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【カジュアル書評】ガルシア・マルケス『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語 ガルシア=マルケス中短篇傑作選』河出書房新社

(約3000字)


■本書を選んだ理由

 今年はガルシア・マルケス作『百年の孤独』が文庫化されるというので、某SNSのタイムラインがにぎわっていた。この名著をまだわたしは読んでいないが、以前『ニュー・ミステリ : ジャンルを越えた世界の作家42人』(Hayakawa novels) に収録された短編「幽霊船の最後の航海」を読み、句点がほとんどない長い一文で書き連ねるスタイルに触れて以来、この有名作家のことが気になっていた。親切なことに河出書房新社さんのSNS公式アカウントでは以前、いきなり『百年の孤独』よりは中短編を先に読むことをおススメという主旨の提案が発せられ、下記の本が紹介されていた。
『ガルシア=マルケス中短篇傑作選』

 そしてわたしが図書館で手に取ったのが、この前身となる本書『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語 ガルシア=マルケス中短篇傑作選』である。収録作も訳者(野谷文昭)も同じようで、新しいほうを見ていないのでわからないが、翻訳の一部や巻末の解説が少し違うのだろうか。
 ここでは表題作「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」を、なるべくネタバレしないように配慮して紹介する。本作を未読の方はマークした以降の部分を読まないでいただくことをお勧めする。

■主な登場人物

・エレンディラ……14歳の従順な娘。生まれたときから母親が不明で、血縁ではない「祖母」に育てられた。

・祖母……夫と息子(どちらも名前はアマディス)を亡くした老女。派手で肝がすわっており昔は美女だった。母親不明の少女を「孫娘」として育て、身の回りの世話や仕事をさせている。

・ウリセス……金髪と青い瞳をもつ天使のように美しい青年。父はオランダ人、母はインディオ(スペイン語で中南米の先住民族を意味する)の部族出身。父のオレンジ農園で働く。

■あらすじ(前半のみ)

 エレンディラは血縁ではない「祖母」に育てられ、彼女の身の回りの世話と家事にこき使われ、ほとんど自由のない日々を過ごしていた。ある日、エレンディラを不幸にする風が吹きつけ、部屋にあったロウソクで屋敷が焼けてしまう。祖母は怒り、エレンディラに損害賠償を命じて、焼け残った家財一式を荷車に積んでふたりで旅にでる。村に落ち着くと祖母は絨毯と板で小屋をつくり、若く美しいエレンディラに、ある商売をさせる。
 商売が繁盛して辺り一帯で噂になっているところへ、ウリセスとその父親が通りかかる。ウリセスは噂の主であるエレンディラを一目みようとこっそり小屋を訪ねるのだが……。

■わたしはこう読んだ

 ガルシア・マルケスといえばマジック・リアリズムの手法を使う代表的作家とされていて、非日常的なできごとを日常に忍ばせて書いているとのことだが、確かに、寓話のような、ファンタジーのような設定でストーリーが展開する。安部公房の小説のようだと思ったら、彼はガルシア・マルケスの影響を受けているようだ。
 海外文学の理解のための書として、書評講座のなかで書評家の豊﨑由美さんからおススメされて買った『小説の技巧』(白水社)では、マジック・リアリズムを次のように定義している。<奇跡のような、ありえない出来事が、その他の面ではリアリズムを標榜している語りのなかで起きる>。たとえば次のような箇所がそうかもしれない。

やもめの店主は、草を引き抜くように、着ていた服を間をおいて引き裂いていき、彼女を裸にした。裂かれた布は色とりどりの長い紐になり、別れのテープのように波打ちながら風に乗って飛んでいった。

『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語』(河出書房新社)

凌辱の場面なので手放しで美しいと感嘆するわけにはいかないが、現代ならCGを使って映像化できそうな描写である。
 マジック・リアリズムだけではない。主人公である不遇の乙女はまるで囚われの身のようで、恐怖のあまり失神もする点はゴシック小説を思わせた。その小道具としてよく使われるナイフ、フクロウ、修道院が登場する。スペイン人が入植したこの地にヨーロッパのゴシック様式の建築物があってもおかしくない。
 ちなみに、一文が長く句点が少ないという、ガルシア・マルケスの一部の作品の特徴は、本作には見られない。
 「祖母」は白鯨のような巨体をもち、女王の玉座みたいな安楽椅子にすわり、派手でずる賢く逞しい。日本風に例えれば山姥(やまんば)のような存在感があり、アニメ『千と千尋の神隠し』に登場した湯婆婆のイメージも重なる。濃いメイクをした夏木マリさんが目に浮かんだ。置屋の女将でもいい。72歳でエレンディラに身の回りの世話をさせているが、現代でいう「介護」をされている立場にかかわらず、そんな意識はみじんもなさそうだ。これは一種の復讐だろうか。生まれたときから母親を知らない少女を育てたというのは、亡き夫の妾の子だった可能性もあるのだろうか。
 しかしただの意地悪ばあさんというわけではなさそうだ。ある時エレンディラに<わたしがいなくなっても……男たちに頼らなくても大丈夫だよ。大きな町に自分の家を持てるからね。そうしたら自由で幸せな暮らしができるよ>と言う。まるで本当の肉親のような、女性の先輩として道を説くような言葉だ。
 さらに、夢のなかで神に祈ったり泣いたりする場面では、お決まりのキャラクターのように生まれつき邪悪だったわけではなく、祖母もかつてエレンディラのように純真だったことがうかがえる。もしかして同じ道をたどり苦労したのだろうか。
 祖母は夢のなかでうわ言を叫んだりもするが、これも現代で言う認知症の妄想のようなものかもしれない。この物語設定の文化圏では科学的に病としてとらえるのではなく、何かのお告げのようにとらえたとも想像できる。
 祖母が「司教杖」を使い、他の人物が聖書を読み、伝道師が登場するところに、スペインがこの地にもたらしたカトリック教会の影をみることはできるが、死神も出てくるし、土着の宗教の雰囲気も漂う。
 余談だが、火事で屋敷が焼けて住めなくなったあと、荷車で旅をしていくので、映像化すればロードムービーである。滞在した村で商売をして、稼いだお金でロバを買うのでロバムービーか。いや、ローバ(老婆)ムービーか……。

---------- 以下、ネタバレを含むので未読の方はここまで ----------
 
 









 本書の巻末には、編訳者による解説とは別に「解題」もあり、作品ごとの見事な分析を読むことができる。まず、この作品の途中から登場する青年の名「ウリセス」が『ユリシーズ』を示唆しており、そのために当然『オデュッセイア』やギリシャ神話が関係してくる。ここでは父親殺しではなく女親殺しだし、「アリアドネ」を思わせる「アリドネレ」という名も出てくる。読みながらなんとなく気になったが、解題を読む前にはっきりと気付けるようになりたい。
 結末は曖昧とも思えるが、エレンディラが祖母のようになっていきそうな予感をはらんでいる。ウリセスとの関係のゆくえは意外であり、単純ではない深い味わいがあった。
 本書解題によれば、『百年の孤独』の中には、祖母らしき人に連れられ各地をめぐる少女についてのエピソードも綴られているそうだ。まさに『百年の孤独』の予習にふさわしい短編だった。

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