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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

これまでの記事で書き落としたことのまとめ,2024年4月19日


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注意

これらの重要な展開を明かします。特に、PG12指定の映画『シン・仮面ライダー』にご注意ください。

特撮映画

『シン・仮面ライダー』
『シン・ウルトラマン』
『シン・ゴジラ』

テレビドラマ

『半沢直樹』(1,2)


特撮テレビドラマ

『ウルトラマンタイガ』

テレビアニメ

『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボール超』
『鋼の錬金術師』(2003)

漫画

『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』

小説

『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(web原作,書籍)

はじめに

 現在長い記事を書いていますが、その前の繋ぎとして、短めのまとめを書きます。

『シン・仮面ライダー』の「タキ」の「憎まれる仕事」

 『シン・仮面ライダー』の「タキ」は、「憎まれるのも俺の仕事だ」と言っています。
 『シン・ウルトラマン』の神永新二も、ウルトラマンとして、あえてザラブに捕まり暴れさせてその悪意を証明したかもしれませんが、その過程で犠牲が出ています。また、ウルトラマンがメフィラスの計画を妨害したときには、協力した禍特対はウルトラマンの男に強要されたという落とし所で、ウルトラマンだけが責められるようになっていたと言えます。
 ウルトラマンも、「憎まれるのも私の仕事」という認識があったのかもしれません。

『シン・仮面ライダー』のクモオーグや『ドラゴンボール』のフリーザは「仕事が好き」なのではないか

2024年4月19日閲覧

 『シン・仮面ライダー』のクモオーグは、「人間が嫌いで、その人間を捨てたオーグメントのために人間をこの手で殺すのが私の幸福」と主張しており、同時に「裏切り者や邪魔者に死を与えるのが私の仕事です」と話しています。悪い意味ではあっても、彼は「仕事が好き」だとも考えられます。
 クモオーグに近い悪役として、『シン・ウルトラマン』のメフィラスがおり、彼も「私も原生人類が好きなんだよ」と主張していましたが、名刺などを用意したところから、金銭を誰から受け取ったかはともかく、メフィラスも「人類に関わる仕事が好き」なのかもしれません。
 『シン・ウルトラマン』のメフィラスに、『ドラゴンボール』シリーズのフリーザが近いと私は考えています。紳士的な口調だけでなく、人間を労働力だとみなすところ、仕事としての戦いを重視するところなどが似ています。
 フリーザは、知っている破壊神ビルスと魔人ブウを除けば劇中の宇宙でトップクラスに強かった時期もあったにもかかわらず、何故暴力だけでなく財力も求めて惑星を売り渡す仕事をしていたのか曖昧ですが、それはクモオーグのように、「仕事が好き」、「ビジネスが好き」だったのかもしれません。
 『鋼の錬金術師』2003年のアニメ版の軍人のフランク・アーチャーは、「軍の本分に忠実な」、「戦争好き」だとみなされていましたが、これも「仕事が好き」だと言えますし、悪い意味でそのような人物の描写は、様々な物語にあるようです。

『ウルトラマンタイガ』の修の「自己責任」論の例外になる霧崎

2024年4月19日閲覧

 「自己責任」論は、話し手が気に入らない相手を助けないことの正当化に使われて、気に入る人間の困るときには使われない可能性を私は考えています。
 『ウルトラマンタイガ』で宇宙人を恨む若い日本人男性の修は、宇宙人だと分かる外見だけで敵視しながら、自分の奇抜なファッションでは「差別されたくない」と言う二面性がありました。
 しかし、修が遭遇したゴース星人は、容姿が明らかに宇宙人で仮面を着け、日本語を話せないのですが、日本語を話せる、日本人男性の姿のホマレを仲介して会話することは出来ました。
 ゴース星人が自分を修からかばったホマレに暴力をふるい会話に利用するのは、話せないにもかかわらず侵入したゴース星人自身か、話せと要求した修か、ゴース星人に接近したホマレの3者のいずれにも原因があり、誰を「自己責任」で切り捨てるか曖昧であり、修は気に入らない相手だけにそれを押し付ける思考があったかもしれません。

 また、修の味方のふりをして、実は修の母親が宇宙人に攻撃されたきっかけを作っており、人間の姿になりすましたウルトラマントレギア=霧崎が、ゴース星人を追いかける協力をしたときに、霧崎がゴース星人に突き飛ばされたのも修は心配していました。
 修が、宇宙人を探知する機械のCQで霧崎を調べなかったのは、そもそも人間型宇宙人の存在を知らなかったのと、霧崎が元々修のような奇抜なファッションをする若者なので、「きっと霧崎さんも外見で差別されたことがあるだろうから疑いたくない」という彼なりの善意もあったとみられます。
 しかし、宇宙人を敵と決め付ける視点でも、そのような危険な相手にかかわった霧崎が危険な目に遭うのを「自己責任」と切り捨てることも可能でしたから、修は霧崎の「自己責任」も否定していると言えます。
 やはり、「自己責任」論は話し手が気に入らない相手がその行動で困ったときにだけ切り捨てる論理でしかなく、気に入っている相手の「自業自得」はさりげなく話の勢いで否定しているとみられます。

『シン』シリーズの赤坂と「政府の男」とタチバナ

 『シン・ゴジラ』、『シン・ウルトラマン』、『シン・仮面ライダー』に共通する要素として、容姿の似た赤坂、「政府の男」、タチバナがいます。
 しかし、赤坂は明確な議員で、文民統制の規則から、直接戦ってはならないはずなので、銃を使うなどはしていません。また、ゴジラによる負傷も特にしていません。
 『シン・ウルトラマン』での「政府の男」がウルトラマンと交渉したのは、文民のうちにぎりぎり入るかもしれません。なお、田村や神永自身は銃を使える立場のようです。
 しかし『シン・仮面ライダー』のタチバナは、自分自身が使わないとはいえ、敵に接近してタキに銃撃させており、文民ではないかもしれません。
 そもそも議員と、犯罪者を制圧する現場の仕事では、「政府の男」の役割はかなり異なります。

デジタルとコンピューターの違いと、ファンタジーとの関係

 

 近年、「デジタル」という言葉が多く使われることがありますが、英語のdigitalでも「コンピューターの」という意味はあるものの、デジタルとコンピューターは必ずしも一致しません。
 デジタルとは0と1だけで数字を表し、アナログとはその中間の値も扱うのであり、コンピューターか、電動か、ハードウェアが金属製か、新しいかは本来関係ありません。
 極端な話として、そろばんも珠を動かすか動かさないかの2択の組み合わせなので、手動でもデジタル計算機の一種です。
 逆に、昔はアナログコンピューターというものもあったそうです。
 また、ホワイトボードや黒板でも、あらかじめ書いた表にチェックを入れるか入れないかだけで表せる情報はデジタルに分類されます。電気やコンピューターは関係ないのです。

 さらに、生物学でも、DNAは4通りの信号しかないので、デジタル信号の一種だとされます。
 これらから、一見SFで扱いやすいデジタルという言葉も、宗教的なファンタジーの物語と組み合わせられるかもしれません。

2024年4月19日閲覧

 たとえば『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』(以下『ギフト無限ガチャ』)では、敵のミカエルが攻撃をある程度跳ね返す盾、カードにより人物を複製して、多少能力の劣化しているものの同じように働く「ダブルシャドー」、漫画版で人物の魂の複製された「ゴースト」などがいました。
 また、書籍小説では、敵のオボロがライトの強さを複製して半分ほどのレベルにしかならない、ライトは身近に見ていた相手なら能力を複製出来るカードを使うなどの展開があります。

 この複製の劣化度合いを、デジタルとアナログの問題で何か扱えるかもしれません。

 生物はDNAのデジタル信号の複製の間違いが、がん細胞を生むこともあれば突然変異の進化に繋がることもあるらしく、「出来る」ことと「出来ない」ことの表裏一体のところにも繋がりそうです。

「希望」とは「希な望み」か「希う望み」か

2024年4月19日閲覧

2024年4月19日閲覧

2024年4月19日閲覧

 近年の日本で、「希望」という表現が、幸運のもとの資源や金銭が量として不足している中で、数字で表せない質による工夫である程度勝ち抜くことを表している可能性を私は考えています。
 しかしそれは、「希な望み」でしかないと書きました。
 希望とは「こいねがう望み」なので、これはあえて異なる読み方をしました。しかし、本来の希う望みという言葉も、手放しに肯定は出来ません。
 たとえば、不況や人権問題とは別に現代日本でそこそこ上手く行っている問題として、水と安全があります。「日本人は水と安全がただだと思っている」という主張がありますが、それが今後仮に悪くなった場合、「希望」で済ませるのは無責任が過ぎます。
 「水道水がなくても、水を飲める希望を持ちたい」や、今後日本の治安が悪くなり過ぎて銃の武装がアメリカのように許可されて、「また銃に頼らなくても安全にいられる希望を持ちたい」と子供が言えば、「こいねがう」のであれば、さすがに多くの日本人は惨めに思うでしょう。
 何故不況については「希望」という言葉が主張されるにもかかわらず、現代日本の水と安全についてはそう言って「希望」の問題点を多くの人間が指摘しないのか気になります。

外国人の参政権と憲法

 日曜劇場などについて、国民の権利を保証するのが憲法で、外国人の権利も、参政権などの性質上国民のものを除けば保証されると書きました。そこで憲法の資料を幾つか読みましたが、参政権も外国人に与えるべきという議論もあるようです。しかし、だとしても、他の基本的な人権が外国人に憲法で保証されるのは変わりません。

『ギフト無限ガチャ』や『半沢直樹』の「個人的な復讐と世の中の繁栄の両立」

 『ギフト無限ガチャ』では、弱い種族のヒューマンが社会的に差別されるのに立ち向かうために、例外的に強くなったヒューマンのライトが戦いますが、自分個人を殺そうとした他種族パーティーのメンバーへの復讐を優先します。
 しかし、その復讐がなく、仮に社会の変革だけ目指していればどうなったか、web原作で考えてみます。
 まず、獣人種のガルーは、社会的に高い地位に就く直前だったのですが、獣人種による差別そのものの大きな原因にはなっていないので、無視されるかもしれません。
 この時点でライト達は獣人種の国家への攻撃は検討しなかったので、まずエルフ女王国への攻撃に移るかもしれません。
 その前にエルフ種個人でヒューマン冒険者を狩っていたカイトと出会えば、ミヤとの出会いは変わらなかったかもしれません。また、元々カイトは処刑されるはずの罪を犯したものの、冒険者ギルドでは捕らえられないほど強いので、ライトが隠れて殺すのもやむを得なさそうです。
 そのあとエルフ女王国を落としたときに、代表のハーディー団長が敗北して、副団長のミカエルが得をする可能性も考えましたが、やはり団員はまとめて処刑され、サーシャもどちらにしても損をしたでしょう。復讐されることと別に、元々差別的でしたから。

 そのあとユメをリリスのもとから連れ出して、リリスと協力関係を築くのは、復讐に関係なく可能です。
 ドワーフ王国は、国全体が差別的ではなく、国王との関係は築きやすく、復讐に関係なく「ますたー」という危険な存在を調べる必要は出て来ます。
 ライト達の築いた「巨塔」が、ガルー、サーシャを捕らえなくても、圧倒的な強さでヒューマンの奴隷化を禁止させたことだけで、「ますたー」達が怪しめば、やはりヒソミによって、ドワーフ王国の復讐対象のナーノが禁忌の剣の製造には着手したかもしれません。その場合、復讐に関係なくドワーフ王国がナーノを処刑しようとして、ナーノの強さ次第ではライトも協力するでしょう。

 それにより「ますたー」が獣人種を巨塔と戦わせるための動きは起こり、完全な虐殺になるかはともかく、ライト達が獣人種に勝利するとみられます。また、ミヤが誘拐されて、そのときの働きで「聖女」になるのは、やはり復讐に関係がないでしょう。

 魔人国やシックス公国会議については、ライトのディアブロへの復讐がなくても、魔人国を落とす、会議でリリスが女王になる、王子のクローと対立するなどは避けられなさそうです。

 ただ、ライトの目的が復讐もあることが、「ハイヒューマン」を名乗る、ヒューマンからの強い女神教徒が現れることとどこまで関係しているかまだ分かりません。

 ドラゴにしても、ドラゴニュートの中で、生き残るために「巨塔の魔女」と戦うのは復讐に関係なく起こりそうです。

 こうしてみますと、ライトはweb原作では、復讐を目指さなくても世の中の改革、ヒューマンの安全や、世界全体にとって危険な「C」や「ますたー」の調査などはしていた可能性があり、復讐をする必要はなかったかも知れません。

 ただ、漫画版では、復讐対象のシオンを調べていたことが、シオンの暴走による大陸全体の爆発などを早くに防ぎ、復讐を目指さなくてもシオンは母国のダークエルフ孤島国からも処刑された確率が高いとはいえ、ある程度ライトの復讐が世界の役に立ったと言えます。

 ライトの復讐対象も、復讐に関係なくヒューマンを虐げた以上は、いずれライト達による世界の変革で損をしたでしょう。

 『半沢直樹』について、『ぼくらは未来にどうこたえるか』では、「主人公の半沢にも個人的な復讐心はあり、それと世の中の繁栄などが一致する条件が現実にはそろわないので、半沢の上司みたいな銀行員はいても、半沢みたいな銀行員はいない」とあります。
 『ギフト無限ガチャ』にしても、復讐と世の中の繁栄がどこまで一致しているかは、web原作と漫画版の違いも踏まえて考察の余地がありそうです。

まとめ

 今回は取り止めのない内容でしたが、書き落としたことのまとめにはなりました。

参考にした物語

特撮映画

石ノ森章太郎(原作),庵野秀明(監督・脚本),2023,『シン・仮面ライダー』,東映
樋口真嗣(監督),庵野秀明(脚本),2022,『シン・ウルトラマン』,東宝
庵野秀明(総監督・脚本),2016年7月29日(公開),『シン・ゴジラ』,東宝(提供)


テレビドラマ

伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸(脚本),2013,『半沢直樹』,TBS系列(放映局)伊與田英徳ほか(プロデューサー),福澤克雄ほか(演出),丑尾健太郎ほか(脚本),2020,『半沢直樹』,TBS系列
特撮テレビドラマ

市野龍一ほか(監督),林壮太郎ほか(脚本),2019年7月6日-12月21日(放映期間),『ウルトラマンタイガ』,テレビ東京系列(放映局)

テレビアニメ

水島精二(監督),會川昇ほか(脚本),2003-2004,『鋼の錬金術師』,MBS・TBS系列(放映局)
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)

漫画

作画/大前貴史,原作/明鏡シスイ,キャラクター原案/tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,講談社
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)

小説

明鏡シスイ,『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,小説家になろう(掲載サイト)
https://ncode.syosetu.com/n9584gd/
2024年4月19日閲覧

明鏡シスイ,tef,2021-(未完),『信じていた仲間達にダンジョン奥地で殺されかけたがギフト『無限ガチャ』でレベル9999の仲間達を手に入れて元パーティーメンバーと世界に復讐&『ざまぁ!』します!』,ホビージャパン

参考文献

大澤真幸ほか,2016,『ぼくらは未来にどうこたえるか』,左右社
田口善弘,2020,『生命はデジタルでできている:情報から見た新しい生命像』,講談社
近藤敦,2021,『移民の人権ー外国人から市民へ』,明石書店
芦部信喜,2023,『憲法 第八版』,岩波書店

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