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幾つかの物語についての考察のまとめ,2024年3月2日

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注意

これらの重要な展開を明かします。

特に、PG12指定の映画『シン・仮面ライダー』、『仮面ライダー THE NEXT』にはご注意ください。

テレビアニメ

『ドラゴンボール超』
『クレヨンしんちゃん』

漫画
『ドラゴンボール超』
『真の安らぎはこの世になく シン・仮面ライダー』
『鋼の錬金術師』
『デビィ・ザ・コルシファは負けず嫌い』
『PLUTO』
『「もう....働きたくないんです」冒険者なんか辞めてやる。今更、待遇を変えてやるからとお願いされてもお断りです。僕はぜーったい働きません。』
『逆資本論』

小説

『幼年期の終わり』
『華やかな三つの願い』(星新一)
『はじめての例』(星新一)

特撮映画

『シン・ウルトラマン』
『シン・仮面ライダー』
『仮面ライダー THE NEXT』
『仮面ライダー3号』

特撮テレビドラマ

『ウルトラマンメビウス』

テレビドラマ

『相棒』
『どうする家康』

はじめに

 今回も、多くの物語についての考察や意見をまとめますが、『シン・仮面ライダー』関連が多いようです。

緑川弘はコウモリオーグに勝ったと言えるか

 『シン・仮面ライダー』で、主人公の本郷をバッタオーグに変えた緑川弘は、主人公側の科学者なのですが、彼に嫉妬あるいはライバル視していたらしいコウモリオーグは、様々な意味で緑川弘に敗北しているという指摘を見ました。

 コウモリオーグは人間の数を疫病で減らすのが人類のためだとして、ヴィルースにより多数の人間を抹殺しましたが、緑川弘の研究によりプラーナという生命エネルギーを扱うバッタオーグ=本郷と、緑川の娘のルリ子には通用しないことに気付かなかったため倒せず、逆に自分が倒されました。また、逃げる途中でバッタオーグの跳躍力を知るため届かない高さまで飛んだのも、緑川弘が本郷のために用意したバイクのサイクロンが飛べるため無効化されました。
 しかし、これを緑川弘によるコウモリオーグへの勝利とは、手放しには言えないところがあります。何故なら、時間などから、バッタオーグの完成がぎりぎり間に合ったのが重要だと言えるためです。
 緑川弘のバッタオーグが完成したのは、クモオーグ曰く想定外の早さだったらしいですが、それが少しでも遅れればルリ子は眼をクモオーグに潰され活動しにくくなり、クモオーグを仮にコウモリオーグが倒したとしても、バッタオーグ抜きでは逃げられる可能性がありました。
 また、バッタオーグ完成の序盤から、コウモリオーグとの戦いまで、劇中の動きから、1時間ほどしか経過していない可能性すらあり、時間はぎりぎりでした。
 コウモリオーグのヴィルースがルリ子に効かなかったのもあくまで「その時点」であり、ハチオーグやチョウオーグの活動の速さがルリ子からみて予想外のところもあったことを考えても、サソリオーグのようにプラーナで対処出来ない毒を持つオーグメントがいることを考えても、仮にコウモリオーグを一度でも逃がせば、プラーナで対処出来ない新しいヴィルースや疫病を生み出され、打つ手がなくなった可能性もありました。
 つまり、緑川弘とルリ子がコウモリオーグに勝つためには、ヴィルース対策だけでなく、取り押さえるか倒すかするためのバッタオーグとサイクロンの戦力が不可欠だったのです。
 「余裕の勝利」とも「ぎりぎりの勝利」とも言える複雑さがあります。

「仮面ライダーケイ」の可能性

 『シン・仮面ライダー』の続編の予定があるそうですが、ここで考えたのが、「仮面ライダーケイ」の誕生する可能性です。
 『シン・仮面ライダー』では、「少数の幸福」を目指すAIの「アイ」、およびその外世界観測用のロボット、「ジェイ」とその後継機の「ケイ」が、「もっとも絶望した少数の人間」の幸福のために様々な暴力に協力します。
 その叶え方は、少数の人間同士で争ってもおかしくないものです。
 人間を直接絞め殺すことを「幸福」とするクモオーグ、刺し殺すサソリオーグ、人間を自分のヴィルースで減らすことを目指すコウモリオーグ、人間を全て操ることを目指すハチオーグ、クモオーグの敵討ちを目指すK.Kオーグ、人間のプラーナを全て「嘘のつけない」世界に連れて行くつもりのチョウオーグなどです。
 クモオーグ、サソリオーグ、チョウオーグ=イチローは漫画版で手を組んでいましたが、元々「クモ」と「サソリ」は折り合いが悪く、イチローとも対立が深まっています。
 その「少数」同士で争うことについて、人工知能のケイは、観測するだけで、「どなたがいなくなられても、dataさえいただければかまいません」とふるまっています。
 オーグメントも、後半では、他のオーグメントの「幸福」を妨害している自覚があるらしく、K.Kオーグは、ケイが戻って来てほしい「裏切り者」のルリ子と本郷を、「クモ先輩の敵討ち」のために殺すと断言し、ケイに謝罪しています。チョウオーグも、自分がオーグメントを含め全ての人間を「嘘のつけない世界」に連れて行こうとするのを、ケイに「止めないのか?」と確認しています。
 それらを止めないケイは、矛盾だらけのAIだと言えます。
 また、本作で「仮面ライダー」とは、バッタオーグの本郷が名乗ったのを、敵から味方になった第2バッタオーグの一文字隼人や、対抗するイチローが加わったと言えます。
 そこで、今後『シン・仮面ライダー』では、ケイと一部のオーグメントが融合して、「仮面ライダーケイ」になる可能性を考えました。
 ケイは「少数の幸福」のためなら、それに必要な組織を覆すチョウオーグの計画も止めなかったので、ケイ自身に関する計画を立てるオーグメントを止めないかもしれません。
 たとえば、「世界で一番賢くなりたいから、君と融合したい」とケイに頼むオーグメントがいずれ現れるかもしれません。それが他の「少数の幸福」の妨害になるとしても、です。
 本作のオーグメントは人間に動物の要素が合成されていますが、いずれ「ロボオーグメント」、「メカオーグメント」として、ケイとの融合を図るオーグメントが現れ、さらに邪魔者の仮面ライダーに対抗して、「仮面ライダーケイ」になるかもしれません。
 『仮面ライダー3号』に、昭和のショッカーの要素を引き継ぐ首領による、仮面ライダー3号を取り込んだ「ライダーロボ」がいたので、ロボットと人間が融合した「仮面ライダーケイ」の可能性も考えました。

「悪魔」やホムンクルスとケイの関係 

2024年3月2日閲覧

 これは、幾つかの「悪魔」、「願い」を叶える要素のある物語や、『鋼の錬金術師』原作の要素も踏まえました。
 星新一さんの作品では、『華やかな三つの願い』、『はじめての例』など、人間の願いを叶えるけれども何らかの不道徳なことをしたり困らせたりする悪魔が、悪魔自身に関する願いで動揺するところがあります。
 それは、圧倒的に強くエゴイズムで動いたり道徳心がなかったりする人物やキャラクターに、その言葉や約束を逆手に取り勝利する痛快さ、爽快感があるとみられます。
 『ドラゴンボール超』、『デビィ・ザ・コルシファは負けず嫌い』にも通じます。
 もっとも、それが「自己責任」論として、近年は弱者や特に悪いと言えない人間の選択に不幸の原因を求めて「助けない言い訳」にする論理に堕ちている可能性も考えられますが。
 いずれにせよ、「悪魔」のように、人間の願いを叶えるもののどこか不道徳で、なおかつその「責任」が人間にもあるのは、『シン・仮面ライダー』のケイにも通じます。
 そのケイが「君と融合したい」という人間に接すれば、何らかの変化をもたらすかもしれません。
 また、『鋼の錬金術師』原作では、人間の命を軽んじる人造人間(ホムンクルス)のうち、「嘘をつかない」のが信条とする「強欲」のグリードが、そのあまりにホムンクルスの親玉と対立して処分されましたが、新しい体を与えられて復活しました。
 しかしそれは元々の経緯と異なり、独立した人間のリンと融合するもので、ブラッドレイ=ラースのように、通常は抵抗してエネルギーを消耗しながら、人格が本人でも分からなくなるほど変化する可能性もありました。
 しかしリンは元々父親の皇帝に「永遠の命」を与えるつもりで様々な、一般基準から外れたこともしており、部下が腕を犠牲にして戦ったことから自分もかけるべきものがあると、グリードと積極的に融合しました。グリードは「普通拒否しないか?」と驚きました。
 すると、人間とそうでない存在が逆転した例として、『シン・仮面ライダー』の続編では、ケイと融合したい人間が現れ、「それがあなたの幸福ならご存分に」とケイが淡々と受け入れ、「普通拒否するものではないのか?」と、申し出た人間すら驚くことになるかもしれません。

『鋼の錬金術師』原作と『シン・仮面ライダー』

 グリードとケイの関連で、『鋼の錬金術師』と『シン・仮面ライダー』についても取り上げます。

 『鋼の錬金術師』原作は、「お父様」が椅子に座り多数の人間から奪った大量のエネルギーで戦う、全ての人間からエネルギーを奪うつもりであるなど、『シン・仮面ライダー』に似たところがあります。
 しかし、『鋼の錬金術師』は主人公側が人間のエネルギーを奪わずに、自分の寿命を削り自分の治療に使う程度ですが、『シン・仮面ライダー』では主人公も周りの人間以外の生命エネルギーを使っている違いがあります。 
 いずれにしても、ひとにぎりの人物しかこの「エネルギーの吸収」で強くなるのが限界であり、全ての人間がそれを真似ることは出来ないのは、『鋼の錬金術師』と『シン・仮面ライダー』に通じます。

ゾーフィとケイ

 

 『シン・仮面ライダー』のケイは、「人間は面白い」と話しており、これは『シン・ウルトラマン』終盤のゾーフィに似ています。
 しかし、ケイは直接人間を本編劇中で傷付けていないものの仲間であるはずのオーグメントの死を観察するだけで止めないのですが、ゾーフィは直接地球全ての人間を滅ぼそうとしたもものの仲間のウルトラマンのことは心配しているという対照的なところがあります。
 ゾーフィはウルトラマンと異なり、人間と融合しなかったので、弱体化しなかったようです。ケイが仮に人間と融合すれば、何を代わりに捨てるか気になります。

アイとジェイとケイと独裁とグノーシス主義

2024年3月2日閲覧

 あるいは、ケイの前身で、車椅子で動くだけのジェイが、ケイに引き継いだだけで「電源を落とされた」という説明が本編でかかわっていないので、その辺りに何か関わるかもしれません。「仮面ライダージェイ」は既に昭和シリーズにいるはずなのですが。
 また、周りを直接観測出来ない人工知能が「アイ」が社会を混乱させるのは、『PLUTO』原作の「Dr.ルーズベルト」にも通じそうです。
 『どうする家康』で、足利義昭が将軍の座から追放されたあと、関白という別の「天下人」になったと言える豊臣秀吉に、「いただきにいるときは全てが見渡せると思っていたが、雲がかかっていて見えなかった。周りも良いことしか言わないから」と忠告していました。
 これを私は、グノーシス主義の「布でくるまれた無知な神が、自分を全知全能と思い込む」ことに重ね合わせて考えました。
 あるいは『仮面ライダー THE NEXT』の、自分の限界を自覚せずに思い上がっていた風見が、突然思い知らされて動揺するのにも似ているかもしれません。
 『シン・仮面ライダー』の「アイ」も、「雲がかかるように周りが見えておらず、周りもいいことしか言わない」状況かもしれません。

『しん・仮面ライダーだゾ』の「周りが見えていない」

 また、『シン・仮面ライダー』がPG12指定の映画として予想外に『クレヨンしんちゃん』とコラボした『しん・仮面ライダーだゾ』では、『シン・仮面ライダー』で特に残酷に殺されたショッカーの下級戦闘員などの描写が独特で、「周りが見えていない」とも言えます。
 『しん・仮面ライダーだゾ』では、バスの上に乗る下級戦闘員を、本郷と一文字がバイクで跳ねて落としたのですが、そのあとどうなったかの描写がありませんでした。また、バスの上に乗る本郷と一文字を落とすためだけに、「雲オーグ」がバスを操作したのですが、その結果周りの車や通行人にどれだけの被害が出たかの描写はありませんでした。
 操られているのは、顔の見えない下級戦闘員も、しんのすけ達が助けたまつざかと園長も同じであるにもかかわらず、です。
 それらを曖昧にして、周りでどのような被害が出たか分からない戦いのあとしんのすけ達幼稚園児が遊ぼうとするのは、「周りが見えていない」、「周りも良いことしか言わない」とも言えます。子供ならともかく、権力者がそれではいけないと政治を扱う作品ではみなされているのでしょう。
 『ウルトラマンメビウス』序盤では、ウルトラマンメビウスが被害を顧みない戦いをして「周りを見てみやがれ!」と言われています。
 もっとも、『仮面ライダー THE NEXT』でも、残酷な描写は多いものの、ショッカー戦闘員が車から落とされて結末の曖昧になるところがありましたが。
 

「追放」とマルクス経済学とその解釈

2024年3月2日閲覧

 「追放」を扱う物語において、労働者の働きが価値の源であり、それを経営者に搾取されているというマルクス経済学の主張が、「労働者に当たる主人公の労働にこそ仕事の肝心な価値があったのを、経営者に当たるパーティーリーダーが搾取していた」という論理に変換されている可能性を私は考えました。
 現代の経済学では、商品やサービスの価値は需要と供給で決まるので、供給側の働きだけでは決まらず、マルクスの労働価値説は否定されているようです。
 しかしそれを否定出来ない現代日本の人間が、さらに労働価値説をこじらせて、「自分達労働者の多数の労働の価値が経営者に奪われている」となるべきだったマルクス経済学を、「自分という少数の労働者の労働の価値が経営者だけでなく他の労働者にも奪われている」と解釈している可能性も考えました。
 「追放」の物語では、何故か主人公だけが貢献していた、他のメンバーは給与を支払う経営者に当たるリーダーなどに限らず、他の労働者に当たる人物まで役立たずのように扱う傾向が見られます。
 「追放」されるわけではありませんが、『もう、働きたくないんです』もそうです。
 それは、マルクス経済学が本来「多数の弱者」である労働者を助けるものだったはずが、現代日本で多数の人間を助ける余地はなくなって、少数の弱者しか救われないのではないかという推測が加わり、その「少数の救われるべき弱者」になりたい、そのために「自分達多数の労働者」ではなく「自分という少数の労働者」だけが、単純な数字だけで割り切れない貢献をしていたことにしたいのではないか、という可能性を考えています。
 『逆資本論』では、マルクス経済学が現代日本で再び受け入れられるのは、先進国で珍しい長期のデフレにより全体の通貨が増えなくなり、奪い合いや椅子取りゲームになっている、「誰かの得は誰かの損」というゼロサムの思考になっているという主張があります。
 そうして全体の余裕がなくなり、本来「少数の経営者が多数の労働者から奪っている」という理論のはずのマルクス経済学に、「今の世界には多数の人間を助ける余裕もない」という悲観が加わり、「少数の自分だけ救われたい」論理が「追放」の物語にあるのかもしれません。
 『相棒』では、15年ほど海外にいた亀山が日本に帰って来て、「今この国はおかしくなっていて、みんな自分のことだけ考えて傷付け合っている」と主張していましたが、それは「弱者同士も傷付け合い、自分という少数の幸せばかり考えて誰も助ける気になれない」という悲観を表していたのかもしれません。別のシーズンで右京が話した「現代日本で少年犯罪は減っている」という発言、そもそも現代日本で2021年までは刑法犯自体が減っていた統計を無視しているとも取れますが。
 

『シン・仮面ライダー』漫画版の「プラーナを奪って良い相手」

 『シン・仮面ライダー』漫画版で、生命のエネルギーであるプラーナを吸収して食糧危機を解決したり人間を強くしたりする技術を、緑川弘は開発して息子のイチローに適用しましたが、そのイチローは、無差別連続殺人で命を落とした母親を「自分が殺した」ような幻覚に苦しみました。
 また緑川弘は、「悪人を実験台に選んでいる。人権という常識は、妻を殺されたときに捨てた」と発言しています。
 そして妹のルリ子の「こいつらのプラーナが兄さんの中に」という発言から、その犯人のプラーナすらイチローの中に入っている可能性があり、それが本編でイチローが父親を「痴れ者」と言った原因かもしれません。

「理解してほしくないところ」と「上位概念に出来ないこと」

2024年3月2日閲覧

2024年3月2日閲覧

 『シン・仮面ライダー』で、イチローは「全てを理解し合える」ことを目指し、全人類のプラーナを、「嘘のつけない世界」に連れて行こうとしましたが、それに反対する本郷などは、「僕には他人がよく分からないから分かるように自分を変えたい」、「あなたのことは少しは分かる」とイチローに話しています。
 しかし、私が考える限り、たいていの人間には「理解してほしくないところ」もあると考えます。
 『PLUTO』原作で、ロボット学者として「完璧な頭脳の持ち主」だと評価される天馬博士は、「完璧な頭脳は間違いをする」と主張し、息子の代わりとして模範的過ぎたらしいロボットのアトムを「失敗作」と表現しました。
 お茶の水博士はアトムを「最高傑作」と、その作り主の天馬に主張していましたが、天馬は「あなたはロボットについて何も分かっていない」、「間違う頭脳こそ完璧なのだ」と返しました。
 しかし重要なのは、天馬はお茶の水の技術自体は否定せず、のちにアトムの修繕を「見事」と表現していたことです。そのときアトムが目覚めなかったのは、お茶の水の気付かない、「憎しみなどの偏った感情を注入すれば目覚める状態だった」ためでした。
 さらに、天馬は自分の不道徳なところを、息子として呼んでいた頃のアトムや、アトムが別の家に引き取られたあとの新しいロボットの妹のウランに「理解してほしくない」とも取れる、言いづらそうな様子がありました。
 つまり、天馬はおそらく、お茶の水が「何も分かっていない」というのは、正確には、彼やウランのような道徳的な人間やロボットに、自分の「完璧」と言いつつ本当は「間違っている」ところを「理解してほしくなかった」のだとみられます。
 お茶の水が技術的には「見事」でも、アトムに欠けている偏った感情の必要性を「理解出来ない」のは、本当は天馬も、「理解出来る自分の方が間違っている」と認識していた可能性があります。
 『シン・ウルトラマン』や『幼年期の終わり』で、人間より優れているように自己主張する宇宙人のメフィラスやオーバーロードが、人間の勝手な行動だけは止められない、予想出来ないように話し、自分の出来ないことがある事実を自分に都合の良い意見に結び付けるように、「上位概念に出来ないこと」があるとも言えます。
 それを天馬は、「間違っている自分だからこそ理解出来るものがあり、正しい人間やロボットには理解してほしくない」と考えたのかもしれません。

まとめ

 今回も、『シン・仮面ライダー』を中心にまとまったようです。

参考にした物語

テレビアニメ

大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
臼井儀人(原作),ムトウユージ(監督),川辺美奈子ほか(脚本),1992-(未完),『クレヨンしんちゃん』,テレビ朝日

漫画

鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
山田胡瓜,藤村緋二,石ノ森章太郎,庵野秀明,八手三郎,2023-,『真の安らぎはこの世になく-シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』,集英社
荒川弘(作),2002-2010(発行),『鋼の錬金術師』,スクウェア・エニックス(出版社)
平方昌弘,2020-(未完),『デビィ・ザ・コルシファは負けず嫌い』,集英社
浦沢直樹×手塚治虫(作),2004-2009(発行期間),『PLUTO』,小学館(出版社)
原作/縛炎,漫画/村上メイシ,2022-(未完),『「もう....働きたくないんです」冒険者なんか辞めてやる。今更、待遇を変えてやるからとお願いされてもお断りです。僕はぜーったい働きません。』,スクウェア・エニックス
井上純一,2023,『逆資本論』,星海社

小説

クラーク/著,池田真紀子/訳,2007,『幼年期の終わり』,光文社古典新訳文庫
星新一/作,和田誠/絵,2005,『宇宙のあいさつ』,理論社(『華やかな三つの願い』)
星新一,1985,『夜のかくれんぼ』,新潮文庫(『はじめての例』)

特撮映画

樋口真嗣(監督),庵野秀明(脚本),2022,『シン・ウルトラマン』,東宝
石ノ森章太郎(原作),庵野秀明(監督・脚本),2023,『シン・仮面ライダー』,東映
田﨑竜太(監督),井上敏樹(脚本),2007,『仮面ライダー THE NEXT』,東映
柴崎貴行(監督),米村正二(脚本),2015,『仮面ライダー3号』,東映

特撮テレビドラマ

村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)

テレビドラマ

橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)
加藤拓(演出),古沢良太(脚本),2023,『どうする家康』,NHK系列


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