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雨の朝

昨日、8月18日、雨の朝、久しぶりに暑くない空気のなか目を覚ました。
しかしながら、気象情報を見やれば関西各地でまだ大雨が残っていた。
心地よい目覚めを喜ぶことの出来ない方もいるのかと思うと心境複雑でもあった。

広い日本、そこに大勢の人間が生活している。
大きな根本となるルールのなかで皆生きてはいるが、それのみで世の中は回っているわけではない。
私の常識が常識でないことや、私の正が正でないこともある。

人は一人で生きているわけではないのだが、誰もが勘違いをしてしまうときがある。
思い上がりや勘違いは人として生きる以上、どうしても避けることは出来ないように思う。
だから、戒めや反省などという言葉が廃れること無くいつまでも私たちの身の周りに存在するのであろう。

ただ、歳とともにその思い上がりや勘違いは減ってきているように思う。
若い頃の数限りない失敗による学習効果もあるのだろう。
失敗は成功の母である。
出来れば失敗するべきだと思う。
同じ過ちを人間は繰り返さないから。
仮に過ちを繰り返したとしてもその過ちの質は向上していて、その後の気づきや得るものは大きいはずである。

なのに歳とともに失敗の匂いを嗅ぎ分け、小狡く生きようとするのも事実である。
良いとも悪いとも言い難い、それもまた生き方であろう。
咎めることも勧めることもできないことなのである。

朝からとりとめもなくぼんやり考えていた。
考えること自体が意味のあることなのか、ぼんやり考えていた。
雨の朝はこんなことが多い。

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