【カジュアル書評】『デカメロン・プロジェクト パンデミックから生まれた29の物語』河出書房新社

(約2800字)


■はじめに

 このnoteで書いている「カジュアル書評」というのは、あまり条件に縛られず気楽に書評を書こう、というシリーズでわたしが勝手に命名したものですが、今のところなぜかすべて、河出書房新社刊行の作品を扱っています。今回も偶然そうなりました。個人的に、心を持っていかれやすい出版社なのかもしれません。

■本書を選んだ理由

 本書『デカメロン・プロジェクト パンデミックから生まれた29の物語』は、2020年パンデミックの始めごろに『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』から作家たちに、14世紀ヨーロッパのペスト流行期に編まれた『デカメロン』に因んで物語集を創ろうと呼び掛けて、生まれたようです。同年7月には刊行され、追って日本語版は翌年2021年11月に出版されています。
 話題になったことは知りつつも、出版当時、わたしはパンデミックに関係しそうなものを読む気になれませんでした。一応は収束して日常が戻り、しばらく経った今思い出したので、気になっていた作品を読もうと手に取りました。ここではマーガレット・アトウッド「おにっこグリゼルダ」とカミラ・シャムジー「歩く」を紹介します。

■マーガレット・アトウッド「おにっこグリゼルダ」鴻巣友季子訳

 2021年に『誓願』(早川書房)を読んでから、鴻巣友季子さんが訳すマーガレット・アトウッドの作品に魅了されました。テンポよく生き生きとした展開と会話文のおかげで、久しぶりに夢中になって女性作家の海外翻訳小説を読みました。本作「おにっこグリゼルダ」にも『誓願』にあった父権制とシスターフッドの要素が盛り込まれていますが、それは作中作においてです。
 疫病の広がる世界を助けるため、よその銀河系の惑星から芸人が派遣されてきて、『デカメロン』とおなじようにお話をしてくれるという設定です。そのお話が「おにっこグリゼルダ」という過去の地球の物語です。芸人の言葉がそのままでは通じないので翻訳機を使っているのですが、品質がよくありません。ですます調とである調が混在していたり、〈申し訳ないだけど〉のようなぎこちない表現があったり、読点の打ち方が不自然だったりします。これはまさに今、現実にある機械翻訳の弊害を思わせます。実務翻訳者をしていると、ときどきMTPEという仕事のオファーがあります。Machine Translation Post-editing、すなわち機械翻訳の後処理作業です。一見ちゃんと訳してあるように見えて、上記のようなぎこちなさがあったり、同じ単語でも訳語が不統一、内容を理解していなくて矛盾があるなど、ひどい状態の機械翻訳結果を直していく作業です。ストレスフルで頭がおかしくなりそうなので、わたしは今はなるべく受けないようにしています。同じように言っている翻訳者も多くいます。MTPEの経験者なら、本作の翻訳機の気持ち悪さが身に染みて感じられると思います。そうでない方にもこの作品を通して知っていただきたいものです。
 加えて、この芸人のしゃべり方は一方的でエラそうです。疫病に見舞われたこの惑星の人々を慰める気などみじんもなさそうです。たとえば

後ろのほうで、ひそひそしゃべるのをやめなさい。そして、ぴいぴいなくのをやめなさい。親指を口から出しなさい、そこの紳士/淑女。

『デカメロン・プロジェクト パンデミックから生まれた29の物語』

このあと芸人は、42歳は自分の惑星では子どもだと言っているので、地球よりも高度な世界からやって来て、子ども扱いをしているということなのでしょう。
 芸人の話を聞いている人たちの言葉は直接書かれることなく、芸人の一方的な語りの中に間接的に、わずかな反応が織り込まれるだけです。
 高圧的で怖いしゃべり方だと思ったのですが、芸人というだけに、漫談だと思ってもいいのかもしれません。最近テレビで見かけませんが、いっとき中高年層を相手に毒舌で笑いを取ってきた綾小路きみまろの雰囲気に近いかもしれません。
 作中作「おにっこグリゼルダ」は、グリゼルダという姓の双子姉妹の寓話的な物語です。姉が「おにっこグリゼルダ」または「おにこ」で、妹が「しんぼうグリゼルダ」または「おしん」です。この「おしん」という訳語、すごくいいですね。
 話がそれるのですが、最近、海外文学で、双子または双子に近い姉妹の物語にやたらと縁があって、ここでもまた遭遇したので驚いています。どれも姉が強引で妹が弱気なキャラクターでした。そのうちのひとつの作品について、以前書評を書いたのでよろしければお読みください。作品自体はホラーっぽくもあり、凝ったつくりでおもしろかったです。

 話を戻しますと、この双子の姉妹のシスターフッドの物語を芸人が語るわけです。その作中作が終わり、本作品自体も読み終わると、若干の寂しさを感じました。それはあれに似ています。オンラインのトークやセミナーで、ただ視聴するだけで、こちらからは何も発言や発信をしなかったときの寂しさと疲れです。テクノロジーとディスコミュニケーションという点で、それによく似ていました。でも読んでいる間はかなりおもしろかったです。

■カミラ・シャムジー「歩く」上杉隼人訳

 こちらはこの数年わたしが出版翻訳を習っている先生が翻訳されています。この作品を訳されていたことは本書を開いてはじめて知りました。掌編といえるほど短く、テーマもごく平凡な「歩く」ことですが、いやそれだけに、それだからこそじわじわと沁みる作品でした。コロナ禍初期の隔離の日々に自分もよく歩いたこと、人に会えるのがそれまで以上に有難く感じられたことなどが思い出されてきて、目がうるみます。言葉も土地も文化も違うのに、コロナ禍は世界共通で不思議な一体感があったのだなと思い返すことができます。あの当時に読んでいたらまた違う味わいと励ましを得られたのかもしれません。自分と同じように感じた人がいたのだと思うだけで孤独は癒されるものですね。

■装丁がいいし、原文も気になる

 海外文学の作品が翻訳されると、原書とは違う表紙になることが多くありますが、本書ではほぼ同じです。THE DECAMERON PROJECTの部分の書体は『デカメロン』が編まれた14世紀の雰囲気をなぞらえたのか、独特のデザインで木版画のような見栄えになっています。作品ごとの中扉にも、この書体をイラスト風に配して作品タイトルをあらわしており、凝っています。
 「おにっこグリゼルダ」に出て来た「おしん」や「おつまみ」が原文でどうなっているのか、翻訳にどんな高度な工夫がなされているのかも気になります。生きている間にパンデミックを経験——望ましくはないが貴重な経験——した記念になるし、装丁は絶妙だし、原書と訳書とペアでいつか手に入れたいものです。翻訳書は数年で絶版となる可能性もあるから、早めに……。


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