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宇宙人は言う「人類は戦争では滅びない。核戦争でも滅びない。しかし、核戦争は文明を大きく後退させる。それは地球環境には良い事だろう。」


色々な理由で戦争は続いた。以下は大二次世界大戦以後の主な戦争である。

● 朝鮮戦争(1950年6月25日〜1953年7月27日)
第二次世界大戦後に暫定国境を超えて、北朝鮮軍が突如南に侵攻してきた(今のロシアと同じ)。中国ソ連の推す北朝鮮と米国が推す南朝鮮(現在の韓国)とで戦争となった。結果は痛み分けで真ん中に軍事境界線が引かれ、分断して今に至っている。公式には戦闘は終わっていない。一時停止している状態なのだ。

● ベトナム戦争(開始時不明〜1975年4月30日)
ベトナムの略称は越国。中国ソ連が推す北越と米国が推す南越で、人類戦争史に残る特殊なベトコン戦闘が行われた。米国内の反戦運動を背景に米軍は撤退した。原因は何であれ、超大国の米国が負けた戦争だった。米国の越国への参戦は「トンキン湾で米国船が攻撃を受けた」事としていたが、後に捏造であることが情報公開で判明した。

越国は共産主義圏に組み込まれた。その他、アジア圏では、ラオスやカンボジアが越国と同じ様に戦禍に見舞われた。アジアの場合、多くは民主主義か共産主義かの戦いであった。主義主張で同じ国民が殺し合うのは、貧富や権利(王朝、身分)の大きな格差により、主義主張の前に社会が分断されていたからだ。

● 中東戦争(1948年から1973年)
イスラエル対アラブ諸国との間で大規模な戦争が4度起った。一見、ユダヤ教対イスラム教の争いに見えるが、実際は土地や石油資源の富を巡る争いであった。負ければ国が消える崖っぷちのイスラエル軍兵士と、負けても逃げ帰れる国があるアラブ諸国軍兵士とでは、戦闘の士気が違った。米国の支援も大きくイスラエルは4度も勝利した。割を食ったのは、負ける戦いに引き込まれたパレスチナ人たちであった。その影響は今も続いている。

● フォークランド紛争(1982年)
アルゼンチンの南大西洋側にある小さな島々、フォークランド(アルゼンチンではマルビナス)諸島は、1982年当時、英国領で僅か200人位の島民と、それより多い数の羊がいる極めて平穏な島だった。アルゼンチンは領有権を主張していたが、目立った衝突は無かった。

1982年、ここにアルゼンチン軍が突如として侵攻した(ロシアのウクライナ侵攻と同じ)。主張は島を奪還すると言うものだったが、実際の理由は極めて政治的なもので、内政に失敗した軍事政権が国民の目をらすためだった。似たは話は現代でも進行形である。

当時、鉄の女と称された英国のサッチャー首相は、主権を侵されたとして直ちに反撃にでた。この戦争は、軍事力で片方が優ると言うベトナム戦争や、その他のアジア内戦とは違っていた。両国がほぼ対等に近代兵器を使っての戦争であった。アルゼンチンがフランスから買った最新ミサイルや、英国の最新の垂直離着戦闘機が投入された、正にガチンコ勝負であった。

結果は、数ヶ月で英国の勝利に終わった。アルゼンチンの軍事政権は、この賭けの失敗により崩壊した。

● イラン・イラク戦争(1980年から1988年)。
この戦争はイスラム教内のシーア派(イラン)とスンナ派(イラクの6割)の宗教的対立が背景に在るが、両国の間に在る石油資源の争奪が直接の引き金になっている。これに、利権を得ようとした米国がイラクを支援したり、両国にある反・シオニズム(ユダヤ人の建国活動)に対するイスラエルの関節的関与が、この戦争を長引かせ複雑なものにした。

イランは王朝から近代化への過程で、社会主義的なモハンマド政権が誕生した。ソ連よりになったのだ。この時、王朝のパフラヴィー2世は国外に亡命した。モハンマド政権はイランの石油を国営化したが、これを嫌って英国資本の石油会社と米国のCIAとが結託して、貧困層に金をばら撒いて、反政府運動を起こさせ、モハンマド政権を失墜させた。

米国は親米的なパフラヴィー2世を呼び戻し、傀儡かいらい(くぐつ:操り人形)政権を作らせた。米国の目的は勿論、石油の利権獲得である。一連のイラン工作はCIAの情報公開で明らかになった事実である。一方このパフラヴィー2世はプーチンの様な独裁者であった。結局はイラン革命を引き起こしてしまい、フランスに亡命していた宗教指導者ホメイニが帰国し、政権を奪取してイスラム教支配の政府を樹立した。それは今も続いている。

イラン・イラク戦争は、国連の仲裁案を受け入れ痛み分けになった。戦果は双方大した進展もなく、合わせて100万人以上の兵士が犬死にして終わった。 日本にも経済的影響があり、中東に投資した多くが無駄に終わった。

● 湾岸戦争(1990〜1991)
1990年8月2日にイラクが隣国クウェートに侵攻して合併を試みた。1991年1月17日、米国を主体とする多国籍軍がイラクに侵攻。一月半ほどでイラクを制圧した。イラン・イラク戦争時に米国の支援を受けたイラクが、米国に倒されると言う皮肉な事になった。

イラクがクウェートに侵攻したのは、イラン・イラク戦争の時に戦費調達のために、クウェートから巨額の借金をしており、それを踏み倒すためと言う、何とも三下ヤクザ並の理由からであった。借金の返済が難しくなったのは、クェートを始めとするアラブ諸国が、石油の増産に走り原油価格が下がって、イラクの石油収入が減ったからである。イラクの独裁者サダム・フセインはこれは米国の陰謀と考えた。

● イラク戦争(2003年3月20日〜2011年12月15日)
上述のイラクの米国に対する不信感は、「イラクが米軍を攻撃する為に大量破壊兵器を準備している」と言う情報に信憑性を持たせた。当時米国の大統領ブッシュ(ジュニア)はイラク攻撃を決断した。独裁者サダム・フセインは捕らえられ(後に死刑)、フセイン政権は消滅した。

しかし、大量兵器は見つからず、その情報はガセであることが後に判明、国連で軍事侵攻の口実に、大見得を切った米国の信用は地に落ちた。イラクは、復興も治安回復もままならずにいた。米国は石油関連が生み出す金だけはしっかり手に入れ、やがて撤退した。

● アフガニスタンでの戦争
この国は、第二次世界大戦以前の100年以上前から戦争を続けている。戦争しか知らない国である。以下は戦後の主な戦いである。

○ 1978〜1989年
反政府同盟軍の武装蜂起とソビエト社会主義共和国連邦、略称ソ連の軍事侵攻(今のウクライナと同じ)。後にソ連は部族軍(特にタリバン)の抵抗に音を上げ撤退。

反政府同盟軍を支援して、ソ連の傀儡かいらい政権に影から対峙したのは、実は米国であった。この時、米軍が軍事訓練をしたサウジアラビアからの義勇兵に、米国911テロを起こした、あのオサマ・ビンラーディンがいたのは、米国にとって最大の皮肉である。

しかも、この時米軍(CIAと言うべきか)は、イスラム教の思想教育にも手を貸し、ジハードを殊更ことさらに強調して、本来の単に「努力」するの意味から、「自爆テロ」へと変貌させた。その最大の成果が米国911テロであった。正に「天に唾す」である。

○ 1989〜2001年
ソ連軍撤退後の内戦で、タリバンが首都カブールを占領しアフガニスタン・イスラム首長国を樹立する。

2001年〜2021年
米国は911テロを受け、アルカイーダとタリバン殲滅せんめつの為に軍事侵攻した。アフガニスタンを解放し民主主義国家樹立を目指した。タリバンは首都からは駆逐されたものの、地方やパキスタン側で勢力を維持し、テロを頻繁に行い治安の悪化に大いに貢献した。米軍は長引くテロと数を増す兵士の犠牲に、ソ連と同じ様に音を上げ撤退した。

粗末な民族服、素足にサンダル履き、骨董品カラシニコフ機関銃(中国製またはソ連製)と数個の手榴弾を持つだけの貧相なタリバン兵。一方、最新兵器で完全装備し、空はもとより宇宙からも支援を受け、あらゆるハイテク機器を装備した司令室から、超優秀な指揮官達の指示を受ける近代的な米軍兵士。

しかし、タリバン兵は米軍兵より強く最後には勝った。そしてタリバンが支配しているアフガニスタンでは、反抗した者や超厳格イスラムに反する者は処刑され、女は家畜になり戦闘は止んだ。

次は・・・って、もう切りが無いのでやめる。今まで挙げたのは、大規模な戦闘である。この他、前後の小規模の衝突、アジアやアフリカでの民族間や主義主張、地域を分離するしない等の理由の小競り合いを含めると、とても数え切れない数の戦闘が行われた。

そして2024年現在でも、ウクライナとガザ、ミャンマー、その他中東やアフリカで戦闘は続いている。ほんとに人類は戦争が好きだ。しかし、分かったことがある。これだけ多くの戦争が起き、多くの人が死んでも人口は減らない。増え続けている。現在約7億5千万人。つまり、人類は戦争では滅びないと言う事だ。

核戦争でも人類は滅びないだろう。核戦争になれば文明は大きく後退するが、その方が地球環境の延命にはなる。


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