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授業は自分に返ってくる〜中学校ABD2023その②

前回から始まりました、中学校でのABD(読書会)レポート。
全9回にわたる総合学習の授業のうち、今回の記事では、第4回までの授業を終えた時点の様子について、感じたことを残しておこうと思います。
前回の授業のレポートはこちらですが、この記事単体でも読めます。


個人差があってもOK

今年の授業で一番配慮しているのが、生徒によって得意・不得意があっても楽しめる授業をつくることです。

そもそも本が好きか嫌いか、本の読む速さ、発表への慣れ具合などは、人によって異なります。
ABD授業では読んだり、書いたり、話したりと、多岐にわたっていろんな能力を使うため、受けている生徒それぞれにこれは得意、これは不得意、と思うこと自体がたくさんあると思います。

特に今年は、子どもによって得意不得意がはっきりしていると感じます。
でも、苦手なことがあまりできなかったからといって、それができるようになることがこの授業の目的ではありませんし、もともとABDという読書会は、大人でも結構疲弊するくらい大変なんです。できないのがスタンダード、ということは折につけ言葉にしています。

生徒たちは「自分のできる範囲」でめっちゃ頑張ってくれます。
それに、行動の面では、自分は自分、人は人として動いていけます。他者が自分と違うということを受け入れるのが、とても上手です。

そして毎年驚くことだけど、彼らはものすごい集中力を持ってます。
第2回のABDは本が難しく、混乱しながらやっていた面もありましたが、以降はどうやればいいかわかるので、ものすごく集中してやります。
前回の反省を踏まえ、第3回の授業ではだいぶページ数を減らし、内容も簡単な本を持って行きました。そうしたらもう、私はほぼタイムキーパーしかしていなくて、みんな目の前の本に向き合ってめちゃくちゃ書くし、発表も慣れてるし、ダイアローグもちゃんとできる。本当にテキパキと進めていました。
(ちなみに第3回で読んだ本はこちらです↓)

しかも今年の生徒たちは、対話のレベルがめちゃめちゃ高い。学年や性別に関係なく誰とでも話せます。
昨年までは、いつも話しているグループを一旦崩すと途端に話せなくなる子がいそうだったので、ダイアローグのグループは夏休み明けまで固定でした。それを、今年は第3回目の授業からグループをくじ引きにしてダイアローグしてみたところ、むしろそっちの方が対話が盛り上がるというポテンシャルの高さです。

だから月に一度程度しか顔を合わせない私が、各人のレベルを全部把握したり、全てを手助けしたりしなくても、お互いに苦手なことがあれば子どもたち同士で助け合ってくれます。本当にありがたいことです。

こうした感じで、授業の進行上は何も困らず、第4回まで授業を進めてきました。
それでもこれまでの授業でまだ伝えきれてないことがあります。
それは「人と違うことが怖いかもしれない」ということへの対処法です。

許容範囲を探る

人と違うのが怖いんだろうか、と感じるいくつかの瞬間がありました。

例えば授業が早く終わって時間が余ったとき。私は私で文具とかを片付けていると、複数の生徒から「何をする時間ですか」って聞かれる。それについては以前、私の授業に担当でついてくださる先生が、図書室の本を読んでいていいよ、とおっしゃっていただいていたので、私もそれに倣ってそうお伝えしてはいるのです。
が、別に聞かなくても何しててもいいのにな、と思ってたりします。
なんとなく、「するべきこと」が決まってない時間って、慣れないのかな、と思います。

それから毎年、授業の中で、生徒に自分が好きなこと、思ったことを書かせます。それはもう、逃げられないくらいずっと書かせます。
例えば初回の授業から、異学年の授業なので自己紹介と称して、好きなものを3つ挙げてもらうんですが、毎回、スラスラ書ける子の方が少なくて、ある程度迷う子が多いです。
迷ってる子には、正しいものはないし、自分の思ったことだからなんでもいい、って言って書いてもらいます。それでも、書くのを躊躇する子はいます。

今年はちょっと言葉を追加して「自分の本心を出すのってちょっと怖いから、どこまでなら出してもいいかな、っていうのを探りながら出すのもありだよ」って伝えてみました。
(ちなみにこれ、私がオタ的活動をするようになってから、より強く思うようになったことです。今の時代はそんなことないのかもしれないけど、誰々を推してる、って宣言するのって、やっぱり初回は勇気いる気がします)

その言葉で、ちょっと目の色が変わった子もいました。そうすると、自分の中の安全圏を探って開示してくれる。そうやって、少しずつ「自分しか考えていないかもしれないこと」を開示するのに慣らしていきました。

正直、他人に理解されやすく、他人と対して違わない自分の方が、生きやすいだろうなと思う瞬間はたくさんあります。それに、自分に向き合うこと自体、しんどいこともある。

ただ、自分が考えてることって、出し慣れないと、スッと出てこなくなるものだから、毎年練習が必要だろうな、と思って授業をしています。

今年の子どもたちは、例年にもまして自己開示し慣れていないように思った。だからこそゆっくり、でも逃げることなく、進む必要があると感じています。

自分で選べた、という喜び

第4回の授業は、今後自分がこの授業で読みたい本を自ら選書するフェーズ。一人一冊、自分が読みたい本を選びます。
このフェーズで、絶対に人と違うということを認めざるを得なくなります。最後は自分で選ぶしかないからです。

その授業ばかりは、自分のことが欠片でもいいからわかって、それに自分で納得しないと、進むことができないんです。生徒自身が読みたい本は、選ぶのに補助はいるけど、補助する側の大人には、その子が読みたい本はわからない。

前年度、同様の授業をしたときは、学校の図書室に、市立図書館や地元の本屋から持てるだけ本を持ち込んで、選んでみました。いつもは学校にない本が入ることで非日常感は演出できたものの、やっぱり本の範囲は限定されてしまい、興味ど真ん中の本があるとは限らない、というのが反省でした。
そうすると、「似たような」本を選ぶしかなくて、これでいいか、という感じになってしまう。それが、後々の授業の集中力にも影響してきてしまった気がします。

だから、今年は市立図書館のOPACを使って、できるだけ広い範囲の中から、子ども自身に検索してもらうことにしました。

OPAC(図書検索システム)の使い方を解説。GIGAスクールのおかげで、一人一台端末がありました。

検索の方法にはコツがいるので、市立図書館の司書さんたちに手伝ってもらって、いろいろ試行錯誤をしてみました。OPACの使い方に四苦八苦したり、検索ワードに何を入れていいかわかんなかったり、見つかったけど、なんかしっくりこなくて何度か悩んだり。
でもやっぱり、最初に自分が何を読みたいかわかんないと、一番進みにくいかもな、と思います。

それでも、読みたくもない本をテキトーに選ぶのは絶対にやってほしくなくて。
それやっちゃうと、後の授業がつまらなくなるのはもちろん、中学生のうちからそんな嘘に簡単に逃げる癖をつけてほしくない、って思いました。
そうすると、ますます自分の好きなものとかわからなくなっていくから。

読みたいものが見つからない子にはなるべく声掛けをしつつ、その子自身の言葉で何かキーワードが出てくるのを待ちました。

終了後のアンケートでは、自分が興味ある本に出会えたか、という項目では、5段階評価で「よくできた」「だいたいよくできた」という子が合わせて100%に達しました。
結果的に、全員、読みたいものに出会えたみたいだったので、それだけは、本当に良かったと思います。

同じことが自分に返ってくる

授業では伝える側の私ですが、そうは言いつつも自分でさえ自己開示が怖いと思うことはあります。

こうやって書いているnoteの記事。二次創作の絵や文章。日常会話の発言。
それが言葉だろうとその他の表現だろうと、自分が考えていることを出したいと思う反面、それが受け入れられない人の反応が怖かったり、ただ単に面倒くさくなったり、誰も興味ないだろうと思ったりして、書くのをやめてしまうこともあります。

でも多分、そういうことって、えいってやっちゃうと気にならなくて。
必要なのは勇気と、やっぱやりたいって気持ちだと思います。
もしかしたら、そのやりたい気持ちに従う瞬発力というか勢いが、一番大事なのかもしれないとさえ思います。

この文章を書いている今は、そういうタイミングを逃したくないなという気持ちが半分、後は、ここで書かなかったら生徒に申し訳立たないじゃん、という気持ちが半分(笑)

毎回、私の方も子どもたちに教えてもらうことがたくさんあります。
そういった意味で、大人も子どもも両方とも何かを学ぶ授業が作れてるのはいいことだな、と思います。

さて、夏休み明けもまとまり次第、レポートしていきたいと思います。

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