた流れを断ち切るために、自分のことは自分で認められるように努力している。
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