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自分を信じること2.0
水星逆行が終わり、全惑星順行になった流れなのか。はたまた、たまたまなのか。コミュニケーション含めて自分の意思や気持ちの流れの詰まりが取れつつあるような感覚がある。
自分を信じるということ
信じる、ということをテーマに2021年を過ごしているお知り合いの方と対話をした。それにより『信じる』ということの輪郭がよりくっきりして、解像度が上がってきた。
自分を信じることは、想像以上に難しい。過去の体験から、妄想から、信じないという選択肢をとる場面は多い。自分を信じることの解像度が上がったいま、日常を眺めるレンズが少し変わったような気がしている。
新しいレンズで、元々の自分を眺めてみる。周りをすごくキョロキョロして、びくびくして、こいつは敵か?信じていいのか?と不安になっている。これはゆきさんのセッションでも登場した、古いパラダイムの自分の姿にも重なる。
自分が〇〇という感情を感じていることを表現してもよい、ということを信じていなかった。そして、周囲の人もそれを受け取れないと、周りも信じていなかった。自分のことを信じていないと、周囲のことも信じられないとは、よくいったものだ。
先述した、人に諦めているのも、すなわち人を信じていなくて、つまりは自分自体を信じていない。伸びしろを感じるね。
外側に信じるに値する根拠を探している
自分は感情の取り扱いが苦手だが、それは、感情をそのまま抱えることをしていない。感情にラベルをつけるのではなく、感情を抱えておくための尤もらしい根拠や原因を探してラベルを貼っているのだ。
イメージ
目指したい状態 : 『悲しい』という感情がそこにある
いま : 『悲しい』 → 暇だから → 忙しくしよう!
(逃避克服型)
自分が、〇〇な感情を感じていること、〇〇だと思っていることに、根拠を求める。外側に根拠を探す。世の流れがそうなのかとか、Googleで検索して同じ意見である人を探したりとか。
自分の感情や意見が『正しい』ことを実感したいのだ。正しい ≒ 自己信頼、だと思っているのだ。
そうじゃないんだよな。そうじゃないらしい。
自分がここにいること、感覚や感情を味わっていること。そこに理由やロジックなんてものはない。ただそこにある、という感覚だけが事実。
この先に自分を愛して、世の中の人すべてを愛するパラダイムがあると思うんだな
その道のりを楽しんで、新しい感覚を味わって、進んでいきたい。
自分が感じたことをそのまま伝える。事実を伝える。そういうことを、小さいことを少しずつ重ねていくことが、自分を信じることが湧いてくるんだと思うし、自分を大切にすることにも繋がる。そして、自分を愛していくんだと思う。
最近、人を無条件に愛する感覚が少しずつ広がっているような気がする。母に電話したいと思うことが増えたし、電話もする。毎回長話だけれど、嫌な気持ちにならず、母がたくさん色んな話をしてくれて、その先に本音が出てくるのが本当に楽しい。
「電話したいと思ってるんだけど、仕事の邪魔したらアレかなと思って。」
(いまは家で仕事してるし、もし出られなくてもこちらからまだ電話するよ。)と伝えて、同じ言葉を以前、自分が受け取ったことがリフレクションされた。
そうか。彼は事実としてそう感じていたんだな。その先の感情は分からないし、私の解釈が混じっていたんだろう。そういうのを勝手に受け取って、勝手にありがとうと愛を味わう。
このnoteを書きながら、また心には愛が溢れ、色んな生き物や景色に嬉しいきもちになっている。
Feb 25, 2021. 17:58
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