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通天閣と雨

家で雨音聞いてる時にゃ、通天閣は濡れている。
仕事にあぶれた姿を目にする通天閣は男たちを思って泣いているのか。

小雨に煙る通天閣を見上げる人は多くない。
濡れる足元を気にしてうつむき歩くサラリーマンたちを通天閣は黙って見やる。


学生時代のこと、雨が降ろうが、槍が降ろうが、二日酔いでも授業はサボっても合気道の稽古は休まなかった。
サラリーマン時代のこと、台風が来ようが、地震が来ようが、二日酔いでも会社を休むことは無かった。
基本的に責任感の強い人間だと自分のことを思っている。
学生時代は先輩が恐くて稽古を休まなかったが、立場になれば責任感だった。
仕事ももちろん責任感であった。

朝仕事を終わらせての日曜日、雨の中を重たい身体を引きずって天王寺まで出て来た。
稽古である。

コロナで稽古生の数は減り、そんな中なのに新しく始める人もいる。まだまだ先を見通すことと出来ないコロナではあるが、どこかで見切りを付けて動き出さなければあとで後悔をしなければならなくなる。
それに、こんな時代だからこそ少しは実生活から離れた事、出来れば文化的なことをやってもみたい。


大学の後輩からの久しぶりの連絡に、『先輩は人の命を預かって、‥ 』とあった。
人の命を預かるなどとこれまで生きてきて考えたことは無かった。

しかしコロナのおかげで、今やっている夜の介護のおかげで色んなことを考えた。
人の命の重さも考える。

合気道を伝えることは今まで世話になった先生、先輩方から頂いた全ての恩送りであり、夜の仕事は私の人生の疑問を解く鍵だと思っている。


雨でも変わらず通天閣はジッと私たちを見ていてくれる。
いつもその姿を横目で見ながらいろんなことを考えながら道場へ向かっている。
今の私の日曜のルーチンである。



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