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日曜劇場のナショナリズムとパターナリズムと「自己責任」の概念


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注意

これらの重要な展開を明かします。終盤まで明かすのもあるので、ご注意ください。

テレビドラマ

『官僚たちの夏』
『下町ロケット』(TBS,第1,2期)
『JIN-仁-』(第1,2期)
『TOKYO MER』
『日本沈没-希望のひと-』
『獣医ドリトル』
『南極大陸』
『ルーズヴェルト・ゲーム』
『A LIFE』
『小さな巨人』
『陸王』
『99.9』
『ブラックペアン』
『集団左遷‼︎』
『グランメゾン東京』
『危険なビーナス』
『半沢直樹』(第1,2期)
『テセウスの船』
『ドラゴン桜』(2020)
『天国と地獄 サイコな2人』
『DCU』
『GM-踊れドクター-』
『流星ワゴン』

特撮テレビドラマ
『ウルトラマンX』

漫画
『銀魂』
『ドラゴンボール』
『らーめん再遊記』

はじめに

 『ターミネーター4』の英語ナショナリズムや、未来の知識によるパターナリズムの強引な善意が、それに当てはまらない人間を「自己責任」で排除する危険性があると指摘しました。
 ここでは、日曜劇場におけるナショナリズム、パターナリズム、「自己責任」の概念を列挙します。

 日曜劇場では、企業などを「家族」のようだと「美談」のように説明する例や、「主人公が経営するのはブラック企業?」というような指摘がネットにあります。








2022年6月25日閲覧

 それらについて、このように挙げます。理論としてのまとめには欠けますが、ご了承ください。


ナショナリズム

 『官僚たちの夏』では通産省の官僚が、戦後からの国内産業を守ることを重視しています。しかしそれの危険性は、「国内の困っている企業を救う」ことだけを善意として、国に都合の良い「理想論」だけを唱えている部分があることです。
 国外にも産業を行い、日本に進出出来なければ困る人間はいるかもしれません。
 これは『下町ロケット ヤタガラス』では、悪役の企業の幹部が「海外向けの大型トラクターを優先して市場に進出すべきだ」と言って、主人公の国内の、直接映る農家を助けることが利他的であるかのように映っていたのが、さらに強調されています。
 国外にも困っている農家が、主人公に救える農家がいるかもしれませんし、そもそも商売とは一方的な人助けではなく利益の交換なのですから、国内の農家から金銭を得ている部分もあります。
 国内の産業に都合の良い「理想論」は、ナショナリズムと資本主義に「情熱」などの概念で正当化する部分があります。
 『JIN』では、幕末において、坂本龍馬が攘夷などの国内の争いを「兄弟喧嘩ばかり」、「本当の敵は外にいる」と話しています。龍馬が負傷した外国人を助けたこともあり、仁は外国人でも助けますが、国内を一つにするのを理想だとみなすことがあります。
 『TOKYO MER』では、外国人労働者を酷使する企業や、その労働者にテロの疑いをかける警察官がおり、警察官は「私が守るのは日本国民だけだ」と言っています。
 『日本沈没』では、日本だけが地球温暖化とその首相の対策により沈没の危険に陥っています。
 それで日本国民の心配をするのは当然ですが、「これにより海外を巻き込む可能性はないのか」といった視点は少ないと言えます。「沈むとしても、海はきれいにしておかないとな」とは言っていますが。
 また、「オーストラリアは広いのに日本人を受け入れいてくれない」と言っていますが、「日本がこれまで移民や難民に厳しかった」という反省は見当たらず、「同じ日本人として、今まで移民や難民を受け入れなかったことが申し訳ない」という発言も特になく、ナショナリズムを身内への甘さにしているところがあります。
 『MER』の警察官が、仮に『日本沈没』の世界にいれば、「お前のようなことを言う外国人のせいで日本国民が助けてもらえない」、「お前がしたことが跳ね返っている」と言われるかもしれませんが。

パターナリズム

 『官僚たちの夏』では、公害に無関心だった官僚の主人公が「悪臭ぐらい別に良いだろう」と言ったのをのちに反省しています。これは、自分で「それは損害のうちに入らない」と判断した状況を国民に強制して、善意だと主観で動くパターナリズムです。
 『JIN-仁-』では、命を捨てる覚悟の強い人間も多い幕末の人間を、半ば強制的に医療として助け、坂本龍馬などもそれに協力することがあります。
 『獣医ドリトル』では、イルカの飼い主がなかなか治療のための協力関係を築けませんでしたが、それはイルカの方が、むしろ飼い主の親のつもりで「危険から遠ざける」行動でかえって治療を妨害しており、言葉が通じない故のパターナリズム同士の行き違いになっていました。『ウルトラマンX』のゴモラと大地にも似たところがあります。
 また、子供が無断でイノシシを助けようとしたのが、無知により失敗しています。

 「子供や飼い主の無知な理想論はどうせ動物のためにも本人のためにもならない」という、専門知識に基づく高圧的な善意がみられます。主人公は「虫唾が走る」と言ったこともあります。
 『南極大陸』では、南極の過酷な環境に犬を置き去りにせざるを得ない状況で、主人公が「連れて帰れないなら私が薬で死なせます」と言い、ある意味で強引な善意を押し通そうとしています。
 『ルーズヴェルト・ゲーム』では、企業のある社員が、高校時代に野球で不祥事を起こしたものの、事情もあったとして野球部として見放したくなかった企業の上司は、「お前には野球の才能がある。野球の神様はお前を見放していない」とある意味で感情的な推測や意見を言ったものの、様々な苦境にあるその社員には、その台詞がかえって不愉快にさせたのか、「なら何で今こんなことになっているんですか」と返しています。ある意味で、「まだ野球でお前は成功出来る」、「してほしい」という推測や意見の含まれた善意を、本人の望まない形で押し付けるパターナリズムがあります。
 『流星ワゴン』では、危険な金融業で資産を稼いでいた父親に主人公は、それで養われたことも含めて嫌悪感を抱いていました。父親が放任に思える子育てをしているとみられたときに、玩具を「どうせ直ぐ飽きるだろう」と買ってあげなかったのを、主人公はわだかまりに思っていたようです。「そんなわがままはお前のためにならない。どうせ後悔する」というのは、『銀魂』で修行したいと言った新八と神楽に対する銀時のパターナリズムに通じます。
 『A LIFE』では、副院長と弁護士が患者の一部を切り捨てる強者として主人公と対立する傾向がありますが、副院長も弁護士も実の父親に冷たく扱われた苦しみ、弱者だった頃の苦しみを引きずっているところがあります。
 副院長は実の父親に、小学生のときから「医者は100点を取れなければ0点と同じなんだ。こんな成績に価値はない」と言われました。それより成績の低くても褒められた幼馴染の主人公が、自分の助けられない少数の患者を助けても褒められているのに苛立つ様子があります。
 「俺はどんなに大勢の患者を助けても、100点を取れなければ、少しの患者を見落とせば0点扱いされる。あいつはその少しの患者を助けるだけで褒められる」とみなしていたようです。
 また、義理の父親である院長も弱い立場の患者を助けたい、人の弱みにつけこむ副院長を許せないといった善意があり、それで「こんな成功は価値がない」と、副院長を苦しめています。
 しかし、副院長の実の父親も義理の父親も、「医者は僅かな失敗で、少人数でも人を致命的に苦しめるのだから許されない」という善意、しかし周りにしてみれば強引に映る責任感を押し通すパターナリズムがみられます。
 『小さな巨人』では、ある学園の政府絡みの不正を、警察の幹部が隠そうとしましたが、告発しようとする若い警官に「その不正で優秀な人間が育ち国に貢献しているなら良いだろう。お前の言うのは自己満足だ」と、強引な善悪観を押し通しています。やはりパターナリズムです。
 『陸王』では、主人公の会社を買収しようとする別の企業の人間が、比較的穏やかな姿勢で接して、主人公の経営の自由もある程度保証しようとしました。しかし、自分の釣りの趣味に誘うなど、私生活と仕事を混乱させることで「親しみ」を生み出すような、「家族経営」に近い部分があります。趣味と家族もまた異なりますが、それらの私生活を仕事に混ぜるのは、パターナリズムがみられます。
 『99.9』では、ある裁判官が被告人を裁いたあと、そのあとの「人生」の指導のような台詞を穏やかに言うのを、主人公の弁護士が「罪を犯したからといって、人生の指図までするのはどうか」と話しています。これはパターナリズムへの抵抗でしょう。なお、その裁判官は権力を求めるところもありましたが、自分の競争相手を蹴落とすために主人公に協力した様子もあります。自分の強引な判断で相手を助けているパターナルなところがあります。
 『ブラックペアン』では、主人公の父親に手術の過誤の濡れ衣を着せたと思われた医師の佐伯が、患者の存在すら隠していました。しかしその実状は、父親と共に、特殊な症状の患者を守るためにミスに思える「ペアンを体内に残す」という処置をして、周りが誰も理解出来ない、知れば主人公ですら外そうとして悪化させてしまうとして隠していたという善意と隠匿でした。
 これは『ドラゴンボール』のように、周りが主人公の善意を理解出来ない、ろくに協力も出来ないのを強引に従わせる、事情の説明すらしない「善意を隠して従わせるパターナリズム」がみられます。周りを助けるために、周りから「状況を知る自由」を奪う善意なのです。
 『下町ロケット』では、元々自分の「夢」としてのロケット工業を実家の企業でも行おうとする主人公が、娘や部下を苛立たせることがあります。
 部下は「社長の夢のせいで私の夢が制約される」、「夢なんて持っていない人の方が多い」といった異なる批判をして、主人公も迷っています。それでも、辞職する部下に、そのあとまで制限するような「今後辛いことがあっても逃げるな。人のせいにするな。そして夢を持て」という、自分の仕事への熱意という善意を強制するパターナリズムがあります。
 さらに、娘が主人公を肯定するようになったのは良いことだとしても、それで「私もロケット作りたい」というのは、子供が親と同じ職業に就く、部下と子供を混同させる「家族経営」、パターナリズムの一種を思わせます。
 『集団左遷』でも、銀行員の主人公が支店ごと左遷されそうになり、部下に「頑張れ」と言い過ぎて不満を言われ、子供にも似たようなことを言われ、「会社でも頑張れって言わない方が良いよ」と言われる気弱なところがあります。
 また、本作の「悪役」の横山は日曜劇場では珍しく、極端に悪く描かれず、左遷される支店の長の主人公を「自分達のためだけに頑張るあなた」と言いつつ、自分も銀行のために不正をしていました。
 そのときの弁解から、「我々の銀行は不正なしに競争で生き残れない」という趣旨があり、横山は本当は自分の銀行のために、そしてそれだけのために部下の主人公すら望まない不正をする「自分の銀行のためだけに頑張る重役」だったのです。それもパターナリズムでしょう。
 『グランメゾン東京』では、高級料理店の料理人として、どちらかと言えば部下に厳しい態度の主人公が、ある食中毒の事故で官僚を殴り処分され、「俺の料理を侮辱したから」と説明して周りを怒らせましたが、その動機には実のところ弱い立場の部下を守るものがあり、それを知った人間に「最低だけど、不器用なだけ」と評価されました。
 これも『ブラックペアン』や『ドラゴンボール』のような、「善意を隠す善意」というパターナリズムでしょう。
 『危険なビーナス』終盤にも、ある「危険」そうな人間がそうしていた結末があります。こちらは謝罪はしていますが。
 『半沢直樹』では、上司に逆らい部下や中小企業を守りたい主人公の半沢が、その部下や取引先にすら「結局はあなたもずるい銀行員だろう」というように不信感を抱かれるところがあり、その助け方が強引になるところがあります。
 特に、第2期の生意気にも取れる部下の森山には、「随分な言い草だな。言いたいことはそれだけか」のような姿勢になり、指導が高圧的になっています。森山に問題がないとも言えませんが。
 『テセウスの船』では、警察官の父親の文吾が殺人犯だと疑い、その過去に飛んだ息子の心が、犯行を防ぐために自分の盗んだ毒をさらに文吾が盗んだために「やっぱりあの男だ」と泣いたものの、それは文吾が心への疑いを防ぐためでした。
 これも、無言での善意、相手に状況を知らせず、知る自由を奪う「善意を隠す善意」というパターナリズムが行き違いになっています。ある意味で、息子すらパターナルでした。
 このあとも、心の正体を知って、自分が濡れ衣を着せられると知った文吾は、「説明すれば家族は俺にも逃げろと言う。俺は警察官として住民を守らなければならない」と家族を、説明せずに逃がそうとして糾弾されています。これもパターナルです。
 『ドラゴン桜』では、大学受験に当たり、「女は勉強なんて無駄だ。娘のためだ」とあからさまなパターナリズムで受験に反対する父親がいました。しかしそれを止めようとする教師の主人公も、「父親は家族を支える柱にならなければならないのにあんたは何だ」というような、彼なりの偏った、しかし熱意のある善悪観で父親を説き伏せています。それはそれでパターナリズムです。
 『サイコな2人』では、女性の刑事の望月が上司からの「セクハラ」に立ち向かうようで、部下の男性刑事に長時間労働や独断による協力を強いる「パワハラ」、「モラハラ」の様子があります。つまるところ、長く働くことなどの自分なりの美徳を部下に常識として押し付けるパターナリズムがあります。
 さらに、このとき追いかけていた真犯人の弟は、真犯人を善意でかばったものの、それは「真犯人の殺人の意図を世の中に伝えたい声を奪っている」と指摘されています。また、その犯罪に巻き込んだ望月の行動を隠すのを「余計なお世話」だと言われています。
 『TOKYO MER』は、東京の怪我人などを救急で治療する職務の主人公が、一見穏やかですが、「患者が危険ならば医師も危険に耐えなければならない」、「通行人も輸血ぐらいしなければならない」という善意を押し通しているところがあります。
 主人公も自らを「自分勝手」だと認めている様子はありますが。
 『日本沈没-希望のひと-』では、主人公の官僚や総理の政敵である副総理が「環境より経済」、「危機を利用して東京の経済を活性化させるべきだ」という趣旨の主張をすることが多いものの、完全に悪いという扱いにはならず、徐々に和解しました。
 しかしそれは、副総理なりの善意が、総理にすら「君は私に意見するのかね」と言うなどの強引さを含んでいます。
 『DCU』では、水中を捜査する警察官の主人公が、部下の父親の死んだ事件について隠し事をしていたことから、部下に糾弾されましたが、それはその父親の犯罪の疑いなどを調べるため、部下を傷付けないためという「善意を隠す善意」がありました。
 部下も単独で調査して、「隠しているのはお互い様でしょう」と主人公に言ったものの、結局は部下の方が「疑ってすみませんでした」と謝り、「部下と上司が互いに隠し事をするならば、上司の方が優れているから、部下の方が間違っているのだろう」という推測や、おそらく上司の目線で「そうあってほしい」という意見がみられます。
 私が推測しますと、日曜劇場は経営者や上司の目線のパターナリズムが多いのでしょう。
 それらを否定するのは、『らーめん再遊記』のラーメン店主の芹沢の「店の人間もお客も同じ人間であり、ビジネスを通した対等な人間関係です」、「上司と部下も役割が違うだけで、労働と報酬を交換する対等な人間関係だ」という概念です。

「自己責任」

 『官僚たちの夏』で、公害から周辺住民を官僚の主人公が助けなかったのは、国内産業の保護はともかく、「その程度の損害は我々が助けるほどではない」というパターナリズムと「自己責任」の結合がみられます。
 『JIN』では、主人公の歴史の改変による被害に、主人公は何度も嘆くことがあり、責任を取ろうとしても、それが取れているのか、別の被害が発生しないか、と疑うところがあります。
 『GM-踊れドクター-』では、窓際部署と言えるところにいる医師が、患者の紹介で新しい職場に行けると考えて退職しようとして、その患者が記憶に障害を持って調子を合わせていたと判明して、慌てるところがありました。不用意な医師の「自己責任」だと扱われています。
 『獣医ドリトル』では、主人公の獣医が高額の治療費を要求するのは、動物を大切に扱いたいという思いがあり、飼い主の怠慢を責めている意味合いがみられます。
 そこには、「人間も動物も治す技術の要求水準は変わらない、いや、動物の方が難しいときがある」という主張だけでなく、「動物を苦しめた飼い主は責任を取れ」という主張もあるようです。
 しかし、果たして全ての病気や負傷を動物の飼い主の責任に還元出来るか、と言われると曖昧なところがあります。人間でも感染症などは、本人のせいとは言い切れませんし。
 『ルーズヴェルト・ゲーム』では、苦境の企業で怠けていると判断された労働者を解雇するときに、「何故真面目に働かなかった」と言うと、実績を挙げられない野球部はどうなのかも反論されて上司は答えられず、結局野球部を他の企業に移さざるを得なくなっています。

 また、野球部の社員がかつて不祥事を起こしたとはいえ苦難が続くことに、「お前を救えるのはお前だけだ」という台詞もあります。
 『流星ワゴン』でも、金融を扱う以上は、「借りる人間は嘘つきばかり」など、金銭的に苦境の人間の「自己責任」というような主張がみられます。
 『A LIFE』では、患者の「自己責任」とはあまり言わないものの、利益のあがりにくい小児科を守ろうとした医師が、「あなたにより下がった利益を補おうと他の病院と提携するために、対立した看護師を追い詰めざるを得ない」と病院の顧問弁護士に言われています。つまり、弱者を守るつもりの医師の判断で別の弱者を苦しめた「自己責任」の主張があるようです。
 『陸王』では、先述した、最初は穏やかに主人公の企業を買収しようとした企業の人間が、徐々に対立して「もういい!」、「今後の取引では失敗しても助けません」と「自己責任」に近い主張をしています。それは過保護のようなパターナリズムから、拒絶されると逆転して突き放すところがあります。
 また、『陸王』で苦境のスポーツ選手は、自分のように、主人公の企業も苦境であり、今自分が助けなければ自分も自分を見捨てた人間と同じになるという趣旨の台詞を話しています。
 しかしこれでは、「困っている人間こそ、同じ痛みが分かるのだから困っている人間を助けろ」という「美談」に見せかけた「苦境の人間同士の共助」、「痛みが分からないなら助けなくて良い」というような分断を起こします。
 たとえば保険などは、「失敗するかもしれなかったがしていない人間の払った保険料が、同じ危険やリスクを共有して失敗した人間を助ける」というものであり、「結果が全て」、「失敗した人間だけの責任」では済まされない部分があります。そのような経済の論理を『陸王』はごまかしています。
 ブリューゲルの絵に、「盲目の人間が盲目の人間を導けば共に失敗する」というような内容があるらしいのですが、それを思わせます。
 『ブラックペアン』では、一匹狼の傾向のある医師の主人公に不愉快な言動をする医師が失敗しては、主人公の手助けで患者を死なせずに済み、退職金を要求されます。そして主人公はそれを個人的には使わず、医療過誤の被害者に寄付していたようです。しかし寄付という「美談」のような形で、ミスをした医師は正式な手続きで責任を取れないだろう、自分が強引に金銭を奪う方がましだという断定があります。それは主人公が医療の世界に不信感を抱いているためでもありますが。
 『下町ロケット』や『半沢直樹』では、主人公などに不愉快な言動をした人間が、あとで致命的な不正を暴かれて処分されるのが「時代劇のよう」だと指摘されることがあるようですが、それは一見強そうな立場の人間に「自己責任」をぶつけることで、溜飲を下げている様子があります。

 特に大企業や上司が約束を破る場合が多く、それで「自己責任」にしているのでしょうが、現代日本の「自己責任」の正当化にするには強引だと言えます。
 『グランメゾン東京』では、主人公の手助けで三つ星の成果を出した人間が、「私が今まで成功しなかったのは、才能のせいではなく、努力が足りなかったからでした」と言っていますが、おそらく現代日本のほとんどの人間は、「今自分が成功していないのは自分の努力が足りないからなのか」と悩まされるでしょう。これも「自己責任」です。
 『半沢直樹』第2期では、「生意気な部下」のように取れる森山が懸命に仕事をして、事故で負傷して、半沢が「俺と同じ剣道をしているのに不注意だ」という趣旨の批判を真っ先にしています。このような部下への指導も「自己責任」に繋がります。
 『テセウスの船』では、主人公が歴史を変えようとする度に失敗が重なり、事態が暗転するところがあります。『JIN』のような特殊技能や知識がないために、さらに無力感が際立ちます。
 『ドラゴン桜』では、教師が生徒に「お前の人生だ」というような台詞を話すことがあります。また、あまりに素行の悪い生徒が制裁される様子もあります。
 『サイコな2人』では、主人公の望月の単独の捜査や、手柄にこだわる言動が上司だけでなく容疑者にすら「我が身可愛さで動いている」と言われています。
 事件で重要になる人物が、「こんなに俺が苦しいのは馬鹿だからか?怠け者だからか?自己責任か?」と、ある人物に問いかけていますが、それへの明確な返答は劇中でされないままでした。
 また、望月の単独行動と事情を全て言わないことで冤罪が生まれそうになっているのを、望月は上司に食ってかかりましたが、「誰かさんが腹をくくれば良いんじゃないですか」と言われ、「そうなんだよね」と言っています。これはある程度、『ブラックペアン』や『危険なビーナス』や『テセウスの船』、そして外部の『ドラゴンボール』のような、「事情を言わない主人公の責任」を追及している均衡はありますが、つまるところ弱い立場の「自己責任」が残っています。逆に違法な捜査をした上司は糾弾されている様子がありません。
 『TOKYO MER』では、経済的に困窮する人間がテロに参加し、あとで切り捨てられる様子があります。「自己責任」の姿勢があるようです。
 ただし、その被害者である主人公の何気ない「私が患者に絶対助けると言うのは自分勝手です」という台詞に、その犯罪者は自分の「勝手」なところを認めたのか、自白しました。
 『日本沈没』では、「自己責任」とは少し異なるかもしれませんが、終盤で主人公が被災者を助ける優先順位に悩んだものの、副総理に「何かを優先するならば、他の何かを切り捨てるということだよ」と言われています。「自分で決めた優先順位で人が切り捨てられることへの苦しみは、後悔しても自分の責任だ」という主張でしょう。
 『DCU』では、テロリストに協力した人間が、出所したあと制裁で殺されることに恐怖して終わりました。

 日曜劇場の「自己責任」は、かなり複雑ですが、「誰かを不愉快にさせたならばそれ相応の損害を受け入れろ」という趣旨の主張がこじれているようです。

まとめ

 ナショナリズムとパターナリズムと「自己責任」の日曜劇場における繋がりはいまひとつ総合した理論で説明が難しいのですが、無視は出来ません。

参考にした物語

テレビドラマ

平野俊一ほか(監督),貴島誠一郎ほか(プロデュース),橋本裕志ほか(演出),2009,『官僚たちの夏』,TBS系列
夏緑/ちくまきよし(原作),瀬戸口克陽ほか(プロデュース),石井康晴ほか(脚本),2010,『獣医ドリトル』,TBS系列
北村泰一(原案),石丸彰彦ほか(プロデュース),福澤克雄ほか(演出),いずみ吉紘ほか(脚本),2011,『南極大陸』,TBS系列
瀬戸口克陽ほか(プロデュース),平川雄一朗ほか(演出),橋部敦子ほか(脚本),2017,『A LIFE』,TBS系列
伊與田英徳ほか(プロデュース),田中健太ほか(演出),丑尾健太郎ほか(脚本),2017,『小さな巨人』,TBS系列
飯田和孝(プロデュース),いずみ吉紘(脚本),江波戸哲夫(原作),2019,『集団左遷‼︎』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸ほか(脚本),池井戸潤(原作),2015,『下町ロケット』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎(脚本),池井戸潤(原作),2018,『下町ロケット』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎(脚本),池井戸潤(原作),2019,『下町ロケット ヤタガラス 特別編』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸(脚本),2013,『半沢直樹』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),福澤克雄ほか(演出),丑尾健太郎ほか(脚本),2020,『半沢直樹』,TBS系列
中島啓介(プロデュース),平川雄一朗ほか(演出),森下佳子(脚本),2021,『天国と地獄~サイコな2人~』,TBS系列
武藤淳ほか(プロデュース),松本彩ほか(演出),黒岩勉(脚本),2021,『TOKYO MER』,TBS系列
小松左京(原作),橋本裕志(脚本),東仲恵吾(プロデュース),平野俊一ほか(演出),2021,『日本沈没-希望のひと-』,TBS系列
東元俊哉(原作),渡辺良介ほか(プロデューサー),高橋麻紀(脚本),2020,『テセウスの船』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),福澤克雄ほか(演出),八津弘幸ほか(脚本),2014,『ルーズヴェルト・ゲーム』,TBS系列
伊與田英徳ほか(プロデューサー),田中健太ほか(演出),青柳祐美子(脚本),2022,『DCU』,TBS系列
東仲恵吾ほか(プロデュース),木村ひさしほか(演出),三浦駿斗ほか(脚本),2021,『99.9』,TBS系列
伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎(脚本),福澤克雄ほか(演出),2018,『ブラックペアン』,TBS系列
橋本芙美ほか(プロデューサー),黒岩勉(脚本),佐藤祐市(演出),2020,『危険なビーナス』,TBS系列
村上もとか(原作),石丸彰彦ほか(プロデュース),森下佳子(脚本),2009,『JIN-仁-』,TBS系列(放映局)
村上もとか(原作),石丸彰彦ほか(プロデュース),森下佳子(脚本),2011, 『JIN-仁- 完結編』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデュース),塚原あゆ子ほか(演出),黒岩勉ほか(脚本),2019,『グランメゾン東京』,TBS系列
伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸(脚本),池井戸潤(原作),2017,『陸王』,TBS系列(放映局)
海堂尊(原作),伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎(脚本),2018,『ブラックペアン』,TBS系列(放映局)
鈴木早苗ほか(プロデューサー),武藤淳ほか(演出),林宏司ほか(脚本),2010,『GM-踊れドクター-』,TBS系列
伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸ほか(脚本),福澤克雄ほか(監督),2015,『流星ワゴン』,TBS系列

特撮テレビドラマ

田口清隆ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2015 (放映期間),『ウルトラマンエックス』,テレビ東京系列(放映局)

漫画

空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
久部緑郎(原作),河合単(作画),2020-(未完),『らーめん再遊記』,小学館

参考文献

大澤真幸,島田雅彦,中島岳志,ヤマザキマリ,2020,『NHK100分de名著 ナショナリズム』,NHK出版
萱野捻人,2011,『ナショナリズムは悪なのかー新・現代思想講義』,NHK出版
春香クリスティーン,2015,『ナショナリズムをとことん考えてみたら』,PHP新書
鈴木貞美,2009,『自由の壁』,集英社新書
萱野稔人,2011,『ナショナリズムは悪なのか 新・現代思想講義』,NHK出版新書
大澤真幸(編),2009,『ナショナリズム論・入門』,有斐閣アルマ
那須耕介(編著),橋本努(編著),2020,『ナッジ!? 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』,勁草書房
沢登俊雄,1997,『現代社会とパターナリズム』,ゆみる出版

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