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自分の歴史とこれから3

 実際に自分の歴史を書き始めてこんなに長くなるとは思っていなかった。不思議と内容は薄い(?)かもしれないが書いている自分が楽しいと思い続きを書くことにした。もし、面白いっと思って読んでいただける人がいたら嬉しいし、自分という人間の歴史が他の誰かの人生に影響を与えられたとしたらこれほど感動的なことはないと思い続きを書いていく。

会社に対する負の感情

 前回までに、大学の研究と企業の研究は規模が違い研究スピードや研究費は企業の方が多いというお話をした。研究は専門家が複数集まってプロジェクトを行うほうが研究のスピードは遥かに早く、自分にとっては新しいことであっても他の専門家にとってはめちゃくちゃ初歩的なこともある。初歩的なことにどれだけの時間を使っても新しいものを生み出すことはできない。やはり、専門家同士が話し合い、研究の方針を進めていくことの重要性を会社に入って知ることになった。
 ただ、会社にしばらくいるとデメリットにも目が行くようになった。それは売上を上げるということが前提となる研究をするということだ。自分が興味があるから研究するということではなく、ある程度決まった目標物を作るために研究を行う。そしてうまく行かないものはすぐに中止する。上記のことを繰り返すことは理解でき、ちょうどPDCAサイクルをできるだけ早く回転させ商品を上梓することを目指すということであり、理にかなっていると思われる。
 しかし、実際に研究を行っていると多少なりとも愛着が出てくる。(研究者に必ず持つ感情なのか、私、特有なのかわからないが。)それを振り払って新たな研究に向かうということに少し抵抗を感じていた。
 さらに実際の研究に関して上記のうように上手にPDCAサイクルを回し論理的に研究を進めていくのであればいいのだが、実際はいろいろな上司の思惑があり、この研究よりもあの研究を進めるといったことが見え隠れしているところも辛く感じた。
 実際はそういうことではなくキチッとしたフローチャートを上司の中では構築されていたのかもしれないが、そのような説明はなく研究の中止と、新たな研究への配属を繰り返され、自分が行った研究を発展させることなく頓挫していくことに悲しみを覚えてしまった。

新しいことへのチャレンジ

 そのような負の感情もあり、実際に商品を使うような職種に転職して実際の現場でどのような商品が求められているのか知りたいと思うようになり医療職を目指すようになった。正直、当時30台前半で自分の仕事をやめて新たな人生を踏み出すのに抵抗がなかったというと嘘になる。35歳くらいの先輩社員は輝いてみえ何でも知っていてできる人というイメージがありそのような人間になりたいと思ったのも事実である。しかし、上司の考えや会社の考えは本当に正しいのか、現場に立って働いた場合に本当にそれは課題であるのかということに興味を持ち現場に出たいと思い転職を希望するようになった。

今回の文章に関して


 今、自分で昔を振り返りながらすごく恥ずかしい気持ちでいる。「あたらいいことへのチャレンジ」と言う題は、自分にとっては眩しすぎる言葉である。というのもあまりチャレンジと言う言葉に似つかわしくない人生を送ってきたからだ。すごく恥ずかしい。インドア派であり友人も少ない自分にとってキラキラな言葉はあまり向いていないため、もし「こんな言葉使ってキラキラした人だなあ」っと思った方は間違いです。どっちかというと静かにいたいタイプの人間です。次週に続きを書きます。もし、楽しく読んでいただける方がいればすごく嬉しいです。スキッしてくれたら泣きます。


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