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立憲主義と積極財政から、日曜劇場と「ビジネスエリート右翼」の関連を探る


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注意

これらの重要な展開を明かします。ご注意ください。

テレビドラマ

『VIVANT』
『JIN-仁-』(1,2)
『ルーズヴェルト・ゲーム』
『流星ワゴン』
『陸王』
『ブラックペアン』
『下町ロケット』(TBS系列,1,2,正月スペシャル)
『集団左遷‼︎』
『半沢直樹』(1,2)
『TOKYO MER』
『ノーサイド・ゲーム』
『グッドワイフ』
『天国と地獄 サイコな2人』
『DCU』
『グランメゾン東京』
『日本沈没 希望のひと』
『ドラゴン桜』
『アトムの童』
『下剋上球児』
『さよならマエストロ』
『らんまん』
『相棒』

漫画

『築地魚河岸三代目』
『ラーメン発見伝』
『らーめん才遊記』
『らーめん再遊記』
『左ききのエレン』(少年ジャンププラス)
『JIN-仁-』
『クレヨンしんちゃん』
『新クレヨンしんちゃん』
『実はヤバい実験心理学』
『氏神さまのコンサルタント』
『キミのお金はどこに消えるのか』
『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』
『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』
『逆資本論』
『こんなに危ない!?消費増税』
『剣と魔法の税金対策』

特撮映画

『シン・ウルトラマン』

テレビアニメ

『クレヨンしんちゃん』

小説

『二重螺旋の悪魔』
『ソリトンの悪魔』
『テュポーンの楽園』




はじめに

2024年3月16日閲覧

 日曜劇場について、以前ナショナリズム、パターナリズム、「自己責任」論から幾つか書きました。

 それらの政治や経済の論理を調べつつ、池上彰さんなどの書籍から、立憲主義の考えを学びました。また、その池上彰さんを批判することもある、積極財政、反緊縮の考えも知りました。

 この二重の意味で、日曜劇場は憲法の重要性と、財政を軽んじる思考があり、政治と経済から問題があると私は考えました。

 端的に言いますと、立憲主義により、政治家や公務員などの権力者が憲法を守らなければならないのを、日曜劇場では国民にばかり法律で義務を強いているところがあると考えました。また、憲法で基本的な人権、参政権などを除けば保障されるはずの外国人にも冷たいときがあります。

 また、政府の借金である国債を恐れずに、インフレ率や国債の金利に注意して発行すべきという積極財政、反緊縮の理論からは、日曜劇場は借金を悪く扱う、税を財源だと考える、「弱い人を叩くほど経済が上手く行く」と考えるなど、経済的に弱い立場の労働者などを軽んじているとも、私は推測しました。

 そのため、『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』で紹介された、トマ・ピケティさんの理論による「ビジネスエリート右翼」の思想、憲法と財政の両者を軽んじる姿勢が日曜劇場の多くにあると考えました。


 ただ、以前『VIVANT』などについても書きましたが、これに繰り返し出演する俳優の方などに非はないと申し上げます。

2024年3月18日閲覧


立憲主義では、「憲法は政治家や公務員の義務」である

 まず、立憲主義と積極財政について幾つか説明します。

 立憲主義というのは、権力者が国民に「法律を守れ」と命じる、つまり法律が国民の義務であるのに対して、国民はその権利である人権を憲法に定めているので、「憲法を守れ」と権力者に命じるというもののようです。少なくとも日本国憲法99条に、「この憲法は議員や裁判官や公務員の義務」だとあります。
 池上彰さんは、「自民党の改憲案には、それを分かっておらず、憲法を国民の義務にしようとするものがある」と危惧しているようです。
 また、外国人の人権も、参政権などの「性質上国民のものである」とされるものを除けば、憲法で保障されるのが一般的なようです。

不況のときは積極財政で減税や公共事業をするもの

2024年3月16日閲覧

 続いて、積極財政、反緊縮について説明します。これは池上彰さんも批判される、あるいはその一部であるMMTという経済理論を池上彰さんが紹介したこともあります。
 まず、日本政府の借金である国債が増えている、それによる財政破綻を危惧する人は多いものの、これはあくまで国内のもの、「内国債」で、「先進国の自国通貨建て国債によるデフォルトは考えられない」と財務省のサイトに書いてあります。つまり、新しい経済理論のMMT以前の常識だとされます。
 固定相場制なら微妙なところがあるそうですが、現在の日本は変動為替相場制です。
 また、日本は対外純資産も多く、経営は黒字であり、国債も低金利のままなので、安全だとあります。また、GDPに対する債務比率は、アメリカやイギリスがひどくても破綻しなかったときもあると書いてあります。国債を、通貨の発行で返すとハイパーインフレになると池上彰さんの番組で紹介したこともありますが、財務省のサイトに「ハイパーインフレの懸念はゼロに等しい」とあります。
 これらを幾つか、井上純一さんは紹介し、「自国通貨建て国債で破綻しないというのはMMTと言われるが、これはMMTではなく財務省も認める経済の常識である」とまとめています。
 ギリシャやアルゼンチンが破綻したのは外国債であり、ハイパーインフレは戦争などの圧倒的な供給不足により物価が年間130倍になる異常事態で、現代日本で多少円を増やしただけでは、緩やかなインフレ、単なる好景気になる可能性の方が高いとされます。
 また、インフレを恐れるのは、それにより通貨の価値が下がるので、現在多額の財産を持っている高所得者であると、『剣と魔法の税金対策』漫画版にあります。
 現代日本は政府の借金を恐れるあまりに円を増やせず、その緊縮財政によりデフレが長く続いているそうです。
 そもそも不況のときに減税と政府支出増加をするのは、積極財政という財政政策として当然であり、政府の借金を返すために増税するのがおかしいとも言われます。緊縮財政はインフレなどの好況のときにすべきだそうです。
 さらに、現代日本の場合、政府に属する中央銀行が通貨を発行した時点で政府の負債であり、それを国民が政府に納めることで相殺されて消えるので、「税は財源ではない」という理論もあります。この意味で、昔ならともかく現代日本で、公共事業などを「税金の無駄遣い」というのは間違いだということになります。
 『さよならマエストロ』ではその台詞がありました。
 むしろ不況だからこそ、お金儲けとしては赤字の公共事業をすべきということになるようです。
 経済学者のケインズは、「お金儲けは民間がすべきであり、政府はそれを邪魔しないように無駄な公共事業をした方が良い。穴を掘ってお金を埋めて掘り出すだけでも良い」と言ったそうです。
 また、これとの関連は断定出来ませんが、「政府の赤字は民間の黒字」、「政府の赤字はみんなの黒字」というハッシュタグもあります。
 政府の財政を黒字にする「プライマリーバランス黒字化」自体が間違っており、それでかえって民間が赤字になり、ギリシャとアルゼンチンが破綻したという主張もあります。
 なお、積極財政において、税金の役割は財源ではなく、累進課税で格差を縮める所得再分配、好況のときに増税して不況のときに減税して景気を安定化させるビルトイン・スタビライザー、たばこなどの特定の経済活動にブレーキをかける政策の実現があるとされます。
 他にも、通貨の増やし過ぎによるハイパーインフレで信用がなくなるのを防ぐ通貨の回収、その通貨を持たないと税金が払えないので国民が通貨を持つようになる通貨の流通という役割もあるようです。
 所得再分配とビルトイン・スタビライザーからは累進課税が良く、デフレのときに消費にブレーキをかける消費税は悪く、ハイパーインフレと逆のデフレのときは減税すべきなので、今の日本では消費減税すべきだと、積極財政では主張するようです。
 また、現代日本は消費増税の代わりに法人減税をしたために税収がほとんど変わらず、特に大企業への法人税が少ないので格差が広がっているという主張も『こんなに危ない!?消費増税』にあります。

 前置きが長くなりましたが、日曜劇場に詳しい方は、これらの立憲主義と積極財政の考えを見ることで、日曜劇場の問題点に気付くかもしれません。

現代日本はそこまで「努力が足りない」のか

 まず、日曜劇場では、しばしば職場での苦境に「がんばれ」、「上手くいかないのは努力が足りない」という趣旨の主張があります。
 金融の『集団左遷‼︎』で「がんばろう」を繰り返したこと、医療の『ブラックペアン』や『A LIFE』で主人公が優秀なのは努力したからであり周りは足りないという主張もあり、料理の『東京グランメゾン』で、登場人物が成功したあとに「今まで上手くいかなかったのは、努力が足りなかったからでした」と言った場面もあります。
 これについては、『キミのお金はどこに消えるのか』で、「日本は豊かな国なので貧乏なのは自己責任である」という主張や「中国にはもっと貧乏な人がいる」という主張に対して、「ここ20年間で中国が経済成長したのに、日本がしなかったのは日本人が怠けたからですか?」と反論しています。
 少なくとも、現代の日本だけが20、30年間経済成長していないのが、努力不足だというのは無理があります。

現代日本の不景気は緊縮財政による

 その原因を、『キミのお金はどこに消えるのか』シリーズでは、「財政政策が間違っており、不況ならば積極財政で、国債などを財源にして減税や公共事業をすべきなのを、政府の借金である国債や、戦争や大災害でもなければ起こらないハイパーインフレを恐れ過ぎて、国債の発行を渋り増税する緊縮財政になっているから」だとしています。
 金融、医療、料理などの様々な業種の差こそあれ、現代日本の不景気が財政政策の間違いによるものだという理論からすれば、個人の努力不足にするのはひどい「自己責任」論です。
 その上、場合によっては努力するほど需要に対する供給の過多で、利益がかえって減る空回りになるおそれもあります。

マルクス経済学の思考が日曜劇場には残っているのか

 マルクス経済学では、労働の分だけ商品には価値があるとされ、これは、商品の価値は需要と供給で決まるという現代の経済学では否定されているそうですが、日曜劇場ではそのマルクスの影響がまだあり、「売れないのは売る側の努力が足りないせいだ」という思い込みがあるのかもしれません。
 その上、マルクス経済学では経営者が労働者の利益を剰余労働として搾取しているという理論のはずが、日曜劇場では『下町ロケット』や『陸王』などの、仕事熱心な職人に近い、つまり「働くのが好きな」経営者の目線で、「経営者もがんばっている」という主張で労働者の過酷な労働の問題をごまかすブラック企業に近いところがあります。
 ネットで、『下町ロケット』や『陸王』の主人公の企業がブラックではないか、という指摘もあります。経営者ではないものの、『サイコな2人』で野心的な女性刑事が後輩の直ぐ帰るのに憤るのも、「仕事熱心」ではあるもののそのために過酷な労働を強いているのでしょう。

「下剋上」は「希な望み」でしかないのではないか

2024年3月16日閲覧

 また、日曜劇場では、苦境からはいあがる、逆転して成功に導く「下剋上」の要素が多々あり、それが「希望」をもたらしているという主張もありそうです。
 『集団左遷!』、『半沢直樹』、『グランメゾン東京』、『ドラゴン桜』、『陸王』、『A LIFE』、『下町ロケット』、『ノーサイド・ゲーム』、『下剋上球児』、『さよならマエストロ』などです。
 しかし、それは私が以前書いた記事の論理で言えば、「希な望み」でしかなく、一部の成功例に過ぎないと考えます。
 『さよならマエストロ』に似たところとして、神社を経済的に復興させる漫画『氏神さまのコンサルタント』の「コンサルタント」の袴田が「人も金も時間もないというのは夢をあきらめる人間の言い訳で、その状況でも、特別な人間でなくても、成功した人間は何人もいる」と主張していました。
 しかし、『左ききのエレン』少年ジャンププラス版で、「有名なアーティストを何人知っている?夢見ている奴が10万人いるとして、成功するのは10人程度で、万が一が現実なんだよ」という台詞があります。
 『氏神さま』で成功した人間が「何人もいる」としても、それが夢を見ている人間の何分の一なのか、と言われれば反論が難しいでしょう。袴田に「絵空事」という役所の人間もそう言いたいかもしれませんし。
 日曜劇場も、ごくひとにぎりの成功の体験談ばかり語り、それが多くの人間に当てはまるのか、という疑問に答えていないものが多いと考えます。

「替えのきかない有能」ばかり持ち上げる「ひとにぎりの成功」の論理

2024年3月16日閲覧

 『左ききのエレン』では、少数の天才を「替えのきかない有能」としており、「会社に必要なのは、若いうちのほとんどの替えのきく無能を引き上げられる替えのきく有能だ」という主張があります。
 その意味で、日曜劇場は『日本沈没 希望のひと』の田所などの「周りに真似出来ない優秀さ」を持った人物だけが成功したり世の中を守ったりする作品が多く、「真似出来ない、理解しない周りの努力が足りない」と周りを責めるばかりの、「替えのきかない有能」に都合の良い展開が多いとも言えます。
 その結果、優秀な主要人物だけが正しく、それを理解しない周りが悪い、努力が足りないという主張になるようです。
 『シン・ウルトラマン』では、これらの比較があります。人間より圧倒的な技術を持つ外星人のザラブは「身体機能に由来するので教示出来ない」、つまり人間に真似出来ない電子機器操作の能力で親切にするように見せかけて人類を支配して滅ぼそうとしました。次のメフィラスは、ウルトラマンと同じ巨大化の技術を、既製品として人間に多数与えたので、人間にある程度強くなる機会を与えましたが、やはり滅ぼさない範囲の支配のためでした。ウルトラマンはメフィラスの計画を止めたものの、それ以上の相手に立ち向かうために、巨大化のシステムの数式を教えて新しい武器にしました。「既製品ではなく自ら作り出してほしい」と。ザラブ、メフィラス、ウルトラマンへと、徐々に周りの「凡人」を引き上げる、良い意味での「替えのきく有能」になったと言えます。

『JIN-仁-』の「平凡な周りを引き上げる」寛容さ

 そのような姿勢が日曜劇場には少なく、『JIN-仁-』が例外だと言えます。
 幕末の江戸にタイムスリップした脳外科医の南方仁は、医療技術を発展させたいものの、元々未来人として技術が優れているだけなので周りをあまり批判しない、自分がいつ未来に戻されても良いように、周りの医師に分かりやすく技術を伝える、医療知識のなかった人間の咲などの協力も必要なときがあるので、その辺りの分かりやすさも重視するなど、「理解しない方が悪い、努力が足りない」と言わない寛容さがあります。
 仁も『シン・ウルトラマン』のウルトラマンに通じる、「自分がいなくても周りが活動出来るように引き上げる」、「替えのきく有能」だと言えます。
 それがほとんどの日曜劇場では、主人公達に共感する視聴者の自尊心を守るためかもしれませんが、「自分達少数の人間だけが正しく、周りが合わせない、追いつけないのは努力が足りないからだ」という主張が多いと考えています。『日本沈没 希望のひと』などです。
 『氏神さま』にしても、日曜劇場の多くにしても、一部の成功例ばかり取り上げ、現実の、特に不景気の現代日本に多い「上手くいかない人間」を「努力が足りない」と思わせるのは問題だと考えます。

需要の量と質の問題から、経済学の裏しか見ない「成功例」による「希な望み」

 特に、積極財政の主張で問題視されるデフレは、物価が下がり続けるので一見家計に楽でも、「今買うより我慢した方が得だ」と思わせて消費が減少して、需要不足で、供給や生産の側がいくら「努力」しても賃金が上がらず空回りするとされます。
 また、全体の通貨が増えないので、少ない通貨の奪い合いになり、「誰かの得は誰かの損」というゼロサムの主張になるおそれもあり、マルクス経済学の「搾取」が現代日本で再び、斎藤幸平さんなどの人間に信じられるのも仕方がないと、『逆資本論』にあります。
 デフレの解決のためには、民間の供給の努力ではどうにもならず、政府が積極財政、減税や公共事業で需要を増やさなければならないのが、現代日本は国債を恐れて緊縮財政になっているのが問題だとされます。
 これを日曜劇場では、主に民間の労働者にばかり「努力」を求めるのは、1つの原因として、需要と供給の質と量の表と裏の論理があると私は推測しました。
 「消費の需要が増えないと供給の生産性は上がらないし、イノベーションも生まれない」と、『キミのお金はどこに消えるのか』では繰り返されていますが、需要にも数字で表せない質があり、不景気でもそれを逆手に取った新しい需要を、部分的に生み出せる可能性が幾つかの料理漫画や『クレヨンしんちゃん』にあります。
 『築地魚河岸三代目』によると、魚問屋の仲卸において、鮮魚なら見向きもされないような傷のあったり鱗が取れたりする魚を、干物専門の仲卸は開いたときの中身を重視するので買うことがあります。『ラーメン発見伝』シリーズでは、ラーメンばかり売られる、供給過多に見える地域で飽きている客にチャーハンを売ったり、つけ麺の激戦区でトンコツ・ラーメンを売ったりして、需要の数字で表しにくい質に適した特殊な供給で、一見平凡な商品で成功することがあります。
 『クレヨンしんちゃん』では、しんのすけの父でサラリーマンの野原ひろしが、裕福そうな取引先の相手を接待するときに、しんのすけの一見ふざけた対応が、焼肉のタレを混ぜる、盆栽をでたらめに切るなどで、かえって取引先の主観に訴えかけて成功させることがあります。
 日曜劇場でも、『ルーズヴェルト・ゲーム』のカメラの部品を小さくする、それだけでは役に立ちにくい技術をスマホに転用したり、『アトムの童』のゲームのおまけのプラモに塗装する余裕のないのを、逆に買い手任せにして楽しませたりして、一見質の低い商品やサービスの特殊な売り方を見つける、「努力に比例しない結果」があります。
 これらは、需要の中に数字で表しにくい質があり、その主観的な価値を、一見しんのすけなどの、価値の低そうな労働から生み出していく意外性があるのでしょう。
 マルクス経済学のうち、『逆資本論』でも肯定される、「交換価値」があると言えます。
 空気は「使用価値」が高く役に立つもののありふれているので「交換価値」がなく売れず、ダイヤモンドは「使用価値」が低くても主観的な「交換価値」が高く売れるのであり、しんのすけはジャンクアートのように、一見役に立たないものから「交換価値」を生み出したと言えます。
 そのようにして、不景気で需要の少ない状況でも、部分的に特殊な供給で成功する可能性は、確かにわずかならあります。『氏神さま』もそのような傾向があるのでしょう。
 しかし、全体の需要が不景気や増税で落ち込む中で、部分的な需要に合った供給の成功例ばかり取り上げるのは、一般的な経済学の裏しか見ない、表の論理に戻る往復がない、「希な望み」、「希望」でしかありません。踏み込んで言えば「小手先」です。
 その「小手先」の「希望」だけ与えて、「ひとにぎりの成功例に入れないのは努力が足りない」という論理も、日曜劇場の多くにみられます。
 需要や消費が増えないと生産性も上がらないというのを、「だからこそ消費者心理をつかむために新しい生産をしろ」とすり替えている可能性もあります。
 『下剋上球児』の序盤では、野球経験のある高校教員が、「野球部の監督は甲子園に行けと言いますよね。強豪校なら良いですけど、そうでない子に言うのは酷だし無責任ですよ」と冷静に「ひとにぎりの成功例を押し付けるな」という主張をしたものの、その教員がそもそも無免許だったので、「怠け者の言い訳」のようにみなされたかもしれません。

「外国人を守らない」のも憲法違反

 また、財政ではなく政治や法律の観点からも日曜劇場の多くに問題があります。『TOKYO MER』の警察官が「私が守るのは日本国民だけだ」と言うのは、日本国憲法に違反するはずです。昔の憲法ならいざ知らず、現在の日本国憲法は、外国人の人権も、参政権などの「性質上国民のみのもの」を除けば保証されるようですから。

「自己責任」を「職業選択に伴う義務」だとするならば、なおさら憲法や労働三法が重要である

https://x.com/hg1543io5/status/1766755410164453445?s=46

2024年3月16日閲覧

 私は「自己責任」という言葉を、ネットの「閲覧注意」、自ら閲覧した記事などでネタバレやセンシティブな画像や文章を見て嫌な思いをする程度なら、「自分の行動に伴う責任」として受け入れるべきだと考えます。
 また、「職業選択に伴う義務」として、飲食や製造業に入る労働者が、それに伴うネイル禁止などの責任はあるとみなします。しかし、ならば労働者に対する経営者、国民に対する政府関係者こそ、その職業を選んだことに対する責任として、労働三法、憲法を守る「自己責任」があると考えています。
 国民に義務として法律を守らせるのが、立法の議員、司法の裁判官、行政の警察官などの仕事ならば、その国民の権利である人権を定めた憲法を代わりに守るのが、議員や裁判官や警察官の「職業選択に伴う義務」のはずです。少なくとも警察官の「誓い」には「憲法を守る」とありますし。また、政治家は国民に「なれ」と選挙で強制されるのではなく、「なりたい」と立候補するのが先なので、選んだ国民だけでなく、立候補した本人の責任もあるはずです。
 経営者も、労働三法を、経営者になることを選んだことに伴う義務として守る必要があります。
 「政治家や経営者になりたくなかったのに親などのせいでなった」という二世議員や経営者はいるかもしれません。『下町ロケット』の佃が近いでしょう。しかし、それこそ「自己責任」論者のよく社会的弱者に言う「親のせいにするな」という話です。日本には「職業選択の自由」が憲法で保証されているのですから。
 この意味で、日曜劇場の多くには、政治家や警察官の義務である憲法、経営者の義務である労働三法の概念が欠けています。
 『TOKYO MER』の外国人の人権を認めない警察官も、『VIVANT』で、架空の国家とはいえ「俺が法律だ!」と叫んで強引に病院に押し入り患者を連行しようとする警察官のチンギスも、「警察官になることを選んだ人間は、法律を国民や外国人に守らせる代わりに国民の権利であり、外国人にも保証される憲法を守る責任」が見えていません。

銀行や民間企業には、「黙秘権」以前に「捜査権」がない

 『半沢直樹』で、民間の銀行内部での不正を他の行員が、役所などに隠れて取り調べするときに「ここには黙秘権なんてない」と言うのも、調べる側に都合の良い「事実」だけ一方的に主張しています。
 大規模な銀行であろうと民間人が民間人を取り調べるときに「黙秘権」などないでしょうが、そもそも「捜査権」がありません。警察官などによる国民や外国人への捜査権と引き換えに、国民や外国人の人権としての、警察官などに対する黙秘権があり、それを弁護士などが主張するはずです。
 『VIVANT』で、日本の民間企業の丸菱に勤める乃木が会社の大金を外国の企業に不正に流した疑いがあったときに、その外国は信じていなかったとはいえ、日本の公安警察の野崎が乃木を無実だと認識していた時点で、野崎が丸菱に説明せず、丸菱の人間が「あなたは容疑者なんですよ」と警察のような家宅捜索をしました。これも警察のような捜査権を民間人が勝手に主張して、警察がそれを止めず、逆に警察などになら民間人が出来る抵抗を出来なくする、『半沢直樹』の「銀行に黙秘権などない」という主張に近い偏りでしょう。
 『半沢直樹』で「銀行に時効なんてありませんよ」と言うのも、確かに犯罪などの不正についてとはいえ、その人間の人権のためでもあるはずの時効や黙秘権などを、日曜劇場では拒絶して政府の都合ばかりの主張になっているのではないか、という疑いがあります。日曜劇場には弁護士の物語もありますから、断定は出来ませんが。
 まして、『VIVANT』では、乃木こそ実は公務員だったのが、テロリストとはいえ人を勝手に殺すなどの明らかな憲法違反もしており、それが「自衛隊の非合法の部隊」、つまり存在自体が元々憲法違反ともされる自衛隊のさらなる非合法組織だからと開き直って、憲法を軽んじている様子もあります。少なくとも『VIVANT』で、「法を無視した」という表現はあっても、法律と憲法の明確な区別への言及は見当たりません。
 日曜劇場の多くは、犯罪者などを徹底的に悪く扱うことで、その人権を軽んじて、政府や公務員の義務である憲法をごまかしている様子もあります。そのような政府が「徹底的に悪いこと」をした歴史もあるはすですが。

政治家や経営者が怪我や病気でも無理をすることは本来の「責任」とは異なる

 また、『日本沈没 希望のひと』の総理大臣や『下町ロケット』や『陸王』の経営者など、政治家が命を懸けたり経営者が労働者と同じく働いたりする場面はありますが、それは国民や労働者を酷使するのを「自分もがんばるから」という論理でごまかす可能性があります。政治家や警察官や経営者も、働き過ぎによる苦しみや家族の不幸や命の危機に不満は言って構いませんが、国民の権利である憲法や労働者の権利である労働三法をそれぞれ守る義務はあります。
 これは『相棒』の片山雛子や甲斐嶺秋などにも通じますが、政治家や警察官は、職業選択に応じて、命を懸けるなどの、ときにパフォーマンスに近い「派手で格好良い責任」ではなく、憲法を守るなどの「地味で格好悪いけれども穏やかな責任」を果たす必要があります。

積極財政の政党によるリスク

2024年3月16日閲覧

 ただ、反緊縮にも「反グローバリズムの部分がある」と『逆資本論』で井上純一さんは書いており、新党くにもりや日本第一党や参政党など、日本で積極財政の主張は右寄りの政党がしやすいようなので、日曜劇場を積極財政と立憲主義の両方で批判する人間は少ないかもしれません。

国家と企業の区別が日曜劇場ではされていない可能性

 『VIVANT』で民間企業の丸菱の人間が「容疑者」の家宅捜索をしたり、『半沢直樹』で銀行員が内部の不正の「黙秘権や時効のない」捜査のようなことをしたり、『日本沈没 希望のひと』で大企業の幹部が災害時に大臣になったり、国民を海外に「企業ごと移住させる」と言ったり、日曜劇場の多くは、国家と企業の区別が付いていないところがあります。というより、「同じであってほしい」という思考があるのかもしれません。

佐藤優さんの主張

 積極財政の主張とは異なりますが、佐藤優さんは『いま生きる「資本論」』で、「国家による税の収奪と企業による搾取は異なる」と書いています。また、「ビットコインで税金は払えない」、「ビットコインが社会全体に流通することはないので通貨にはならない」と書いています。
 国家は税を回収、収奪することで通貨の信用を守れるという考えもあるようです。それは企業とは異なります。

積極財政における「政府の赤字は民間の黒字」やビルトイン・スタビライザーなどの役割

 まず、積極財政の主張では、経済における国家の役割は中央銀行に通貨を発行させて、民間の銀行を通じて民間市場に回し、その一部を税金として徴収し、払わない、あるいは納めない人間を罰するという強制力、暴力により通貨に信用を与えるというのが1つです。これは明らかに、企業では替えられません。
 また、「政府の赤字は民間の黒字」なので、政府が発行した自国通貨での赤字は問題なく、むしろその分国民が黒字になり、政府財政を黒字にしようとするプライマリー・バランス黒字化は民間を赤字にして、かえってギリシャやアルゼンチンのような破綻を招き、政府は不景気のときは、赤字だけれども国民の役に立つ公共事業やサービスをすべきだそうです。これも企業が代わりにはなれません。
 また、累進課税について、好況なら高所得者が増えて自動的に増税され、不況なら減税されることで、民間から国家が回収する税の量が景気に応じて変わるので、景気の上がり過ぎを増税で、下がり過ぎを減税で防ぐビルトイン・スタビライザーという役割もあるそうですが、このビルトイン・スタビライザーには社会保障も含まれます。不況のときは社会保障などに政府が作った通貨を回し、それを高齢者や生活保護世帯が消費することで景気を良くするそうです。つまり、政府の通貨発行や税率変化などの政策でしか救えない社会的弱者がおり、企業とは分けた役割があるのです。

政府が社会的弱者を助けることで全体の景気も良くなるビルトイン・スタビライザー

 また、財政については、「弱い人を叩くほど経済が上手くいく」わけではないのをそう思い込んでいる人間がいると、井上純一さんは『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』で書いています。
 その思い込みで、「弱い人や自然環境のために経済成長などを捨てたり公共事業を減らしたり増税したりする」のが「バラモン左翼」、「経済、特に国家や大企業のために弱い人を怠け者だとして切り捨てる」のが「ビジネスエリート右翼」と呼ばれています。
 これを『VIVANT』では、様々な意味で間違えていると言えます。
 架空の国家のバルカで、戦争で孤児が増えたので、孤児救済の企業であるものの政府の機関ではない、日本人のノゴーン・ベキの組織が、その資金を得るために他の国でテロをしたり、バルカの軍事を民間でありながら担ったりしていました。バルカの政府は「お偉いさんが孤児を助けるのに興味がない」と説明されています。
 つまり、「弱い人を守るには世の中のルールを破らなければならない」と『VIVANT』で考えているならば、それは井上さんの「弱い人を叩くほど経済が上手くいくと多くの人間が思っている」という推測に当てはまり、それはビルトイン・スタビライザーを分かっていないと言えます。『ブラックペアン』でも医療過誤の被害者を助ける資金を得るために恐喝まがいのことを主人公がしていますが。
 孤児の社会保障などに政府がお金を出せば、実際には保障される孤児の消費で景気を良くして国のためにもなるはずですが、それが『VIVANT』の政府もそれを批判する側も見えていないようです。
 ベキ達がテロなどによる資金、おそらくドルで養った孤児が警察官などになり、バルカの役に立った説明はありますが、本来バルカの通貨で養うことも出来たはずです。

国家と企業の混同が常識として浸透している

 そして、民間企業でしかないはずのベキの会社が、政治にも深入りしており、最後には政府を軍事力で威嚇しています。これも国家と企業の区別が付いていないと言えます。
 国家が通貨の信用からも法律からも独占すべき、徴税や軍事などの暴力を民間任せにして、通貨発行で救えるはずの孤児を放置して、逆に民間企業が国家の真似をしていると言えます。それは皮肉にも、ベキの息子の乃木憂助を「家宅捜索」した丸菱にも通じますし、日曜劇場はそれだけ常識として「国家と企業の同一視」があるのでしょう。
 これ以上は私には難しいのですが、積極財政の考えを井上さんに教えた飯田泰之さんの書籍『経済学ブックガイド88』では、「日本ではいまだに、戦国武将のような企業が国家を動かす考えがあり、それは古典派経済学の時点で否定された重商主義である」という趣旨の記述があります。重商主義とは、国家は企業のように貴金属を大量に保有するために他の国家から奪うという主張を含むらしく、政府がとにかく企業のように黒字を出さなければならない、それで国民が豊かになるという考えのようです。つまり、日曜劇場の『VIVANT』にもそれがあるのでしょう。
 ベキは孤児救済のためならば、手段は選ぶとはいえ利益にこだわり、横領した人間を政府に隠れて殺して自分達の組織の隠蔽に利用しており、人権軽視も、国家と企業の混同もみられます。
 政府が赤字になるような公共事業や福祉をすれば全体のためにもなり、それは黒字を目指すべき企業では替えられないのです。

『VIVANT』には、バルカ独自の通貨が見当たらない

 そもそも、『VIVANT』にはバルカ独自の通貨の要素も、それを中央銀行が発行することへの言及も見当たらず、ドルと円ばかり登場します。ベキの企業がドルでテロにより稼いでも、世界で唯一ドルを発行するFRBからのドルが巡り巡ってバルカの企業に流れ、それが孤児救済に使われたとして、最終的にどこに消えるのかが曖昧です。
 ちなみに、日本銀行が発行した日本円は、最終的には日本政府に税として納めて消えるようです。「税はお金を消すもの」でなければ、「国が作ったお金はどこに消えるのか?」という疑問に答えられません。
 政府が暴力や通貨発行権を独占するという政治学や経済学からも、『VIVANT』は間違いがあります。

ナショナリズムとパターナリズムと「自己責任」と立憲主義と積極財政

 私は、『TOKYO MER』の警察官の「私が守るのは日本国民だけだ」というナショナリズムについては、「日本国憲法は外国人の人権も認めており、警察官になることを選んだあなたはそれに従う義務があります」と、「職業選択に伴う義務」、「自己責任」によって権力者に歯止めをかけるべきだと考えています。
 パターナリズムも、政府や企業がそれぞれ「上の立場からの」善意で国民や労働者を支配しようとするならば、「政治家や公務員になることを選んだあなた方は国民の権利である憲法を守りなさい」、「経営者になることを選んだあなたは労働者の権利を守りなさい」と、やはり職業選択に伴う義務、「自己責任」で止める必要があります。
 また、「自己責任」論が「国家や政府に頼るな」という意味ならば、軍事や防衛などの暴力や徴税は政府にしか出来ず、それで政治や経済において政府のみがすべき役割があり、通貨発行権を活かした国債発行や社会保障や公共事業などの政策もすべきだと答えます。
 少なくとも『逆資本論』では、「戦争で民間任せにする国家はないでしょう?」と疑問形で書いていますが、皮肉にも『VIVANT』ではバルカがそれに近い、軍事を民間任せにする状態になっていました。

「仕事と趣味が一致」しているために「努力」するのではないか

2024年3月16日閲覧

2024年3月16日閲覧

 『下町ロケット』などで、「上手くいかないのは努力が足りないからだ」と企業が労働者を酷使するときに、「仕事には夢を持て」というのも、「夢」を「やりたい仕事」と仮定するならば、賃金の上がらない現代日本でも、「仕事をしたい心が大事」だと、ひとにぎりの「仕事が好きな人間」の精神を強要しています。
 梅原克文さんの小説で、『ソリトンの悪魔』では、「仕事と趣味が一致している」と解説された人間がおり、『二重螺旋の悪魔』の主人公にも「誰よりも長く働く」、「ゲームのように開発を楽しむ」など、その気配があります。『テュポーンの楽園』の悪役は、「働かなくても生きていける世界」を作ろうとしましたが、「働きたい者は働けば良い」と言っており、おそらく本人は「一生働きたい」人間のうちだったと見られます。
 佐藤優さんも、『メンタルの強化書』で、「今の日本の官僚で成功するのは、仕事と趣味が一致している人間だけ」という趣旨のことを書いています。
 その「趣味と一致した仕事が好き」な経営者が日曜劇場には多く、だからこそ「したい仕事」を「夢」と呼び、それを従業員に押し付けているとも考えられます。日曜劇場を見る人間にも、その「仕事を見る」のが趣味で、だからこそ「仕事を応援したい」と思い、「こんな楽しそうな仕事で働かない方が怠け者だ」とみなしているところがあるかもしれません。

「お金や待遇で文句を言うなんて低俗だよね」と考えていないか

 あるいは、『実はヤバい実験心理学』で、「少ない報酬で働かされたり強要されたりすると、人間はその自分を正当化するために、心から自分がその行いをしたがっていると思い込むようになる」心理が紹介されています。「お金や待遇で文句を言うなんて低俗だよね」と。
 その「お金や待遇で文句を言うのは低俗だ」という心理は、日曜劇場にもあるかもしれません。
 あるいは『らんまん』で、明治の不平等条約撤廃を目指す日本人男性が、外国人の女性を差別するように描き、日本人女性が「私が外国のことを学ぶのは分かり合うためです」と批判していますが、これも「関税自主権や領事裁判権がないこと、お金や法律の文句を外国人に言うのは低俗だ」という心理の可能性があります。
 『脱貧困の経済学』などで、飯田泰之さんも、「日本では政治家まで清貧の思想を国民に押し付けるところがある」と批判していますし。
 

消費増税と法人減税で、「消費が悪、大企業の利益は善」とみなす心理がないか

 また、税金の役割として、たばこ税のように、特定の経済活動にブレーキをかける政策の実現があり、現代日本の消費増税と、その代わりになっているという主張もある法人減税は、日本人の考え方を歪めていると私は推測しています。経済学と心理学の関連は分かりませんが。
 低所得者ほど消費の家計に占める割合が多いので、消費税は低所得者ほど負担の大きな逆累進性があり、特にデフレをさらに悪化させるとされます。インフレのときはブレーキをかけるので絶対悪ではないと、『キミのお金はどこに消えるのか』シリーズにありますが。
 また、現代日本の法人税は、特に大企業で減らされているようです。
 すると、消費税は増えて、消費がたばこのような「自分の欲のための悪」だとみなされ、法人税が減り、大企業が利益を増やすのは「世の中の役に立つ善」だとみなされるため、格差の拡大も正当化されてしまう可能性があります。
 そして、消費が悪だとみなされ、「景気が悪いなら生産をがんばれ」という主張にもなってしまうのかもしれません。「消費が増えないと生産性が上がらないし、イノベーションも生まれない」と繰り返す井上純一さんは、「無駄にお金を使わず現場ががんばることで生産性が上がるというのは勘違いである」とも主張しています。
 そして、日曜劇場では『下町ロケット』などで大企業への批判をすることはあっても、その幹部などの一部の人間の不正を暴き処分して溜飲を下げるばかりで、根本的な法人減税や消費増税などの社会の仕組みから目をそらしている可能性があります。

目の前の弱者のための過重労働の正当化

 また、『下町ロケット』は、第1期前半のロケットはともかく、後半の人工心臓や第2期のトラクターなど、社会的弱者を助けるために、過酷な仕事を正当化する様子もあり、あとから「ロケットも台風予測のための人工衛星に必要で、命を守るためにあった」と主張しました。
 「夢」という「仕事の楽しさ」と、目の前の社会的弱者を守る論理で、ブラック企業のような働かせ方、たとえば「家族が病気でもなければ定時で帰れない」ような主張の推進があります。
 『TOKYO MER』などもそうでしょう。
 私が先ほど日曜劇場の中で例外的に肯定した『JIN』にも、医師を酷使する傾向はあります。薬のペニシリンのために醤油職人を働かせた反省はしていますが。
 働かなければ致命的に傷付く社会的弱者のためだとしても、働く人間もまた、働き過ぎで致命的に傷付く可能性があることを、日曜劇場の多くでは見落とし、労働者の権利を軽んじるところがあります。
 『DCU』の「死んだ仲間が生きていたらきっとこうする」と捜査官が残業したり、『サイコな2人』で野心的で「いつも自分ごとで怒ってばかり」と利己的に描かれる女性刑事が残業はしていたりと、日曜劇場は残業を当然のように正当化する複雑な展開があります。
 

借金自体を悪くみなし過ぎていないか

 また、民間の金融の話なので、国債とは区別すべきかもしれませんが、日曜劇場は『半沢直樹』で「貸した金は返せ」と言ったり、『流星ワゴン』で「金を借りる奴は嘘つきばかり」と言ったり、借金そのものを悪く扱う傾向もあります。
 『キミのお金はどこに消えるのか』で、「信用創造」と呼ばれる、借金が世の中に回るお金を増やす、世の中の役に立つ要素も紹介されていますが、どうも日曜劇場は「借りる方が悪い」かのような扱いもみられます。
 『半沢直樹』で、恨む銀行にあえて入った半沢が「しょせん我々は金貸しですよ」と言ったり、国税庁の人間に「汚い金貸し」と言われてもそれは認めたりしています。つまり、「借金が悪で、借りる方も悪ならば、金貸しも悪を利用する悪」という思考がみられます。
 その日曜劇場の考えが、直接言及しないにしても、現代日本で、政府の借金である国債を過剰に恐れることで緊縮財政を招いているかもしれません。

『陸王』の「困っている人間こそ同じような人間を助けろ」は「保険」の論理で否定すべきである

2024年3月16日閲覧

 また、日曜劇場『陸王』で、共に苦境の足袋メーカーのこはぜ屋とスポーツ選手が助け合うところがありますが、前者の苦境で後者が、「ここでこはぜ屋さんを助けないと、俺も俺を見捨てた人間と同じになる」と言っています。
 しかしこれは一見美談ですが、つまるところ「困っている人間こそ同じ痛みが分かるのだから困っている人間を助けろ」という、苦しみを増す論理になります。ならば同じ痛みの分からない恵まれた人間が助ける必要はないのか、とも言えます。
 ブリューゲルの絵に、「盲目の人間が盲目の人間を導けば全員穴に落ちる」というものがあるそうですが、どうも日曜劇場はそのような、不幸な人間の助け合いを美談として強要して、余裕のある人間が助ける当たり前の論理の少ないところがあります。
 『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』では、保険という「逆ギャンブル」によりそのような論理を否定しています。「自分が損をする方に賭ける」、言わば「失敗した人間のために、失敗するかもしれなかったがしていない人間の払った保険料で助ける」のが保険の論理です。
 その意味で、こはぜ屋を助けるべきだったのは余裕のあるスポーツ選手であり、余裕のないスポーツ選手は余裕のある企業に頼れば済んだのです。
 『JIN』では保険の考えが、ドラマ版にはあります。そこで坂本龍馬などの影響で保険制度を進めた恭太郎は、保険の紹介されていない原作では、福沢諭吉から経済の思想を学んでいます。
 保険とは必ずしも関係がないかもしれませんが、経済の語源である「経世済民」が、多くの国民を政府により助ける意味で、『JIN』以外の多くの日曜劇場に欠けている要素だと考えます。

まとめ

 日曜劇場では、憲法が政治家や公務員の義務であるのを無視して政府に都合の良い主張をしたり「黙秘権のない捜査」を民間でしたり、不況のときは減税や公共事業などの財政政策をすべきなのをせずに、不景気による苦境を努力不足にすり替える問題があります。
 それらは、「ビジネスエリート右翼」、「個人の失業などの苦境を怠惰のせいにする」要素がみられます。

参考にした物語

テレビドラマ

福澤克雄ほか(演出),飯田和孝ほか(プロデューサー),八津弘幸ほか(脚本),2023,『VIVANT』,TBS系列
村上もとか(原作),石丸彰彦ほか(プロデュース),森下佳子(脚本),2009,『JIN-仁-』,TBS系列(放映局)
村上もとか(原作),石丸彰彦ほか(プロデュース),森下佳子(脚本),2011, 『JIN-仁- 完結編』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),福澤克雄ほか(演出),八津弘幸ほか(脚本),2014,『ルーズヴェルト・ゲーム』,TBS系列
重松清(原作),伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸(脚本),2015,『流星ワゴン』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸(脚本),池井戸潤(原作),2017,『陸王』,TBS系列(放映局)
海堂尊(原作),伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎(脚本),2018,『ブラックペアン』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸ほか(脚本),池井戸潤(原作),2015,『下町ロケット』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎(脚本),池井戸潤(原作),2018,『下町ロケット』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎(脚本),池井戸潤(原作),2019,『下町ロケット ヤタガラス 特別編』,TBS系列(放映局)
飯田和孝(プロデュース),いずみ吉紘(脚本),江波戸哲夫(原作),2019,『集団左遷‼︎』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸(脚本),2013,『半沢直樹』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),福澤克雄ほか(演出),丑尾健太郎ほか(脚本),2020,『半沢直樹』,TBS系列
武藤淳ほか(プロデュース),松本彩ほか(演出),黒岩勉(脚本),2021,『TOKYO MER』,TBS系列
伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎ほか(脚本),池井戸潤(原作),2019,『ノーサイド・ゲーム』,TBS系列(放映局)
東仲恵吾(プロデュース),篠﨑絵里子(脚本),『THE GOOD WIFE』(原作),2019,『グッドワイフ』,TBS系列(放映局)
中島啓介(プロデュース),平川雄一朗ほか(演出),森下佳子(脚本),2021,『天国と地獄~サイコな2人~』,TBS系列
伊與田英徳ほか(プロデューサー),田中健太ほか(演出),青柳祐美子(脚本),2022,『DCU』,TBS系列
伊與田英徳ほか(プロデュース),塚原あゆ子ほか(演出),黒岩勉ほか(脚本),2019,『グランメゾン東京』,TBS系列
小松左京(原作),橋本裕志(脚本),東仲恵吾(プロデュース),平野俊一ほか(演出),2021,『日本沈没-希望のひと-』,TBS系列
三田紀房(原作),福澤克雄ほか(演出),オークラほか(脚本),2020,『ドラゴン桜』,TBS系列
岡本伸吾ほか(演出),中井芳彦ほか(プロデュース),神森万里江(脚本),2022,『アトムの童』,TBS系列
塚原あゆ子ほか(演出),奥寺佐渡子ほか(脚本),2023,『下剋上球児』,TBS系列
坪井敏雄ほか(演出),大島里美(脚本),2024-(未完),『さよならマエストロ』,TBS系列
渡邊良雄ほか(演出),長田育恵(作),2023,『らんまん』,NHK系列
橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)

漫画

鍋島雅治/九和かずと(原作),はしもとみつお(作画),2000-2013(発表期間),『築地魚河岸三代目』,小学館(出版社)
久部緑郎(作),河合単(画),2002-2009(発行期間),『ラーメン発見伝』,小学館(出版社)
久部緑郎(作),河合単(画),2010-2014(発行期間),『らーめん才遊記』,小学館(出版社)
久部緑郎(原作),河合単(作画),2020-(未完),『らーめん再遊記』,小学館
かっぴー(原作),nifuni(漫画),2017-(未完),『左ききのエレン』,集英社
村上もとか,2001-2010(発行期間),『JIN-仁-』,集英社(出版社)
臼井儀人,1992-2010(発行期間),『クレヨンしんちゃん』,双葉社(出版社)
臼井儀人&UYスタジオ,2012-(発行期間,未完),『新クレヨンしんちゃん』,双葉社(出版社)
もぐら,2022,『実はヤバい実験心理学』,竹書房
西山倫子+モノガタリラボ(原作),胡原おみ(漫画),2023-(未完),『氏神さまのコンサルタント』,講談社
井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA
井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA
井上純一(著),アル・シャード(監修),2021,『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』,KADOKAWA
井上純一,2023,『逆資本論』,星海社

消費増税反対botちゃん(著),藤井聡(監修),2019,『マンガでわかる こんなに危ない!?消費増税』,ビジネス社
蒼井ひなた,三弥カズトモ,SOW,2021-2023,『剣と魔法の税金対策』,小学館

特撮映画

樋口真嗣(監督),庵野秀明(脚本),2022,『シン・ウルトラマン』,東宝

テレビアニメ

臼井儀人(原作),ムトウユージ(監督),川辺美奈子ほか(脚本),1992-(未完),『クレヨンしんちゃん』,テレビ朝日

小説

梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ
梅原克文,2018,『テュポーンの楽園』,KADOKAWA
梅原克文,2010,『ソリトンの悪魔』,双葉文庫

参考文献

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松尾匡,2019,『「反緊縮!」宣言』,亜紀書房
中野剛志,2019,『目からウロコが落ちる奇跡の経済教室 基礎知識編』,ベストセラーズ
飯田泰之,2014,『思考をみがく経済学』,NHK出版
https://zaigen-lab.info/2022/07/08/delinquent_explanation_manga/
『ヤンキー経世済民漫画』紹介記事
2024年3月16日閲覧

滝川好夫,2010,『ケインズ経済学』,ナツメ社
中野剛志,2019,『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室 戦略編』,ベストセラーズ
飯田泰之/著,雨宮処凛/著,2012,『脱貧困の経済学』,筑摩書房
飯田泰之ほか,2014,『エドノミクス 歴史と時代劇で今を知る』,扶桑社
池上彰,2021,『今を生き抜くための池上式ファクト46』,文藝春秋
佐藤優,2020,『メンタルの強化書』,クロスメディア・パブリッシング
佐藤優,2014,『いま生きる「資本論」』,新潮社
大澤真幸,島田雅彦,中島岳志,ヤマザキマリ,2020,『別冊NHK100分de名著 ナショナリズム』,NHK出版
楾大樹,2016,『檻の中のライオン』,かもがわ出版
池上彰,2013,『池上彰の憲法入門』,筑摩書房
飯田泰之ほか,2020,『教養のための経済学超ブックガイド88』,亜紀書房
トマ・ピケティ(著),山形浩生(訳),2023,『資本とイデオロギー』,みすず書房

財務省サイト,財務省の取り組み,その他

https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm

2024年3月16日閲覧

https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140530s.htm

2024年3月16日閲覧

https://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140724m.htm

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