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裸眼のすすめ ルノワール展

2016/6/30 @国立新美術館

しまった!眼鏡を家に置いてきた
なんという失態!

私は目が悪い。
1メートル先の人ですら、のっぺらぼうなのだ
そんな私が、ただえさえ薄暗い美術館で輪郭の曖昧な油彩を…
しかも絶対混んでんじゃん~
思わず、誰か落としていないかと駅のホームでコンタクトレンズを探しながら歩いた
うっかり誰か洗面台の隅とかに眼鏡置き忘れてないかな~
でも遠近だったら見えないわ~とか考えつつ。
しかしギロッポンに来るような人はコンタクトを落してしまう程ドライではなく、ましてや眼鏡を洗面台に置き忘れるほどうっかりしておらず、即席視力アップ作戦は失敗に終わった

だが私はそんなところで引き下がるほどヤワではない
わざわざ重い腰を上げて都会まで出て来たのだ
裸眼だろうか裸だろうか見てやろう(服は着ていた)

予想はしていたが、ホームに降り立つや否やすごい人だった
主にマダム層と、「次にルノワールが来る時に生きているか分からないぜ!」と思って駆け込んだ夫婦でいっぱいだった(偏見)

きっと見えないんだろうから、せめて音声だけでも…と思って音声ガイドの受付に向かうとやはりすごい列
確かに音声ガイドって2倍おいしい感あるんだよな~
いやしかしここで並んだら負けな気がする
見えないから耳に頼ろうとする感じ、これ怠惰なり
と(列に並ぶのが面倒だっただけ)、どうでもいいプライドを発揮し、結局、目から入ってくる情報だけで鑑賞することにした

いつも美術館に来ると「通過」してしまう癖がある
目当ての展示や目に留まった作品に時間を掛けて観たいから、
列のペースで鑑賞するのが少し苦手で面倒だから
そんな理由でせっかくのミュージアム体験を秒殺してしまうのだ
ルーブルですら数時間で満足してしまった(これ本当にもったいないと思う!)
だから眼鏡を忘れてしまった今日こそ、いつも以上に慎重に一枚一枚時間を掛けて観ることにした

一枚目の「猫と少年」の絵を観た瞬間、自分の視力の悪さに心底驚いた
その「猫」がどこにいるかわからないのだ!
その上「少年」も少年であるかどうか判断できない。それどころか、人間であるかも疑わしい
私の中で「猫と少年」は「『毛布みたいな何か』と『ドロドロした何か』」になってしまった
この先いくらルノワールでも『何か』を観続けるのは辛すぎる!
ちょっとそこのマダム、音声ガイドの料金払うから、その眼鏡貸して~!と言おうかと思ったが、遠近かもしれないと思い留まった

その絵をじっくり観てみる
額の中を覗き込むように
認識できる色という色の狭間を追いかけて頭の中で輪郭を作っていく
すると部屋の暗さに目が慣れてきたこともあってか、今まで見えてこなかった微妙な色の差、陰、遠近感がぼんやりと浮かび上がってくる
ただの斑だった額縁の中が奥行きを持ち始め、立体的になってきた
少年は肌の膨らみや若々しいツヤを出し、そこには毛布ではなく確かに健康そうな猫がこちらを見つめていた

同じような要領で一枚一枚足を止めていく
想像の中の五感をフルに使って輪郭を描く
なぜこの色を選んだんだろう?
この肖像画の人はどんな人生を歩んできて、ルノワールとはどんな会話を交わしたんだろう?「ちょっと俺の肖像画描いてくんない?」、「オッケー」みたいなやりとりがあったんだろうか?それとも「ちょっと、君にモデルになって欲しいんだ」、「ま、まさかヌードと言うんじゃ…」みたいな感じだったんだろうか、妄想広がる

時間を忘れて立ち止まってしまった絵があった
今回の目玉となっている(はず)の「ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会」である
大勢の人が木漏れ日の中で踊っている作品だ
おそらくルノワールと言ってこの絵が思い浮かぶ人が多いのではないだろうか
今にも喧騒が聞こえてきそうな、幸福で活気ある絵画である

この絵の50メートルほど離れた位置だっただろうか、私の視力ではまだ斑な『何か』としか認識できない距離で、私が(脳が)この絵だと認識する前に身体が(神経が)震えるのが分かった
鳥肌が立つ感覚に近く、喜びを感じた時に体温が上がる感じ
脳より先に感覚が感動したのだと思う
視覚や認知を飛び越えて感動したのは初めてだった
部分麻酔して感覚と身体が切り離されて、身体だけが痛がっている感じに近いのかな

小さい頃、家にルノワールの幼児向けの絵本があって、この絵は何度か見たことがあった
もちろんチケットにもポスターにもこの絵が描かれていたから、なんとなく配色とか雰囲気で勘が働いたのかもしれない
それにしても、私たちが「感動する」って言うのは、ただ見えてるモノ、聞こえるモノを脳が認識して「感動した!」っていうプロセス以外にも、目から入った情報を、脳を介さずに、身体が先に反応したり「感動」するってこともあるのかな~とか思ったin六本木
目が悪いから見えない!なんて言わずに、自分の五感、神経、身体全てをフィルターにして鑑賞するのも悪くないんじゃないでしょうか?

これを機に、第三の「目」を使って美術館に足を運んでみませんか?

と、言いつつ、帰ってきて眼鏡かけて完全装備でルノワールの絵ググッちゃいました~
は~やっぱり良い!
黒、といっても微妙な濃淡があったり、人物の目一つを取っても本当に丁寧に描かれている

「猫と少年」見てみたら、私の想像を上回る猫の愛らしさと、少年の潤んだ瞳に見入ってしまう
しかも私が想像していたのとちょっと少年違ったぞ?
私の想像+5歳くらいで、なんなら少し大人、しかも目つきがやたら色っぽい
一体私は何を観てきたんだ!
一人PCの前で時差攻撃を食らいました
次行く時は、眼鏡持参で笑
生きている間に、また来るかしら?
生で観たこととそ、意味があるのだよと自分に言い聞かせ、今度はもっとフィルターの奥、身体の感覚という感覚をもっと磨こうと決意を固めたのであった

ルノワール展
2016/8/22まで。休館日などはHP参照。

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