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本当の「共感力」がある人は、たくさんの共感が集まってると思う。

共感力がある人。実はこれが過去遡ってもあんまり思いつかない。しかし、急にとても共感力のある人にたくさん出会えるようになった。その人たちとは。

共感するとは 「みている」ことだと思った。
見てる側に徹していて、自分はその相手や問題に同化しない感じです。

それが完全に出来る人って、「母親」やってる人に多いんです。

だって自分が赤ちゃんになるわけにいかないし、
一緒に2歳児に同化しちゃったら一緒に危険な目に会っちゃいます。
でも、大人目線でずっといぱなしだと子どもはスネてしまうので、ある程度同じ目線まで共有しつつ、「見てる側」「見守る側」を徹しているのです。

「共感力」がある風の人と何が違うのかと考えて見ると(私も完全にそうだった自戒を込めて)
見てる側に徹することが出来ず、相手や問題と自分が一緒になりそちら側との境界線がぼやけちゃうのです。それはそれで凄い能力で、相手からしたらすごく頼れる素敵な人です。この人と一緒にいたい、こんなにわかってくれる人他にいなかった、もっとこの人と一緒に活動したらもっと結果出せる!みたいな。

しかしそれは共感を超えて「依存」の関係になり得る。相手や問題と自分が1つになることで保たれる関係になってしまうので、自分がそこから抜けるとバランスが崩れてしまう関係になってしまう。

私は、ヨガやカウンセリング的に心身を整える活動してきてるのですが、社会で頑張っている自分だった時はこの関係になりがちだったように思うのです。それだと、実は一緒にいる時はいいのですが、相手がこのいろいろ乗り越えていかないといけない社会で強くいるための力を弱くさせてしまうことがあり得る。

結局は全部自分の力で乗り越えられることが自立であり、自分の力であるとわかってきました。その上で、誰かを頼ったりできればさらに最高だと思う。

そう思うと、子育てをしているお母さんたちは、いつか自分がいなくても幼稚園で過ごさないといけないし、学校で学生しないといけないし、最後は社会で自分の力で進んでいかないといけない。自分といないとダメな人になってもらうわけにはいかないので、「見る側」「見守る側」にずっといられるのかなと思っています。

それで「見てる側」が鍛えられて当たり前になった人は、自分の子ども以外にもそういう接し方が出来るから、共感力のある人だな〜凄いな〜って思うような方がママさんにたくさんいるのかと思った。

もちろんママさんに多いということは新発見なのですが、お母さんにならなくとも自然に出来る人もたくさんたくさんいます。

そして、境界が曖昧な「一緒で1つ」の関係になりがちな共感の関係の人はそれが必要な人や、自分にとってもそうしてくれる人を求めてしまうので、「本当の強さまで見ててくれる」共感が集まらないのかもと思ったりします。

しかし相手をそのまま受け入れていいところを伸ばしつつ、見守れる共感でいられる人は、自分にもそう接してくれる共感力のある人が集まります。

だから見守ってくれる人がどんどん増えて、なおかつ、自分の強さやいいところは自立して個性が際立ってますます素敵になります。

共感力とは 『放っておかない!でも同化もしない』!!

目でしっかり見る、そして心から相手を感じるそれが同時に自然に出来て
それでいて相手の中にまで踏み込まない。
それが共感力なのかもしれないです。という自分の気付き。

一緒で1つにならない自分でいたいです。

2人いたら2倍だ、10人いたら10倍の生きる力が高まりますように。

共感力は相手の才能を引き出して輝かせる、そして自分を結果的にそうしてもらえてしまう。素晴らしい力だと感じます。

そんな「共感力」で接する自分でいられるよう、頑張ります^^


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