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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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#料理

顔に傷あるけしぼうず

この note にやって来て約二か月、ずっと自分の記憶の整理をしていたように思う。 母の半生は兄の出生を悔恨し続け、私には「それでいいのか、あなたの人生をそんなことだけで終わらせてしまっていいのか」との疑問を拭うことはなかった。 父はお気楽に見えた、当時高額な兄の治療費を稼ぐと長く海外に勤務し、すべては母に任せきりであった。 父もゼネコンにいた電気・機械のプロであった。 長い時間は人の記憶をぼやかし、曖昧にさせる。 それは良いこと、悪いことの両面を持ち合わせる。 そしてそれ

サバの煮つけと冬のあかぎれ

まだ若い十代の頃の話である。 決められたレールに乗りたくはなく、かと言って知らぬ世界に一人飛び出すことも出来ず、大学へ行くまでの一年半の間を悶々として魚市場の仲買で働いていた。 これからの季節、水は冷たくなり今のような便利な薄いゴム手袋などは魚屋の小僧の手には入らなかった。生まれて初めてのアカギレは日に日に広がり深くなり、毎日軍手は血に染まり赤くなった。白い発泡スチロールのトロ箱に赤い血がつくのが気になった。 そんなことを今仕事するショートステイを利用する若者たちの手を見

青空とキャベツ

ずっと変わらぬ季節の風景とずっと変わらぬ兄がそこには待っていてくれる。 障害者支援施設で兄が待っていてくれる。 三河の国、愛知県豊川市、豊橋市、そして田原市。 私は二十歳の時この三河の国を出た。 二度と戻ることは無い、出来れば戻りたくないと思い続けた三十代、四十代だった。 でも考えれば容易に想像できたのである。 こんなふうになることを分かっていたのに人間の防衛本能だったのであろう。 この防衛本能の一つの『逃避』が自分を守る手段であると学んだが、ウソだとずっと思っていた。

秋の夜長

猫は一日の長い時間を寝て過ごす。 我が家の高齢ブウニャンはとても長い時間を寝て過ごす。 私の部屋で眠り続けるブウニャンにも窓から外を眺める時間もある。 何を思いながめているのだろうと思う。 しかし寝る時間が長い。 人間のように夏の疲れがこの時期に出てきたりするのだろか。 涼しくなった秋の夜長は楽しみである。 転居して二年過ぎたが、実は開けずに置いてある段ボールが部屋に積んだままである。 中は私の蔵書である。 断捨離を考え始めた時の転居は物の処分にはちょうどよかった。

高齢者予備軍の悩み

ごくごく最近、誕生日を迎え62歳となりました。 高齢者にまた一歩近づきました。 信じることの出来ない事実ってのが、私の好きな『あなたの知らない世界』だけじゃ無いことを知りました。 若い頃にはこんな歳まで生きているとは思いもせず、若い頃に目にしていた年寄りってのはこんなものかと、只今認識しているところです。 この認識はなかなか面白いものです。 先週もありました。 現在、障害を持たれる皆さん(ほとんどが私の息子と同世代です)と夜だけをともに過ごす仕事をしています。 彼ら

質の高い無駄

出汁は煮干しに決めていた頃、いつも時間があった。 永遠に続く時間はあるが、使える時間には限りがある。 若い頃はそんな事を突き詰めて考えて無駄な時間は作りたくなかった。 それでも不思議である。 そんな時分から喫茶店にいる時間と飲み屋にいる時間は別だった。 この時間はそういう秤で損得を決めたくなかった。 他を詰めてそんな時間を作っていたように思う。 無駄な時間には本当に無駄な時間と必要な無駄な時間があるように思う。 サラリーマン時代のダラダラ続く打ち合わせや互いを安心させん

夜更けの考え事と牛すじカレー

一昨日家に帰ってずっと一つの事を考え続けていた。 そしたら頭が痛くなってきた。 風邪でもコロナでもない。 普段使わぬ脳が疲労で出しているSOSであろう。 頭が痛いのに腹が減ってきたのはその証拠だと思う。 安売りで買った冷凍室のスジ肉でカレーを仕込む。 たぶん違う脳を使うからだろう、そんなことが疲れを癒してくれる。 私にとって料理が一番の気分転換かも知れない。 合気道の稽古よりも集中しているかも知れない。 そしてまたスイッチを入れ直して続きを考え直そうと温かく

食い物のはなし

食い物なんて表現がなんとなく下品に思われる方もいらっしゃるかも知れないが、しばらくお付き合いいただきたい。 日々口に入れる食い物にどの家のお母さん方も頭を悩まされていることであろう。 食事を作るのが私の係ではない。 我が家では特に担当は無く、気の向いた人間が調理のために立ち上がる。 食いたいものを食わんがために立ち上がる。 要は生存のためである。 元気な老人となるために動物性タンパクを摂りなさい、一日に何百グラムの肉を食いなさい。というのがあるが「どんなものか」と個人的

朝のスパゲティ

最近朝からパスタを茹でることが多い。昼を抜いても朝メシを抜くことは無い。腹が減るから健康なんだろうと思う。 この歳になると周りからカラダの話をよく聞かされる。昨日たまたま電話した先輩から「今入院している」と告げられた。心筋梗塞で倒れ、手術を終えICUから一般病室に移ったところだという。ヘビースモーカーの先輩に「そろそろやめた方がいいですね」なんて話をしたばかりだった。運よく奥さんのいる場所で倒れたからすぐに救急搬送されて、現在に至った。一歩外に出た後ではどうだったか分からな

深夜の訪問者

夜中にふと目が覚める。 いつもと違う気配を感じる。 甘い吐息を耳元に感じ目が覚めてしまう。 日中、等間隔で背後から歩かれるのに気持ちの悪さを感じて、不自然さを感じさせないように立ち止まり、私の先に行ってもらう。 それと似た気配でもある。 殺気はない、寝る前に笹沢左保の『木枯し紋次郎』を読みかけていたからだろうか、気にし過ぎである。 すると、耳元の息が胸の上に移動していく「なんだブウニャンか」、愛猫ブウニャンが目を覚まして私にすり寄って来ていた。 往年の元気なトラは体重が1

二人の年上の女性

日曜日の朝、夜勤明けの帰宅前に施設の調理の女性から「自宅で朝採ってきたのよ」と、キュウリをたくさんいただいた。 「今日はこのあとソフトボールの試合があるのよ」と元気に話される。 失礼だが、まったく70歳に見えない。 長くここの利用者の方々を見て来たそうで時々いろんなことを教えてくれる。 年齢もご自身から教えてくれた。(私から女性の年齢を聞くことはめったに無い。それくらいのデリカシーは持ち合わせているつもりである。) 私の兄もそうであるが障害者、高齢者の施設は多くの人たちによっ

食の大切

さて、昨日は久しぶりの知人と会い、いろんな話をした。 環境の話をしていたのだが、自動車のこの先の行方が寂しいと言う。 化石燃料で走る今の自動車から電気であったり、環境に優しい燃料で走る自動車に変わってしまうのが寂しいと言う。 分からないことも無い、私も車の運転は嫌いではない。 エンジンルームを覗くのが好きだし、若い頃には自分でエンジンオイルも替えていた。 パンク修理も自分でやった。 モーターで動く自動車の構造は簡単であろう。 AIにも馴染みはいいだろう。 でも、どう言った

ゴールデンウイーク中日(猫の日)

ゴールデンウイークをいかがお過ごしでしょうか。 私的には用事があり今日の仕事を休んだので、ちょうど昨日あたりが中日のような感じでした。 特別なことがあるわけではなく普通に家にいて普通の生活をする普通の休日でした。 そんな日がいいなと思います。 子どもが小さかったり、両親が年老いてしまったりすればそれはかなわず、表現に語弊はありますが「犠牲」なることを強いられて、そんな普通の日は無くなってしまいます。 ただ、この時期だけなのかも知れません。そのうち今度は自身の健康の問題や家

怖いと思ったこと

60年も生きて来れば怖いと思う体験を一度や二度は誰でもしてきていると思います。 口に出すか出さないか、だけではないでしょうか。 今、私が勤める障害者施設で夜中に不思議な経験をしています。 縁あって私は夜勤だけをやっています。 まだ新しい鉄筋コンクリート造3階建ての3階にショートステイが出来るようになっています。そこで私は朝まで一人きりで障害を持った若者たちの相手をしています。 たいていの場合は深夜は皆さん熟睡してくれます。 私たち以上に日中の生活は多くに気を遣い疲れ切って