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「お前が言うな」というブーメランをひねり、その善し悪しを考察する


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注意

テレビドラマ

『麒麟がくる』
『相棒』

テレビアニメ

『鋼の錬金術師』(2003)
『新世紀エヴァンゲリオン』
『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』
『銀魂』

アニメ映画

『劇場版 銀魂 万事屋よ永遠なれ』

漫画

『鋼の錬金術師』
『銀魂』
『新世紀エヴァンゲリオン』
『JIN-仁-』
『新世紀エヴァンゲリオン ピコピコ中学生伝説』

特撮テレビドラマ

『ウルトラセブン』
『ウルトラマンメビウス』
『ウルトラマンジード』
『ウルトラマンZ』

小説
『塩狩峠』

 これらの重要な情報を明かします。

はじめに

 私は幾つかの物語で、「主人公が悪役を批判しておきながら、別のところや形で悪役と似たことをしていないか」と不満を持つことがあります。
 たとえば、『ウルトラセブン』で人間を侵略者から助けるウルトラセブン=モロボシダンが、強力な兵器「R1号」を開発して敵の母星まで爆破しようとしたときに、「敵がさらに強い兵器を作ります」と批判し、「さらに強い兵器を作れば良いじゃないか」という発言に、「それは血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」と言っています。
 R1号の実験で変異した、つまり倒せなかったギエロン星獣をセブンが倒した、「後始末をした」と言える展開になりましたが、私は「セブンはR1号より危険な力を持つのではないか」と考えたことがあります。
 セブンに対抗して、ガッツ星人が用意周到な作戦で倒そうとしたこともあります。
 このような「血を吐きながら続けるマラソン」への批判はウルトラシリーズにしばしばありますが、つまるところ、主人公もそのマラソンを引き起こしている可能性があります。
 『ウルトラマンジード』や『ウルトラマンZ』では、そのセブンも含めたウルトラ戦士の能力でウルトラマンが兵器を作り出しています。『ウルトラマンメビウス』では、侵略目的ではないとはいえ、「我々にとってはウルトラマンが地球人の武器だから怪獣を連れて来た」というメイツ星人もいます。
 「ウルトラマンは武器ではなく仲間だ」という反論も、あくまでウルトラマンに人権や尊厳があるという話であり、その力が敵を恐怖させて新しい武装や反撃を引き起こす危険性は、根本的には武器と変わらないと私は考えます。
 『相棒』では、警察の中で孤立する警官の杉下右京が単独行動を取り、周りの警察の不正や怠慢を批判することもあります。
 しかし、自分が許可されていない違法捜査をしながら、他の警察官の違法捜査まで批判することがあり、自分に甘いと言えるときがあります。許可しない上司にも問題がないわけではありませんが。

見栄えの良い同一視

 そういった批判を、「お前が言うな」、「ブーメラン」と呼び、ダブルスタンダード、二重基準だと責めるのでしょうが、完全に同じ例というのもないので、探せば違いが見つかります。そして、細かい違いを取り上げて「違う」というより、無視して「同じだ」という方が、勢いのあり見栄えの良いところがあるため、強引に同一視してしまうところは私にもあります。

「ある意味同じである意味逆の例」を同一視するパターナリズム

 たとえば、「ある意味同じである意味逆の例」もあります。
 『新世紀エヴァンゲリオン』漫画版では、敵に操られたエヴァンゲリオンに囚われた人間がいるため、エヴァで攻撃出来ないシンジに、攻撃を命じたゲンドウが、シンジを無視してエヴァを強制的に操り過剰に思えるほど(止められるのか分かりませんが)攻撃させ、中の人間を死なせました。
 それをシンジはゲンドウの責任だと怒りました。
 しかし、加持リョウジはかつて貧困で軍の物資を盗み、捕らえられて自分だけ助かるために仲間の場所を言って死なせてしまったとシンジに話し、「君は俺と同じ、幸せになっちゃいけない。君が自発的に戦えば助けられたかもしれない」と批判しました。
 けれども、「自分は死んでも良いから人を攻撃したくない」と漫画版で断言して、周りに強制的に自分だけ助けられたシンジと、「自分は死にたくないから仲間を見捨てても良い」と判断してその通りになった加持を同一視するのは、強引だとも言えます。
 加持としては自分の罪の意識を認める善意と共に、シンジに「俺と同じ責任を取れ」と強制する意味があり、ある意味で「相手の自由な判断を奪う善意」、パターナリズムとも言えます。
 しかしその論理は、「ある意味同じ」なところだけ取り上げ、「ある意味逆」なところを無視する勢いや見栄えの良さで支えられています。私も似たようなブーメランをしてしまっているかもしれません。
 そこで、「耳が痛い」、「僕らに言われたくない」などの「自虐的なブーメラン」により、ブーメランそのものの是非を検証します。

「耳が痛うございます」、「そちは格別じゃ」

 『麒麟がくる』で正親町天皇は、弟が出家させられた恨みで自分を苦しめて権力をふりかざしていることを批判していました。しかし、その行いの悪さの中の「双六と闘鶏に現を抜かしている」ということに、相談相手の医師の東庵は、「双六、闘鶏は耳が痛うございます」と話しています。
 東庵は落ちぶれたような扱いで飄々とした医師ですが、それで庶民の暮らしなどを天皇に伝えるという意味で重宝されているのか、「そちは格別じゃ」と言われています。
 この東庵の「耳が痛うございます」は、ある意味、通常ならばブーメランとして言われる台詞を、「自虐的な反論」にしているとみられます。
 この趣旨は、「あなたは気に入らない人間をこの点から批判していますが、その点ならあなたの気に入る人間、たとえば私にもありますよ」という反論であり、天皇に柔らかく言うために「自己反省」の形を取ったのでしょう。
 しかし、なりたくなかったとはいえ僧侶の、それも代表の立場の人間が、単なる医師より遊びに関する義務が重いのは当然であり、何も東庵が自分を責める必要はないとも考えられます。そのような遊びの観点もある東庵の発言を、正親町天皇は自分にない必要なものだとみなしているのでしょう。
 さりげなく東庵は、自分の行いを反省すると共に、天皇の論理の一部にも反論をしていますが、これは穏やかな議論だと言えます。
 この作品の終盤で、「もう戦をしたくない」と光秀に打ち明けて独裁をしようとする信長は、逆らう者への容赦がなくなり、「みかどはお前にわしを悪し様におっしゃったのか」と焦るように光秀に問い詰め、光秀はその中身を恐れて言えず、信長は「みかどを替えよう」とまで言いました。これが本能寺の変のきっかけのようにも描かれています。
 具体的な中身すら聞かず、ただ「悪く言った」というだけで致命的な争いの火種であるかのように捉えて許せないのが、信長の独裁の強引さであり、東庵の「耳が痛うございます」という穏やかな反論に「そちは格別じゃ」と穏やかに返した天皇とは異なります。
 東庵は、天皇が問題視する行動の多い弟の「行動」の一部を批判するに当たり、その一部だけならば、基本的に肯定されている自分にもあると話すことで、論理の一部を否定したのでしょう。

「僕らに言われたくない」

 映画『銀魂 万事屋よ永遠なれ』では、始まりのメタレベルの会話で、「映画のずるい商法には注意すべきだ」と神楽が観客に警告すると、新八が「いや、僕らに言われたくないよ。前の映画で似たようなことをしていただろう」と言いました。
 「僕らに言われたくない」という表現はきわめて珍しいと私は考えますが、これは『銀魂』がメタレベルの、特に同作自体を悪く言う自虐的なところがあるため、「作品外部の『銀魂』を悪く言う視点」を「作品内部の新八」に言わせて、ひねったブーメランをしたとみられます。
 つまり、ブーメランは「お前が言うな」のように話し手を守り聞き手を批判することが多いように見えますが、つまるところ聞き手の論理の中で「聞き手に関わる存在が、聞き手に悪く言われる存在と同じことをしている」というほころびを見つけたに過ぎず、話し手を悪く言うことも原理としては可能なのです。
 東庵も、正親町天皇自身は闘鶏や双六をしていないとはいえ、天皇の特別扱いする自分が、批判される弟と同じことをしているというブーメランで、論理のほころびを僅かに指摘しただけで、ブーメランで聞き手を悪く言う必要も常にあるわけではないのでしょう。
 あくまでブーメランで批判すべきは、「聞き手の論理の一部」であり、「聞き手の行動」とは限らず、「話し手を守る」とも限らず、むしろ「話し手の行動」を批判することも可能なのです。

「このわしも無力ということだな」

 『JIN-仁-』原作では、幕末の日本で蘭方(西洋医学)と漢方(東洋医学)の対立があり、西洋医学を基本としながらもはるかに進んだ未来の技術を持つ南方仁が、周りと協力関係を築きます。
 漢方の医学館の代表である多紀は、「わしが幕府の医療について知らぬことなど有り得ぬ」と言う高圧的なところもありますが、部下が開腹手術を恐れるときに「お前が死ねばわしも死ぬ」と言うなど、彼なりの気遣いもあります。
 そして、蘭方の医学所の代表の松本良順が、仁の助言を活かすのが間に合わずに家茂将軍を脚気で助けられなかったあと、仁が偽の薬を処方した疑いをかけられて医学所も巻き込まれそうになったときのことです。
 距離を置いていた医学館の医師の一人は、良順を忌々しげに「先の上様も治せなかったくせにつけ上がっていた」と批判し、多紀は「同じく治療を命じられていたこのわしも無力ということだな?」と重々しく言いました。
 東庵よりは高圧的ですが、これは「お前が悪く言う人間と同じところが、お前の上司である自分にもある」というブーメランです。
 そのような複雑な論理は、多紀の独特の立場や人格からのものです。
 そこから少しずつ、医学館と医学所の和解に繋げています。
 良順も、「前の上様が亡くなられた責任は、私がもっとも重いものです」と認めています。


近藤の「憎めない」ブーメラン




 
 『銀魂』の近藤は武装警察の局長であり、本来ならば横暴な権力者に加担して暴力をふるう存在として扱われてもおかしくありませんが、「憎めない」言動があるように扱われます。
 特に「自分に跳ね返るブーメラン」がコミカルに映ります。
 初登場したときに、妙のストーカーとしての行動を陰で言われ、銀時が「ストーカー、出て来い、成敗してくれる」と叫ぶと、わざわざ「何だと、やれるものならやってみろ」と現れました。相手に反論するつもりで、自ら「ストーカー」と認めています。
 銀時達がゲームを深夜に並んで買いに来たとき、それを笑う近藤も並んでいたため、部下の沖田に「俺達にもふりかかるのでやめてください」とたしなめられています。
 また、不正をした宇宙人の役人を護衛する任務中に、部下の騒ぎを叱責したものの、「貴様が一番うるさい」と当の警護対象に言われて謝罪しています。
 この役人に良いところは見られませんが、その「うるさい」という不快感だけはコミカルに読者にも共有されました。
 「うるさい」、「お前もうるさい、そして自分もだ」という連鎖は、銀時の記憶喪失、サンタの回にもあります。
 『銀魂』では、コミカルな形で、批判する存在へのブーメランをしています。

「創造」の神秘と「認識」の神秘

 『塩狩峠』では、作中の時代の日本で白い眼で見られていたキリスト教に入る前の主人公が、「汚い土からこのように美しい花が咲くのは何故か」という疑問から、神秘的なものを信じ始めるようになったようです。
 しかし私は、花は土の元素や空気や水から構成された物体に過ぎない、という無味乾燥な反論を考えたこともありますが、何故それが「美しい」のか、という答えを、自分なりに出しました。
 まず主人公は、幼い頃に自分の顔から面識のない母親の顔を「きれいだったんだろうなあ」と推測していました。
 「単なる花の特徴に美しさを感じるのも、それと自分と同種の生物である人間の特徴に、美しさという同じ分類を行える人間の心こそ特別なものなのだ」と考えたのです。
 近代合理主義に重要な役割を果たすデカルトの哲学は、「我、思う故に我あり」、「何もかもが疑わしいが、疑っている自分の存在だけは疑えない」というところから自分の存在を起点として論理を組み立てるようです。これは人間を特別扱いする西洋の文明を推し進めたとして批判されることもあります。また、デカルトは、要素に物事を分割して還元する発想もあったそうです。
 一方、東洋思想で重要な仏教では、「縁起」という繋がりを重視して、全ては単独では存在しない、全ては「空(くう)」という何もないところから生じるという思想があります。仏教では、本来は、世界を生み出した「神」は想定しません。
 仏教は、観測することで物体の位置と速度が定まるという量子力学の不確定性原理などと相性が良いとされます。
 私はこれらも踏まえて、仏教の「六大」という概念で、地、水、火、風、そして「空」と「識(人間の認識)」の6つを重視することから、やはり人間の認識を重視しています。
 また、般若心経では、「色即是空空即是色」という部分があり、物事の特徴である「色」と、何もないところから全てが生まれる「空」を同一視しています。
 そのため、『塩狩峠』の主人公に私なら、「汚い土から美しい花が生まれるのは、物質の組み合わせによる信号である色覚的な特徴に、あなたが価値を見出す特別な認識があるからであり、それにこそ価値があります」と言うかもしれないと考えました。
 この作品では仏教はキリスト教に比べて世俗化された扱いでしたが、『池上彰の教養のススメ』によりますと、現代の欧米では、仏教の方が個人主義として研究されているそうです。
 いずれにせよ、「あなたが特別なのだ」と、論理を否定しつつ相手の何かしらを肯定する反論は可能なのでしょう。

ウルトラシリーズでのブーメラン

 たとえば、ウルトラシリーズでは「強力な兵器を生み出すことで相手の反撃や武装を招く」という批判に、私は「ウルトラマンもそれを引き起こしている」と反論を考えることがあります。
 しかし、『メビウス』では、メイツ星人が「我々にとってはウルトラマンも地球人の武器なのだ」と言っています。
 けれどもこれは、必ずしも気に入らない相手を批判するだけではありませんでした。
 メイツ星人ビオはその前に「宇宙警備隊の強さは私も知っているつもりだよ」と、相手の強さを誉めた上で、自分の推測にも限界があるとみなしています。つまり、「知っているつもりの強さ」を自分が「恐怖」しているからこそ対抗するのだという、ある程度ビオ自身にも不利な反論なのです。
 人間側の防衛隊長のサコミズも、上官のトリヤマが「宇宙人は怪獣で武装して来ている」と言うと、「武装なら我々もしています」と反論しました。しかし、侵入した側とされた側の武装が完全に同じ問題かは微妙ですし、言及されていませんが本作の人間も別の星に移動していますし、だからといって宇宙人が武装せずに宇宙を移動したり地球の近くで捨てたり出来るかも怪しいでしょうから、トリヤマも「いや、私が言いたいのはね...」と微妙な反応でした。
 サコミズも、武装そのものを否定はあまりしませんが、それが相手には「武装である」とみなされる自覚はしており、「行動した上で批判を受け入れる」としているのでしょう。
 つまるところ、ブーメランを返すときには、相手と同じ問題のある行動を自分もするか、双方手を引くことを求めるかの解決に、何らかの鍵があるのでしょう。行動と論理のどちらかを批判するかが問題です。
 ビオは「我々も君を恐れている」という意味で自分の行動を批判する部分はあり、それにより相手の論理を批判しています。

『相棒』と『鋼の錬金術師』の組織の「自浄作用」

 『鋼の錬金術師』では、不正をする軍人が多いですが、それを是正するためにこそあえて加わる人間もいます。
 原作では、マスタングは自分も含めた戦争での虐殺を裁くように制度を変えるために出世を目指していました。
 2003年のアニメ版では、どちらかと言えば純朴な軍人のアレックス・ルイ・アームストロングが、疑わしい軍人の下につき、追い詰めたときに、「軍を浄化するために、あえて汚泥に身を浸したに過ぎない」と言いました。
 しかし、尺が比較的短い『鋼の錬金術師』と異なり、きわめて多くの事件がばらばらに起きては違法行為をする警察官や権力者を逮捕するのを繰り返す『相棒』では、主人公の違法捜査のみを棚に上げる部分が軸となり、他の違法行為を批判し続ける二重基準がどうしても是正しにくいと言えます。その予定調和が、警察などの組織を「自浄」し続けている構図になっています。
 

「現実的な恋愛が難しい」

 『新世紀エヴァンゲリオン ピコピコ中学生伝説』では、『新世紀エヴァンゲリオン』の「人類の敵である使徒に中学生が戦う」という展開に、「ゲームの能力でエヴァを動かす」という要素を加えてコミカルにしています。
 そこで、「ゲームが得意な子は友達が少ないことが多い」と誉めているのか蔑んでいるのか怪しい台詞で教師のミサトが指導するなどのギャグが進みます。
 そのため、いわゆる「リアル」な生活や人間関係の欠けた中学生がゲームに熱中しているのを利用するような部分もあります。『銀魂』でも、ゲームの中では現実に失敗している人間ほど強いというような台詞があります。
 使徒と戦うためには、人間の「心の壁」を操作する必要があるという『エヴァ』の設定から、「ギャルゲー」でそれを突破しようというミサトの提案に、シンジは「それは恋愛を学ぶというより、現実的にそれが難しい人が対象なのではないか」と反論しました。
 するとミサトは、「やめなさい、それ以上はまずいわよ!ただじゃおかれないわよ!あと、まずお前が言うな、的な反感もある!」と跳ね除けました。

恋愛の難しさと、それを利用するメタレベルの観点

 これは、ある意味でメタフィクションとして、「お前が言うな」を二重の意味で主張していると考えられます。
 まず、シンジも内向的であり、この『ピコピコ中学生伝説』ではさらにゲームが得意ということで、周りに距離を置かれそうな部分があり、その意味で「現実的な恋愛が難しそう」だとミサトはみなしたのでしょう。
 しかし、シンジは「僕も含めて、現実的な恋愛が難しい人間向けのギャルゲーで本物の恋愛は学べないでしょう」という意味で最初から言った可能性も否定は出来ません。それをさらに抑え込むのは、「それ以上はまずい、ただじゃおかれない」という主張です。
 おそらく、「そもそもこの物語の読者や劇中のゲームをする人間が、現実で充実したと言われる生活を送りにくい劣等感や不満を抱えているからこそゲームや漫画の商業を成り立たせているのだ。その現実をお前が言うのは、自分のゲームに取り組む職業や学業、さらにこの物語の根底を揺るがす、天に唾する行為だ」という意味があるとみられます。
 「僕も含めてギャルゲーでは本物の恋愛は学べない」という反論だけなら、「ギャルゲーをしない」という行動や結論で解決します。しかし、「そもそも現実的な充実感を得られない人間がゲームをしている」というのは、ゲームや漫画を成り立たせる耳の痛い部分のある現実であり、それをシンジが言い出せば、『エヴァ』という作品媒体そのものの価値が問われてしまうメタレベルの危険性があり、それをミサトは「まずい、ただじゃおかれない」と表現したとみられます。これはその作品の主人公である限り、シンジには解決出来ません。
 『エヴァ』本体のアニメでは、台本を見るシンジが「エヴァに乗らない僕の世界もある」と考えるメタレベルの最終回がありましたが。

推測と意見のねじれたブーメラン

 論理が混乱してきたようなので、整理しますと、『エヴァ ピコピコ中学生伝説』の「ギャルゲーは現実に恋愛が難しい人向けなのではないか」というのをシンジが言うのは、「ミサトの論理の欠陥を突く推測」ですが、そこにシンジ自身を棚に上げた「ギャルゲーをするような人間に心の壁を突破出来るわけがない」という蔑んだ「意見」が混ざっているとミサトはみなして、「お前が言うな」、つまり「お前にもその欠点はあるだろう」という「推測」をぶつけた可能性があります。しかし、これはシンジが「僕も含めてギャルゲーは本物の恋愛には向きません」と言えば解決出来ます。
 けれども、仮にミサトが「現実的な恋愛が難しい人間に空想の恋愛を提供するような商業でゲームもこの漫画も成り立っている」というメタレベルの推測や「それは痛々しいけれど必要なことだ」という意見を持っていれば、その物語の主人公であるシンジには解決出来ません。
 相手の論理に「お前が言うな」とブーメランを返すときは、あくまで相手の気に入らない人物の行動の「悪い」部分が、相手の気に入る人物(多くは相手自身を含みます)にも重なると主張しているとみられます。それは話し手を守ることになることも多いですが、東庵や多紀のように、話し手自身を「相手が肯定する相手」として批判することで、相手の行動ではなく論理だけを否定することも可能です。
 そのときに重要なのは相手の論理を否定する「事実」や「推測」を挙げつつ、相手ではなく自分を悪く言う「意見」を主張することなのでしょう。
 『ピコピコ中学生伝説』の「お前が言うな」は、シンジが「ミサトさんのギャルゲーに関する推測は間違っています。僕も含めて現実の恋愛が難しい人間がギャルゲーをするのですから」という相手を批判する推測と自分を批判する意見を言う余地はあります。
 しかし、「現実的に恋愛が難しいからギャルゲーをすることでゲームやこの物語が成立している」という推測は、ミサトに不利でも、同時にシンジ自身にも不利な意見を生み出しますから、解決しにくいとみられます。

まとめ

 相手にブーメランを返す場合は、「相手の論理」の中で悪く言われる存在と良く言われる存在を重ねれば済むのであり、「相手の行動」を悪く言う必要は必ずしもなく、むしろ「相手が良く言う自分」を批判することも可能です。
 しかし、『ピコピコ中学生伝説』の「現実的に恋愛が難しいから恋愛のゲームをする」というのが物語の根幹や話し手自身の存在そのものに関わる場合など、ブーメランを解決しにくい場合もあります。
 
 


参考にした物語


 

テレビドラマ

落合将ほか(プロデューサー),池端俊策ほか(脚本),大原拓ほか(演出),2020,『麒麟がくる』,NHK系列
橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)

テレビアニメ

水島精二(監督),會川昇ほか(脚本),2003-2004,『鋼の錬金術師』,MBS・TBS系列(放映局)
庵野秀明(監督),薩川昭夫ほか(脚本),GAINAX(原作),1995-1996(放映期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,テレビ東京系列(放映局)
入江泰浩(監督),大野木寛ほか(脚本),2009-2010,『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』,MBS・TBS系列(放映局)
藤田陽一ほか(監督),下山健人ほか(脚本),空知英秋(原作),2006-2018(放映期間),『銀魂』,テレビ東京系列(放映局)

アニメ映画

藤田陽一(監督),大和屋暁(脚本),2013,『劇場版 銀魂 万事屋よ永遠なれ』,ワーナー・ブラザーズ

漫画

荒川弘(作),2002-2010(発行),『鋼の錬金術師』,スクウェア・エニックス(出版社)
空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)
カラー(原作),貞本義行(漫画),1995-2014(発行期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,角川書店(出版社)
村上もとか,2001-2010(発行期間),『JIN-仁-』,集英社(出版社)
河田雄志×行徒,カラー(原作),2014-2018,『新世紀エヴァンゲリオン ピコピコ中学生伝説』,KADOKAWA

特撮テレビドラマ

野長瀬三摩地ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1967 -1968(放映期間),『ウルトラセブン』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),安達寛高ほか(脚本) ,2017,『ウルトラマンジード』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),吹原幸太ほか(脚本),2020,『ウルトラマンZ』,テレビ東京系列(放映局)

小説
三浦綾子,2005,『塩狩峠』,新潮社



参考文献

佐藤勝彦,2006,『相対性理論と量子論』,PHP研究所
池上彰,2014,『池上彰の教養のススメ』,日経BP社
池上彰,2011,『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』,文藝春秋
小林道夫,2006,『デカルト入門』,ちくま新書
吉村均,2018,『チベット仏教入門 自分を愛することから始める心の訓練』,筑摩書房
広瀬立成,2006,『空海とアインシュタインー宗教と科学の対話』,PHP研究所
山北篤,2019,『シナリオのためのファンタジー事典 知っておきたい歴史・文化・お約束121』,SBクリエイティブ
中村元,2003,『現代語訳 大乗仏典1』,東京書籍

金岡秀友/校註,2001,『般若心経』,講談社学術文庫

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