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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2022年8月の記事一覧

秋の日は釣瓶落とし

急に秋めき、窓から入り込む心地よい冷たい空気が私に朝を告げてくれます。 日中、屋外にいても過ごしやすくなってきました。 考えれば当たり前のことなのですが、全ては歩調を合わせるように日も短くなってきました。 『秋の日は釣瓶落とし』を実感するこれからしばらくの時期です。 夕陽に稲穂は黄金色に輝き、優しい風はその穂を波打たせ、黒く色を変えつつある山に向かってカラスは鳴きながら帰って行きます。 家に帰る道の足元ではコオロギがコロコロ鳴き出しています。 ポツポツとどの家も明かり

百日紅で思い出す

花や草木の名前を覚えるのが苦手である。 私の周りにはそんな男が多い。 みな、『花より団子』なのである。 そんな仲間たちも案外知っているのがこの『サルスベリ』である。 私の父は長野県の山あいの村の出身、たくさんの花、草木の名前を知っていた。 私にこのサルスベリを教えてくれたのは父だ。 今はない実家の庭にもサルスベリは植えられていた。 樹の肌を見て名の由来はわかった。 まだインターネットなどない時代に小学校の図書室で調べた。 植物図鑑によると、ツル植物から身を守

夏の終わりに思い出す

昨日は涼しい一日だった。 ツクツクボウシが鳴き、雲を刷毛で掃いたような空を見上げながら朝、合気道の稽古に向かった。 まだ日本には四季が残り、移ろう四季の織り成す秋は私たちの心に何かを 訴える。 母が死ぬまで毎休みは、愛知県豊川市にいる母と田原市にいる兄に会いに行っていた。 深夜に出発、長距離運転のハンドルを握った。 奈良県の山を越え、三重県の海沿いを大型車両に挟まれて名阪道を東に向かった。 朝早くに母のグループホームへ到着。 母はいつも自分の食事の前でテーブルに頭をつけて

質の高い無駄

出汁は煮干しに決めていた頃、いつも時間があった。 永遠に続く時間はあるが、使える時間には限りがある。 若い頃はそんな事を突き詰めて考えて無駄な時間は作りたくなかった。 それでも不思議である。 そんな時分から喫茶店にいる時間と飲み屋にいる時間は別だった。 この時間はそういう秤で損得を決めたくなかった。 他を詰めてそんな時間を作っていたように思う。 無駄な時間には本当に無駄な時間と必要な無駄な時間があるように思う。 サラリーマン時代のダラダラ続く打ち合わせや互いを安心させん

生を感じる朝

発散の方法を知らぬ若さであった。 仕事で身体も心もクタクタで、帰ってゆっくり休めばいいのにそんな事は許してくれない若さがいた。 道着に着替えて合気道の稽古を始めると、流れ出る滝のような汗は私の身体に張り付いていたネバネバした嫌な汗を全て落としてくれた。 そして帰りは決まって酒だった。 流した汗のもとを取り返すかのように浴びるほどの酒を飲んだのであった。 その年齢のタイミングでなければ出来ないことがある。 その年齢のタイミングでやっておいた方が好ましいことがある。 しかし、

冷たい冬の日の出来事

背筋が凍るような思いをしたのはこんな暑い眠れぬ夜ばかりではない。 まだ高校生の大晦日、気まぐれに初日の出を見ようと浜名湖に自転車で向かったことがある。 東海道新幹線を東京から大阪に向かうと浜名湖を通過する。 私にとっての浜名湖界隈は小学生の頃から東海道線に乗って釣りによく行った明るい雰囲気の楽しい思い出のある土地である。 あの大きな浜名湖の太平洋との境の汽水域当たりの地名を今切(いまぎれ)という。 500年以上も前に浜名湖の入り口が決壊したそうだが、いまだに今切と呼ぶのを不

蒸し暑い夏の日の出来事

静かな夜だった。 異様な暑さはひと段落したものの、信じられないような湿度の高さに濡れたフローリングは私の足を取り、思わず事故を起こしてしまうところであった。 室内で湿度が95%などを超すことはめったにない。 理由の一番はもちろん気象条件であるが、鉄筋コンクリート造の気密性の高い建物の室内であって換気が悪いと湿度が上昇し続けることがある。 だから、雨の日でも実は換気は必要なのである。 高湿度の室内はカビやダニのはびこる環境を作り上げるばかりか人間を病気にする。 精神をも病ませる

雨の朝

昨日、8月18日、雨の朝、久しぶりに暑くない空気のなか目を覚ました。 しかしながら、気象情報を見やれば関西各地でまだ大雨が残っていた。 心地よい目覚めを喜ぶことの出来ない方もいるのかと思うと心境複雑でもあった。 広い日本、そこに大勢の人間が生活している。 大きな根本となるルールのなかで皆生きてはいるが、それのみで世の中は回っているわけではない。 私の常識が常識でないことや、私の正が正でないこともある。 人は一人で生きているわけではないのだが、誰もが勘違いをしてしまうときが

歳をかさねる

私より少し若い知人が私の記事に目を通して「宮島さんの記事を読むとなぜかホッとします、私も年なんですかね?」と言ってきた。 『もちろん俺たちゃ歳だ!』と言ったあと、はたと気がつきました。 ああ、年齢を感じる歳になったんだと。 『そういう年齢になった』、という言い方をすることがあると思います。 当然子どもの頃には使わない言い回しですよね。 子どもの頃にはあまり自分の歳なんて意識してないと思います。 気がつけば還暦を過ぎて、まさか自分がこんな歳まで生きるなんて子どもの頃

持って行けるもの

母の命日に久しぶりに元気だった頃の母を思い出していた。 通常であれば89年も生きれば、持ち物が多くて当然であろう。 でも母の持ち物はもともと多くなかった。 最後には本当に身の回りの日用品くらいしかなかった。 たくさん持っていたアクセサリーは世話になった人達に渡すところを何度か見ていた。 その気前のよさを母らしいと思っていた。 自身の指にしていた最後のシルバーの指輪は一番細い小指にも落ち着かなくなり、施設の方から『ひできさん、持ってて』と言われて他界する一年ほど前か

残暑お見舞い申し上げます

新型コロナウイルスは私の生活を一変させ、母の入所するグループホームにも兄の生活する施設にも、ある時期は『面会禁止』と言う厳しいお達しで制限され、それはゆるやかな時間と共に自身の生活を第一義に考えるべきだと教えてくれました。 遠く離れた要介護者への見守りは金よりも多大の時間と体力を要します。 それでも長く寄り付くことの無かった郷里に一年を通じて足を運ぶようになると、その季節その季節の様々な思い出が湧きあがって来たものでした。 子どもの頃、ちょうど今くらいの夏休みの真っ最中

闇におもう

昨夜は稽古の夜、最寄りの駅から自転車で帰ると熱い八尾の町を満月が煌々と照らし出していた。 美しい満月なのに外まで出てその姿を見てやろうとする人間は少ないのだろう。 でもこんな素敵な夜は独り占めできた方が私にはうれしい。 私が月に興味を持ちだしたのは子どもの頃である。 その頃の闇は闇だった。 闇は暗いものだった。 そんな漆黒の闇が怖かった。 そして、闇は人の本性を引き出す。 そんな闇が怖かった。 月の満ち欠けと潮の満ち引きや、人間の体調、犯罪の増加とも関係すると本で目にして

思いを伝えるのに必要なもの

実は熱中症で二日間寝ていました。 現在、夜の仕事をして週三日朝帰りをしています。 そして、週二回合気道の稽古がルーチンになっています。 先週はそのまま炎天下の京都を自転車で走り回り、晩に旧知と親交を深め過ぎてキョーレツな二日酔いになったり、人から書類作りを頼まれてそれが朝までかかったりと体調の変化も感じ出し、「マズいな」と思っていました。 結果、『熱中症』とお墨付きをいただいてしまいました。 老猫ブウニャンとベッドの上での生活をしていました。 一年半ほど続けてきたこの n

内緒のはなし

ここで内緒の話をしても内緒にはならないのだが、子供の頃、歌謡曲には疎かったが、実は歌を歌うのは好きであった。 小学生時代には音楽の時間によく褒められた。 そうすると逆に人前では歌いたくなくなった。 大学時代に皆でまだ歌詞カードを見ながら歌うカラオケスナックに行っても真剣に歌うのは嫌だった。 ゼネコンの事務屋時代に祇園のクラブで先輩によく歌わさせられた。 そのクラブに京都の東映撮影所に滞在していた映画俳優が若い女優を連れて来ていた。 その時だけ真剣に歌った。 その