「やってみた」のその先は~中学校ABD2023その③
先日、今年度の中学校でのABD授業が終了しました。
やっているうちは長いと思っている全10回の授業ですが、毎回終わってみるとあっという間に過ぎてしまいます。それも、ほとんど初めてやることばかりのABDでは、授業を必死にやってるだけでも10回が過ぎがちです。
初めてやること、もしくはやり慣れないことをやる授業は、それだけで大変なものです。今年は、そういったネガティブな気持ちとどう折り合って取り組むかということに関しては、全体的に丁寧にやりました。その結果、毎年生徒たちから反省をいただくのですが、要約の仕方やプレゼン、対話の進め方など「苦手だったけどそうでもなくなった」「できるようになった」といった意見が多かったです。
もちろん、それだけでも成果はかなりあるのですが。
私は欲張りなので、その先にあるものをもっともっと伝えたかったと思っています。
今日は一気に駆け抜けた後半の授業でやったことと、やりきれなかったことなどをひとまとめにしてレポートします。
授業後半 ABD企画から展示まで
プロジェクト的にチームで企画する
前回のnoteでは、生徒一人ひとりにABDで読みたい本を選んでもらうところまででした。夏休み明けは、選んだ本16冊を2冊まで絞り、その本でチームごとにABDを作ってもらうというのが授業の大きな流れです。
ここからは進行は私の手を離れ、グループごとの作業になります。ちょっとしたプロジェクトみたいです。その中で、いかにメンバーが納得感を持ってABDの実施に至れるかがカギになります。
今回もくじ引きで決めたグループで、学年性別関係なくしゃべってもらいました。前半の授業でも比較的しゃべってきたので、知らない人としゃべることに少しは慣れています。とはいえ、やっぱり他人との協力は最初は緊張しますし、苦手と思う人の方が多い。自分の中学時代を思い出しても、違う学年に対して意見を言ったり、お互いに協力したりといった授業経験はありません。
それでも、それぞれの生徒が自分に出来ることで協力してくれました。
例えば、ある生徒は多分意見を言うのは苦手そうだけど、付箋を使うと小さな用紙を埋め尽くすぐらいにいっぱい文字を書いてくれます。また別の生徒は、同じ付箋でも、一枚一枚は短い言葉で、とにかくたくさんの視点を出すのが得意。
それからダイアローグ。普段はそこまで仕切るのが得意なタイプではないけど、1年生が比較的多い中、3年生としてグループでのファシリテーションを買って出てくれた生徒がいました。脱線しがちなグループの話がなんとか分解せずに進んだのは、彼らのおかげです。1年生側ももちろん協力があって、黙々と模造紙に書きこんで、話の見える化に一役買っていた生徒がいました。
一方そのころ別のグループでは、学年も男女も関係なくしゃべり倒して激論を繰り広げたグループが。さらにその傍らでは、付せんを駆使した秩序だった対話をしていたグループもありました。
最後の授業で、講座をずっと見ていた担当教員の先生が、「(地域ふれあい学習の講座の中でABD講座を)第一希望に挙げたわけじゃない人も、集中して取り組んでくれたことに感謝しています」と述べられました。
それには本当に同感です。
その時点では、最初の「やったことないことを、とりあえずやってみる」という段階はすでに抜けています。とりあえずやっていく中で、「どうやったら自分がそのグループで、居場所や役割を見出せるか」と言う視点で、それぞれが積極的に関わっていったことで、2つのグループのABDは無事に完結しました。
「見せる」にこだわる展示
講座の仕上げとして、10月の頭に文化祭で展示をします。他の講座は舞踊や生花、ゴスペルなど、発表が中心になる講座が多いです。そんな中ABD講座は、基本的にはどんな展示をするも自由です。
正直私は、文化祭展示に関してはあまり重要度が高くなく(普段の授業の内容こそ成果と思っているためです)、昨年までは最後の授業で使ったリレープレゼン用紙や、ダイアローグで書き込んだ模造紙を展示するのみでした。
しかし今年は、どんな展示にするかを生徒に考えてもらいました。
生徒に委ねたことで、3年目にして初めて、普段の授業の内容を「どう見せるか」にこだわった展示になりました。
これまでの展示は、グループや全体でやったこととしてABDの模造紙を展示してきました。しかし今年は「個人でがんばったところも見せる」ことを目的に、いくつかの案をこちらから生徒に提案。生徒のアイデアで、第4回で一人ひとりが選んだ本のリストを展示し、見にきた人に「読みたい本」を投票してもらうことにしました。
「シールを貼って意見のまとまりを見る」という行為自体は、ABDでも毎回使う(ギャラリーウォーク)ので、図らずも授業に参加していない全校生徒に向けて、展示によってABDの手法を少し体感してもらうことになったのは面白いと思います。
本のリストを展示したい、という意見が出た時、生徒たちの中に、自分と同じ興味を持っている人がどれだけいるか可視化したい、という思いが少なからずあったように思います。自分の興味関心の分身として「本」を出すことで、自分の名前を出さなくても会話が弾むのと同じように、本というのは改めてそれ自身でコミュニケーションツールになり得るのだなと思います。
シールを見てみると、0枚の箇所は一冊もありません。シールの多少を問わず、自分が読みたい本は他人にとっても興味があることである証拠です。
個々が感じた成長ポイント
最後の授業では、おととしも使った「ABDで使ってきた力の一覧」(下記)をみんなに提示し、これをもとに、個人でできたと思うポイントを1番目から3番目までアンケートに書いてもらいました。
成長したポイントを3つ挙げてもらうと、「要約力」「プレゼン能力」など毎回使うアウトプット系の能力のほか、「共感し励ます力」とか「知らない人と対話する勇気」にもちょっとスポットが当たりました。
こうしてみると、いかにABDが中学生にとって初めてのことづくしかを思い知ります。
先述の通り、生徒たちからもらったメッセージでも、自身の成長に関するものが多かったです。
講座開始時の生徒たちは毎年同じようなスタート地点にいます。要約に何を書いていいかわからない、時間が足りなくてまとまらない。知らない人と話したことなくて緊張する。声が小さい、もしくは何も話さない。なので授業中の私は、「できなくてもいいから、とりあえず逃げずにやってみよう」という声かけが多かったような気がします。
そして大体、授業が終わる頃にはそれらがちょっとだけ出来るようになる。話すのが怖くない、嫌いじゃない。大人になってもこういうことはやるから、練習になったなということをわかってもらえる。学ぶってことは、こういう練習の積み重ねなんだろうなという感覚も、持ってもらえる。
これだけでも本当は十分に大きなことです。
しかし、プレゼンやまとめ方、発言の仕方、展示の仕方といったアウトプット系能力は、数をこなせば慣れるものです。半年間繰り返せば、流石に誰もが成長を感じられる、というのは考えてみれば当然かもしれません。
そして改めて思うのは、「ここ」がこの講座のゴールではないな、ということ。
つまり、授業を通して本当にやりたかったのは、自分が持っている本来の「良さ」を意識するということです。
授業の内容を見ていたらわかるけど、個々の良さはすでに出ています。「口下手でも全体を俯瞰してファシリテーションできる」とか、「ファシリなんて要らないほど議論が盛り上がる」とか、「答えがない問題にも関わらず付箋を使って整理できる」とか。それらは、やったことない授業をやる過程で、一人ずつに滲み出てきた、良さにほかなりません。
それは「成長」という言葉よりむしろ「気づき」というほうが正しいかもしれない。今はまだ、気づくための声かけがあんまり出来てなかったな、というのが3年目の私の反省です。
(本当は授業で気づいたことを、通信簿みたいに一人ずつ伝えられたら良かったなと思います。だからこそ、言い訳みたいにこの記事を書いているんだけど)
でも多分、もしかしたら生徒たちはとっくに気づいているのかもしれないとも思います。
それは、学校の評価シートには書く欄が入ってないから、言葉にはされてないけど。もしかしたらこの先、知らない人と話すとき「そういえば自分はこういう振る舞いであの時はなんとかなったな」というのを思い出してもらえるかもしれない。
修了式では、これ以外にも言葉にできてない成長ポイントがいっぱいあるよって話を最後に伝えました。
比較的「役に立つ」と思われるアウトプット系の能力以外にも、何かに役に立つかもわからないけど、自分について「気づいた」レベルのもの。
それらをすっごく大事にしてほしいと思っています。
ABDは難しい講座?
改めて、ABD講座は難しくて、大変な講座です。
それでも今年は期間中、ほとんど欠席する人なくやり遂げられたのは、生徒のおかげです(実は昨年はそこそこ欠席者がいて授業の構成を変更することもあり、私が生徒たちの集中力を維持できなかったことを反省したりしました)。
でも、本当はもっとかんたんで、楽しそう、かつ楽しかったと終われる授業にしたい。
矛盾しているかもしれないけど、本当は授業の内容が役に立つとか立たないとか、どうでもよくて。
つまり、初めてやる作業を「上手く」できたかは全然関係ない。「自分はどうしたのか。結果、どうなったか」という経験値がちょっと積めてればいいと思っています。
そして、ABDをやり終わった時、これまでよりちょっと広い視点で自分が見れて、ちょっとだけ社会が身近に感じられていたら最高です。
そのためにもっと簡単にすることを目指していきたい。
3年間やってまだ改良の余地ありなんて、若干気が遠くなりますが、少なくとも私は楽しく授業を終えられました。
参加してくださった皆様、先生方、今年もありがとうございました。
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