「上位概念に出来ないこと」から突き詰めた物語の共通点
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注意
これらの重要な情報を明かします。多くが結末までなので、ご注意ください。
特撮映画
『シン・ウルトラマン』
特撮テレビドラマ
『ウルトラマンデッカー』
漫画
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『NARUTO』
『銀魂』
『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』
テレビアニメ
『ドラゴンボール超』
『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』
『銀魂』
小説
『オタク王子と作家令嬢の災難』
『幼年期の終わり』
はじめに
以前、『シン・ウルトラマン』と『NARUTO』や『ドラゴンボール超』を踏まえて、「人が神を超える」、「子が親を超える」といった意味合いがあると考え、漫画『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』にも似た要素があるとみなしています。
それらの展開や主張を突き詰めると、「人間より上位だと主張する概念にも出来ない、分からないこと」、上位でも「全知全能」になれない分野があることを、人間が示していく展開が流れとして共通しているとみなしました。
ここにまとめ、優劣という概念を突き詰めてみます。
重要な展開を明かし、ある小説の刺激のある内容にも触れます。ご注意ください。
『シン・ウルトラマン』のメフィラス
まず、『シン・ウルトラマン』では、人間、正確には日本を攻撃する生物「禍威獣」と他天体からの「外星人」の脅威に対して、ウルトラマンが守るものの、その黒幕である外星人のメフィラスが、人間の「自衛」の手段として、ウルトラマンのように人間を巨大化させるベーターシステムを提供します。
しかし、それは善意に見えて、メフィラスが人間を資源として管理するためでした。
人間の自由意思による発達や安全を重視するウルトラマンは、メフィラスによるベーターシステム譲渡を妨害しました。
『シン・ウルトラマン』と『幼年期の終わり』
これでまず思い出すのは、『幼年期の終わり』です。
人間を管理して平和をもたらす宇宙人「オーバーロード」が、きわめて善良に振る舞っているようで、逆らう人間に精神的な苦痛などを与えて従わせることもあります。
しかし、それは差別などの「支配される人間が悪い」と思わせるような動機であり、オーバーロードが悪いとは思わせにくくなっています。
そして、オーバーロードの価値観では野蛮だとみなされるらしい、人間の一部では伝統的な文化である闘牛を禁じて、逆らった参加者に一瞬だけ牛と同じ痛みを体験させています。
また、人間がオーバーロードに頼らずに達成した分野が、避妊と子供の親の鑑定であり、そのように不浄な分野は、人間より品位のあるオーバーロードにはそもそも必要ないので、人間の方が上だったという皮肉な展開になっています。
とはいうものの、その技術が病気の対策や犯罪の捜査、何らかの学問の発達には繋がったかもしれず、オーバーロードを人間が超えたところもあります。
これを知っていたので、私は『シン・ウルトラマン』に当てはめてみました。
パターナリズムと「自己責任」
『幼年期の終わり』でのオーバーロードの行いは、SFの資料で「パターナリズム」、「善導」と呼ばれ、「強い立場の存在が、このような生き方が幸せだと善意で強制する」とも考えられます。
メフィラスも、人間を巨大化する資源として管理しつつも、「他の外星人に襲われることも考えて、人間は私の技術を手に入れた方が良いと思うがね」と、「自分に支配される方が人間にとっても幸せだろう」というパターナリズムがあります。
オーバーロードも、人間を資源として管理している趣旨の説明をしています。
さらに、オーバーロードが闘牛など、自分に逆らう行事にわざわざ参加した人間だけ罰するのは、「自分に逆らった意思の責任を問う」意味で、「自己責任」とも言えます。この時代に「自己責任」という言葉があったか分かりませんが。
メフィラスも、自分が巨大化させた実験台の浅見がネットでさらし者になるのを、「申し訳ありません。まさかここまで下劣な者がいるとは」とその情報を削除しています。その前の外星人のザラブと異なり、「現法はそのまま。みなさまの生活に支障はございません」と言ったメフィラスが、個人情報をさらすとはいえ誰かの私有財産である電子情報を損壊しています。
つまり、「確かに法律は守ると私は言ったが、人間がここまで悪いなら支配する方が良い」、「人間は支配された方が良い」、「上位概念の私でも、いや、だからこそ人間の下劣さが分からなかった」という、自分の主張に都合の良い謝罪と償いをしています。
オーバーロードが、人間の避妊と親子鑑定が予想出来なかったようにです。
ザラブをウルトラマンはネガフィルムという「原始的な手段」で出し抜きましたが、メフィラスをウルトラマンが出し抜いた手段も、ある種の「品のない」行為でしたし。
上位概念だからこそ「出来ない」ことの正当化
つまり、人間より上位だと主張する存在も、未来の全てが予想出来ないときに、「人間の下劣さ、その勝手な意思だけは予想出来ない」として、人間の自由を悪く扱う主張に結び付けるわけです。
そう言われることで、仮に人間がメフィラスやオーバーロードの予想を超えても、「そういう発想自体が劣っているのではないか?」と、「自律的な発達を停滞させる」効果があります。ウルトラマンがメフィラスを批判したようにです。
星新一さんの『へんな怪獣』の『接着剤』では、独特の接着剤を丁寧な口調で礼儀正しく紹介していた科学者のもとに、「悪党」を自認する人間が「それは悪事にも使えそうだ。よこせ」と要求して、科学者は「そのような使い道もあったのか。こちらは人が良いので気付かなかった」と油断させています。
「自分は優れているからかえって、自分の能力や技術の悪用などの下劣な行動が予想出来ない」という主張で、自分に出来ないことがある「事実」を、自分に都合の良い「意見」に結び付けていると言えます。
とはいえ、自分が何か変わったことをする度に、逐一「悪用の可能性」を後ろ向きに捉えなければならないのか、という不満を言いたい願望は私も認めます。
メフィラスにも、オーバーロードにも、この接着剤の科学者にもそれはあったかもしれません。
あるいは『ウルトラマンデッカー』の、最初はあくまで人間のために怪獣を操ろうとしたシゲナガが、「悪用される可能性がある」と批判されて、「そんなことを考えていては発展しない」と反論したようにです。
『NARUTO』の「神みたいな相手」
そして、人間の「上位概念」とも言うべきキャラクターが、似たようなことを言い出すのは『NARUTO』と『ドラゴンボール超』にもあります。
『NARUTO』では、人間に「チャクラ」というエネルギーや、それを使う「忍術」のもととなる「忍宗」などを広めるきっかけとなった六道仙人=大筒木ハゴロモが、母親のカグヤの人間を支配しようとする計画に逆らったのが物語の鍵になります。
カグヤも、人間を資源だとみなしているところがメフィラスやオーバーロードに似ています。
そして、ハゴロモの息子のチャクラを引き継ぎ、カグヤの計画を食い止めるために立ち向かうこととなったナルトは、ある種の下品だと言える「逆ハーレムの術」でひるませました。
「あんな神みたいなのに通じるか」とサクラを驚かせましたが、効いたことに、ナルトの師匠のカカシは、別の師匠で既に亡き、そしてその方面でナルトに指導していた自来也に「見てますか?」と呼びかけています。
「神のような」カグヤを、元々「意外性ナンバーワン」と言われたナルトの「下品な」ところが出し抜いたと言えます。
『ドラゴンボール超』の「なかなかやるじゃないですか」
『ドラゴンボール超』では、元々原作で人間を指導したり守ったりしていた神々のうち、人間の命を軽視する、むしろ「破壊」するのが仕事だとされる破壊神やその付き人の天使が登場します。
人間の孫悟空より圧倒的に強い破壊神ビルスやその師匠の天使のウイスは、悟空やそのライバルのベジータに頼まれて指導していますが、悟空達はなかなか及びません。
直接的にはビルスを恐れる「地球の神」であるデンデの維持する地球のドラゴンボールがきっかけで悟空は超サイヤ人ゴッドの能力を手に入れて、そのときはビルスに強敵とは思われませんでしたが、やはりビルスを恐れる神の北の界王のかつて教えた「界王拳」によって悟空が強くなると、少し焦っています。
また、ウイスはビルスの過去の発言を忘れる言動を注意することがありますが、ビルスの目覚ましという修行を悟空にさせたときに、その目覚ましの爆弾を悟空に押し付けられて、わずかながらダメージを負っています。それはウイスも予想していなかったものの、あらかじめ禁止はしておらず、むしろウイスは自分の約束の穴を突いた悟空を「なかなかやるじゃないですか」と言っています。悟空が噛み付いたときにはウイスは、禁止はしていないものの嫌がる様子がありましたが。
つまり、神や天使が、自分達より劣るはずの人間や下の神の行いの組み合わせで、予想を超えていくことに驚いているわけです。
それは、劣るはずの存在の特徴が自分を追い抜くのを、『NARUTO』のカグヤのように驚くとも言えます。
『銀魂』での反面教師
『銀魂』では、元々天人=宇宙人に従う幕府の高官だった長谷川が、主人公の銀時やその部下の新八を幕府や天人の都合で切り捨てようとして、途中で逆らったので解雇されたことで転落するのが重要です。
それからは、攻撃的な、高圧的なところの薄れて落ちぶれた長谷川は、天人だけれどもそのことにあまり触れられない少女の神楽に「おじさんは一時のテンションに身を任せてクビになった。お嬢ちゃんも若いからって後先考えずに行動しちゃいけないよ」と、それなりに優しく接したにもかかわらず、「お前に言われたくない。負け組が」と言われてしまいました。
しかし、自分の失敗をきっかけに忠告しているのを「お前に言われたくない」と返されるのは、どこかずれています。
そのためか、かなりあとですが、長谷川は、別件で「強くなりたい」と言った神楽に「どん底に落ちた俺だから見えるものがある」とも主張しています。
「自分を反面教師にしろ」というのも、『シン・ウルトラマン』や『NARUTO』や『ドラゴンボール超』とはまた別の、「劣っているような人物だから予想を超えることがある」という趣旨の主張でしょう。
『オタク王子』と『シン・ウルトラマン』の爽快感
なお、『シン・ウルトラマン』と対応させた『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』では、キリスト教を連想させる「十字架の宗教」のある国の犯罪者集団の関わるとみられた事件に、中流貴族の令嬢で作家のフィオラが関わります。
「完璧」のような王子に陰で「神を超える」というほど尊敬される作家のフィオラは、自分の父親を超える収入や、父親にかかった冤罪を晴らすために、作家としての収入を利用します。
また、「神」を崇拝するはずの犯罪者集団にもなかなか出来ないことを、いつの間にかフィオラはミステリーの急展開により行っています。
ある意味で、本当にフィオラは「神を超えた」とも言えます。
そして、作家として、表では貴族に「低俗」だと言われながらも注目されることで、権威のある存在をいつの間にか追い抜いているのも、メフィラスやザラブを出し抜く人間に似ています。
フィオラを助ける人間、そしてウルトラマンを助ける人間の両者が、現代日本のある集団に属していたのも、似たものを感じます。
そうして、上位概念を視聴者に近い人間が追い抜いていくのは、「上位概念は自分に予想出来ないことや、出来ない行動を劣っていると決めつけて来ただけではないか?」と疑わせる爽快感もみられます。
サスケとジルヴェスターと滝
さらに、『シン・ウルトラマン』で、一見「小賢しい」とも取れる言動の物理学者の滝が、ウルトラマンにかけられた冤罪について、他の浅見や田村や船縁が気付いていたにもかかわらず1人だけ判明したときに驚いていたこと、強敵のゼットンに立ち向かえる可能性を自分だけ早くにあきらめて、ウルトラマンからの提案を無視していたことが、あるキャラクター達を連想します。
『NARUTO』で、ナルトと同じくハゴロモの息子のチャクラを引き継ぐサスケが、高圧的だったり、敵視した兄の真意に気付かなかったり、周りを信頼せずに独裁をしようとしたりして、終盤でナルトに「意外と馬鹿」と言われたことがあります。
『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』で、コミュニケーションなどが苦手のフィオラに比べて世渡りが上手そうな弟のジルヴェスターが、父の冤罪の疑いで行動せずに自分が一方的に家督を継ごうとするのも、サスケに似ています。
サスケもジルも滝も、「身内の不名誉で、何か事情があったと考えない」、「周りの危機に、自分だけ堕落したような行動をする」のが似ています。
『シン・ウルトラマン』の滝の「オタク」の要素は『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』では王子のウィルフレッドが持つのですが、他の部分はジルに近いと言えます。
それも、一見上位にいるような人物の「意外に劣っている」ところが露呈したとも考えられます。
「人間らしさ」が「神」に与えるもの
何より、『シン・ウルトラマン』では、自分より弱い生命を守る人間の、外星人にはないところに興味を持ち融合したウルトラマンが、最終的に自分も同じことをしています。
その行動、ゼットンを倒す作戦は、人間が独特の技術を提案していたのですが、ウルトラマンは技術的に元々分かっていたとも考えられます。ただこの作戦は自分を犠牲にする覚悟か、ゼットンを仕掛けたゾーフィに頼る精神がなければ出来ず、「人間らしさ」を得たことで通常の外星人に出来ないことをウルトラマンが成し遂げたとも考えられます。
また、ウルトラマンが今「神様扱い」をされているとも言われました。その「神」に人間らしさが加わり、神の同族を超えたとも言えます。
それが「人が神を超える」物語の共通項かもしれません。
まとめ
『シン・ウルトラマン』、『幼年期の終わり』などで、上位そうな概念の予想を超えていくことは、「上位概念は自分に予想出来ないことや出来ない行動を劣ると決めつけていて、むしろたいしたことがないのではないか?」とみなす重要な盛り上がりに繋がるかもしれません。
参考にした物語
特撮映画
樋口真嗣(監督),庵野秀明(脚本),2022,『シン・ウルトラマン』,東宝
漫画
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
岸本斉史,1999-2015,(発行期間),『NARUTO』,集英社(出版社)
空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)
日部星花,一宮シア,『オタク王子とベストセラー作家令嬢の災難』,(BOOKWALKERなどに連載)
テレビアニメ
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)
藤田陽一ほか(監督),下山健人ほか(脚本),空知英秋(原作),2006 -2018(放映期間),『銀魂』,テレビ東京系列(放映局)
特撮テレビドラマ
辻本貴則(監督),中野貴雄(脚本),2022-2023,『ウルトラマンデッカー』,テレビ東京系列(放映局)
小説
クラーク/著,池田真紀子/訳,2007,『幼年期の終わり』,光文社古典新訳文庫
日下部聖,『オタク王子と作家令嬢の災難』魔法のiらんど(掲載サイト)
https://maho.jp/works/15591074771453312177
2023年4月24日閲覧
星新一,2001,『へんな怪獣』,理論社(『接着剤』)
参考文献
森瀬繚(編著),2019,『シナリオのためのSF事典 知っておきたい科学技術・宇宙・お約束120』,SBクリエイティブ