マガジンのカバー画像

日々考えることのはなし

488
毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
運営しているクリエイター

2022年11月の記事一覧

詐欺師の顔

台湾に母の親友がいる。94歳になる女性、黄絢絢さんである。もう50年も前に当時の日本で最新技術だった透析治療の研修に台北大学病院から派遣されてやって来ていた。 世話焼きの母は彼女たちを家まで連れて来てキッチンを解放した。好きな料理をしてもらい里心のついた彼女達に気晴らしをしてもらったのである。 たくさんの看護師たちがやって来たが最後まで付き合ったのは絢絢だけだった。日本の統治下で教育を受けた絢絢の日本語はある部分私より達者である。家が大変な時期にもいつも電話の元気な声で励まさ

野良猫プースケの記憶

私が今住む大阪府八尾市は歴史の古い街である。 その中の太子堂という地名の中で生活をしている。 日本の仏教普及の大きな起点となった聖徳太子と蘇我氏が廃仏派の物部氏を打ち破り、戦前に誓った礼として建立した勝軍寺のある太子堂の近くで生活している。 しかしながら、そんな歴史を全く感じさせない街でもある。 私が初めてこの地を訪れたのはもう40年近くも前になる。JR西日本の久宝寺駅の前身でもあった竜華操車場再開発の計画の現地調査だった。ちなみにこの久宝寺も聖徳太子が建てた今は無い寺の名

サバの煮つけと冬のあかぎれ

まだ若い十代の頃の話である。 決められたレールに乗りたくはなく、かと言って知らぬ世界に一人飛び出すことも出来ず、大学へ行くまでの一年半の間を悶々として魚市場の仲買で働いていた。 これからの季節、水は冷たくなり今のような便利な薄いゴム手袋などは魚屋の小僧の手には入らなかった。生まれて初めてのアカギレは日に日に広がり深くなり、毎日軍手は血に染まり赤くなった。白い発泡スチロールのトロ箱に赤い血がつくのが気になった。 そんなことを今仕事するショートステイを利用する若者たちの手を見

栗に聞いてみたい話

毎週水曜日に行っている京都大原野の放置竹林整備NPOの事務所前に栗の木がある。 栗の実がぶら下がる姿を目にするこの時期にいつも思い出す事がある。 ゼネコン時代の話である。それまで時間に遅れるなんてことはなかった 。 なのに京都北部の社会福祉法人での打ち合わせに遅刻してしまった。 理由はあった。京都駅山陰線ホームで電車が入って来るのを待っていると、近くのベンチに座る老夫婦の様子がおかしかった。ご主人が腹痛を訴えているようで奥さんがうろたえていた。これは見過ごすわけにはいかな

猫との会話

我が家のブウニャン、猫年18歳である。 人間年齢に換算するととうに後期高齢者の年齢にいる。 子どもの頃から猫は家にいた。だから猫が好きとか嫌いの以前に当たり前の存在だった。田舎育ちの両親は、病身の兄のためにいろんな動物を身近においてくれた。犬、猫、鳩、チャボ、ジュウシマツ、どれも可愛く世話はしたのだが、彼らの死に立ち会うのが辛かった。 だから父が亡くなり、愛知から連れて帰ることにした時には覚悟をした。 出来れば兄弟のトラとも、このブウニャンともお互い空気の存在で最後まで付

この世の花

道端に咲く名も知らぬ花は何故そこに咲くのだろう 見えぬ場所で咲いてくれればいいのに何故そこに咲くのだろう 神が定めたことと人は言うが、神なんて信じたことは無い 神は昔生きていた爺さんだったそうだ 私が生まれた頃にはもうその噂しか聞いたことはない 神のいぬこの世で咲く名も知らぬ花は自分の意思で咲いている その意思が何なのかそれは花しか知らないのである そして花は喋らない 太古の昔若い名も知らぬ花ははちきれんばかりの若さで快活にしゃべった 爺さんになる前の神はう

ポストを前に考えた(世に残さねばならぬもの)

各メディアの電子化のなか、新聞の購買数が落ちて大変だとずいぶん前から聞く。 確かに購買部数は減っているだろうが電子版新聞は結構人気があると思う。 気になる記事はスクラップせずとも保存出来るし、シリーズをまとめて読んだり、検索出来たりとうれしい機能が満載である。 この電子版、利益率は高くずいぶん新聞社の中で貢献しているのではないだろうか。 紙の新聞が減って本当に困っているのは販売店舗であり、材料である紙のメーカーであり、巨大な紙のロールを運ぶ運送業者であり、刷り上がった

日記のような、びぼーろくのような(2022.11.16京都大原野の柿は甘かった)

昨日また、京都大原野の放置竹林整備のNPO法人『京都発・竹・流域環境ネット』の事務所まで行ってきました。 盛秋の峠は越え初冬を肌で感じる大原野でした。 途中、オールドタウンとなっている熟成した洛西ニュータウンを抜けます。 街路樹も小、中学校まわりの立ち木もみな赤や黄色の衣装を脱ぎだす寸前です。 この洛西ニュータウンには計画当初地下鉄延伸が予定されていたのですが、それが実行されることなく今に至っています。財政難の京都市に今そこまでの力は無いでしょう。ここの住人の高齢化と人口

通天閣と雨

家で雨音聞いてる時にゃ、通天閣は濡れている。 仕事にあぶれた姿を目にする通天閣は男たちを思って泣いているのか。 小雨に煙る通天閣を見上げる人は多くない。 濡れる足元を気にしてうつむき歩くサラリーマンたちを通天閣は黙って見やる。 学生時代のこと、雨が降ろうが、槍が降ろうが、二日酔いでも授業はサボっても合気道の稽古は休まなかった。 サラリーマン時代のこと、台風が来ようが、地震が来ようが、二日酔いでも会社を休むことは無かった。 基本的に責任感の強い人間だと自分のことを思っている

秋の空気と車の運転

実は車の運転が好きである。 エアコンを入れる必要のないこの季節に少しだけ窓を開けて冷たい空気を車内に吹き込ませ、一人運転するのが好きだった。 大阪から愛知豊川まで往復400キロほどをどれだけ走ったであろうか。 深夜の名阪国道を奈良、三重の山中を走り、伊勢湾岸道を水平線から登った朝日を浴びて走った。そして豊田ジャンクションから東名高速に降りればもうほとんど帰ったような気持ちになったものである。 着いてからの諸々の用足しにも車は不可欠であった。 父が無理して死の直前まで運転し

青空とキャベツ

ずっと変わらぬ季節の風景とずっと変わらぬ兄がそこには待っていてくれる。 障害者支援施設で兄が待っていてくれる。 三河の国、愛知県豊川市、豊橋市、そして田原市。 私は二十歳の時この三河の国を出た。 二度と戻ることは無い、出来れば戻りたくないと思い続けた三十代、四十代だった。 でも考えれば容易に想像できたのである。 こんなふうになることを分かっていたのに人間の防衛本能だったのであろう。 この防衛本能の一つの『逃避』が自分を守る手段であると学んだが、ウソだとずっと思っていた。

日記のような、びぼーろくのような(2022.11.08 大阪での打合せ)

京都大原野を拠点に京都府下での放置竹林整備を行うNPOの理事長が大阪まで打合せのためやって来た。 そして、久しぶりに通天閣の足元の新世界まで行った。 コロナはどこ吹く風、昼間から多くの観光客と酔っぱらいが闊歩する新世界が戻っていた。 しかし、私の知る少なからずの飲み屋は閉店か無期限休業、もしくは安易な串カツ屋に替わっていた。この先のインバウンドの復活にターゲットを定めての短期勝負の店が増えていた。 何をするかは商売人の勝手ではあるが少しずつ街の雰囲気が壊れつつあるのが寂しか

さようならの秋

気がつけば暦は冬、まだ暦も晩秋なんて言葉も知らなかった。 夕暮れ、腹をすかしての帰り道、兄貴と「寒いなあ」と話した子どもの頃の思い出。 晩秋を知った頃、陽が落ちる速さを感じつつ「腹が減ったな」と友と話しながら家に向かった。 サッカーは向いていないと思いつつ、友と田の中の道を自転車で走った高校時代。 陽は落ちてしまい、かく汗は湯気となり立ち上り出す、晩秋など感じる余裕なく先輩に投げつけられ続けた。 合気道をやめたかった大学一年時代。 秋風じゃないなと感じつつ、大川の川風を

記憶の不思議

NHKの『ラジオ深夜便』を時々聴く。 真剣に内容に耳を傾けることは少なく、BGMとして流していることが多い。 その方がものが考え易かったり、作業がはかどったりする。 母もこれをよく聴いていた。 母もいつも考え事をしていたんだろうと思う。 眠れぬ夜をラジオとともに過ごしていたんだと思う。 高校生の頃、母に「昨日の夜、ラジオで素敵な音楽を聴いたけど、なんて曲なんだろう」と問われたことがある。 妙な事を言う母だと思った事を記憶している。 今ならまだしも、その当時なら