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「真の弱者」、「真の強者」で分けるのではなく、「ある意味強いところ」と「ある意味弱いところ」を探すべきではないか


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注意

 これらの物語の重要な展開を明かします。

漫画

『キミのお金はどこに消えるのか』
『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』
『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』
『鋼の錬金術師』
『PLUTO』
『ヒヤマケンタロウの妊娠』
『マンガ 日本の歴史がわかる本』(小和田哲男)
『NARUTO』
『ドラゴンボール』
『銀魂』
『るろうに剣心』
『ゆらぎ荘の幽奈さん』

テレビアニメ

『鋼の錬金術師』(2003)

アニメ映画

『THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』

特撮テレビドラマ

『帰ってきたウルトラマン』
『ウルトラマンガイア』
『ウルトラマンタイガ』

テレビドラマ

『A LIFE』
『相棒』

小説

『無用庵隠居修行』
『2001年宇宙の旅』
『二重螺旋の悪魔』

はじめに

 様々な物語に、「弱きを助け強きをくじく」という方針があるものの、それを「胡散臭い」、「弱者だって悪いときがある」、「強者だって苦しんでいる」という趣旨の反論でこじらせるのもみられます。
 そこで私は、以前から考えていましたが、「弱い者(あるいは人)」、「強い者や人」で区切ろうとする手短な表現が不正確になりやすく、「ところ」で区切るべきだという論理を重視します。「真の弱者」、「真の強者」という区切りで、前者を助けて後者を責めるのが、いつの間にか悪く扱われるのは、「ところ」の問題だと考えたのです。

2023年1月30日閲覧

 ここから挙げる物語や書籍では、悪意がなくても「弱者」といった表現が不正確なために、かえって別の視点から見れば誰かを傷付けてしまう可能性を考えました。

 では、具体的に幾つかの物語を挙げます。

医者や弁護士の「弱いところ」


 日曜劇場『A LIFE』では、患者に冷たく、病院の権力や利益を重視しているような副院長のマサオと顧問弁護士と、弱い患者を守りたいつもりの外科医のカズやマサオの妻の小児科医の美冬やその父の院長との対立が描かれます。
 しかし、マサオも弁護士もそれぞれ幼い頃に父親に冷たくされた苦しみを引きずり、弁護士は父親への復讐のために病院を振り回し、自分が被害者や弱者であるように「こう見えて苦労しているんです」と主張します。マサオは「医者は100点を取れなければ0点と同じだ。こんな成績に価値はない」と父親に言われ、義理の父親である院長にも似たようなことを言われています。
 おそらくマサオも弁護士も、「弱者の味方のような院長や美冬だって、弱者の自分を傷付けているじゃないか」と言いたいのが、自分は被害者だが弱者と認めたくないプライドなどもあり、「お前に俺の気持ち分かるか?分かんねえよな」といった表現になりがちなのでしょう。
 『リベラルとは何か』では、「社会的弱者には、自分を弱者と認めるだけで、そう扱われるだけで傷付く人間もいる」とあります。
 美冬は自分が患者になり、自分の子供に苛立ち怒鳴り散らしてしまいました。小児科医で、子供を守りたい主張があったにも関わらず、です。また小児科を拡大して病院の利益を落としたことで、他の病院と提携せざるを得なくなり看護師に負担がかかったと弁護士に言われています。カズも誤解から、その看護師を追い詰めて、あとで「僕も学歴差別を受けたことはあった」と言って和解しています。
 カズは、弱者の味方のつもりの自分が別の弱者を傷付けていることなどを自覚したのか、マサオもある意味で弱者として苦しんでいたのかもしれないと考え、「お前の気持ちを考えたけど分からなかった。でもお前もそうだろう?人の気持ちなんて分からないけれど、理解しようとするのが大事なんじゃないのか」と言っています。
 しかし、「気持ちを分かれ」というのは、「悪い奴は良い奴の気持ちを分かれ」という意味だと私は考えており、大人になるほど「良いか悪いか」という表現がこじれてしまうと推測しています。特に、「弱者を傷付けるのは悪い」と言おうとして、自分より弱そうな者に傷付けられたり、弱そうな者の汚い精神面を見たりして、純粋に主張出来なくなることもあるのでしょう。
 美冬が母親であり小児科医であり患者になると、子供の台詞にも傷付き、怒鳴り散らすとその子供が祖父であり院長に助けを求めるように、「弱者が善人」とみなせなくなり、論理に勢いがなくなっていくのでしょう。
 「気持ちが分からないのはお互い様だ」という論理も、犯罪の被害者と加害者にはさすがに成り立たず、カズの結論も不完全です。「弱者と強者」の図式が崩れて、それだけ迷っているのでしょう。

人間と嫌気性生物のどちらが強いか


 そのままでは、論理が衰えるばかりで、「玉虫色」になってしまうかもしれません。そこで私は、論理を明快に、なるべく多くの事例に当てはまるように、「真の弱者」と「真の強者」ではなく、「ある意味強いところ」と「ある意味弱いところ」に区切るべきだとみなしました。
 たとえば、人間より低い酸素濃度に耐えられる生物はいますが、それはむしろ酸素に弱く、シアノバクテリアの光合成以前はそういった原核生物が当たり前だったそうです。酸素に関して、そのような嫌気性生物は、人間より強いとも弱いとも言えます。しかしそれは、適した酸素濃度が違うというだけで、どちらかが圧倒的、絶対的な「強者」というわけではありません。人間には「濃い酸素に耐えられるある意味強いところ」と「酸素のないのに耐えられないある意味弱いところ」があるに過ぎません。
 また、酸素濃度の濃さによって細胞の多さや大型化にも繋がったらしく、大きさという「ある意味強いところ」が加わったものの、逆に「狭いところで暮らせないある意味弱いところ」が伴っているとも言えます。
 そのように「ある意味強いところ」と「ある意味弱いところ」が、私は全ての生命や機械や物体にあると考えており、それを「強い人間や生命や存在」と「弱い人間や生命」に区切り、後者に何らかの利益だけ与えろ、前者には無制限に厳しくしろ、という主張がこじれると推測しました。
 仏教での「色即是空」は、万物は「色」と呼ばれる物質の集まりだとされます。また、ミリンダ王の故事から、「車はどれかの部品が重要なのではなく、全てそろって車なのだ」というたとえもあります。仏教は西洋のデカルトなどの要素還元や分割に対して、全体を包括的に考えるそうです。
 そこで私は、「ある意味強いところ」と「ある意味弱いところ」の組み合わせが、様々な性質を生み出すと推測しており、「色」の組み合わせが「空」のように何もないところから集まるような未知の性質をもたらすと考えています。
 

戦闘能力以外は弱い主人公


 考えてみますと、私のよく読む少年漫画の主人公は、戦闘能力以外については「弱者」であることがあります。
 『NARUTO』のナルトは親のいない上に周りに嫌われる被差別者であり、一族の後ろ盾もありませんでした。徐々に体内のエネルギー体「九尾」の能力を活かし、四代目火影の息子という立場も明かされましたが。
 『銀魂』や『るろうに剣心』では幕末の志士の主人公の銀時や剣心が、権力に反発するものの、戦闘能力は一部の人間に恐れられながら、貧しさなどに苦しんでいます。
 『ドラゴンボール』では地球の国民である孫悟空が、強いにもかかわらずそれを仕事に活かさず貧しくなっています。国王や軍すらはるかに超える強さがあるものの、貨幣や法律的な強さはありません。
 『ゆらぎ荘の幽奈さん』のコガラシは、特殊能力で周りに忌避される霊能力者ですが、戦闘能力や幽霊由来の能力以外には、権力や金銭が欠けています。
 こういった主人公を、「強いからくじかれるべき」、「弱いから助けられるべき」とも言い切れない複雑さがあります。
 そこで、ある分野については「強いところ」、「弱いところ」があると、主人公達を分類すべきだと考えます。

2023年1月30日閲覧

 私が人間社会を区切る4要素、法律、貨幣、遺伝子、文化で考えます。
 法律、貨幣、遺伝子、文化で言えば、ナルトは生物学的な強さ以外欠けており、銀時や剣心は剣の腕という、本来は法律の暴力に関わる強さが不完全になった以外には恵まれていません。コガラシは生まれつきの体質が強さにも弱さにもなっています。悟空は強い宇宙人であるものの、勉強がほとんど出来ないので法律、貨幣、文化としては弱いと言えます。
 それぞれの、「ある意味」、つまり何らかの分野での強さと弱さを分析して、それぞれに厳しさと優しさを分野に応じて与えるのが妥当だと考えます。
 たとえ戦闘能力が高くても、これらの貧しいことの多い主人公達は、生活保護などの社会保障はされるべきであるが、戦闘能力を縛られなければならないときはあると考えます。
 コガラシが「どこに行っても厄介者扱いだった。実際厄介だったんだが」と認めたようにです。


「自分の弱いところを認めてくれ」と言うべきではないか


 『A LIFE』のマサオも、大きな病院の副院長として貨幣や法律の強さはあっても、家庭で現在は父親でも、かつての家庭の息子として、今も院長の娘の夫であり部下として苦しんでいる「ところ」があります。顧問弁護士も、貨幣や法律の強さと、家庭での娘や若い女性としての弱い立場が混在しています。
 それぞれの「ある意味弱いところ」を、「他の強さが突出しているから気遣わなくて良い」という論理で見落としていることが、マサオや弁護士を苦しめ、「俺の気持ちが分かるか?」は「強者に見える自分も、弱いところがあるのを認めてくれ」という意味だったのでしょう。
 それが言いにくいのは、「ある意味弱いところ」などの概念を勢いよく正確に伝える表現があまりないためだと考えます。
 「格好良い」表現の多くは、0か1かで考えるなどの不正確さがあるため、私がこの場で言うような長い言葉を省いて、不正確さが相手に別の意味で取られる危険性があります。

ウルトラマンや怪獣の「ある意味弱いところ」

 次に、「ウルトラマンや怪獣は強者か?」というたとえを持ち出します。
 ウルトラシリーズのウルトラマンや怪獣は一見人間より強そうですが、防衛組織の新人隊員として弱い立場であることの多いウルトラマンや、人間でないために外国人のように差別されるウルトラマン、環境破壊に苦しむ怪獣などの描写があり、誰が悪者か悩ませることがあります。
 また、最終的にウルトラマンが怪獣を倒したとしても、ウルトラマンが劇中最強の存在で、「最強の存在が善だとみなされる」わけでもないと言えます。ウルトラマンは時間制限や数の少なさから、人間に劣ることもありますし、持久力では怪獣の方が上かもしれません。
 ウルトラマンは短時間なら格闘や光線が使える「ある意味強いところ」と、人間社会では弱い立場であり差別される危険もある「ある意味弱いところ」があります。怪獣も巨大さや特殊能力という「ある意味強いところ」、知性が低かったり数が少なかったり環境の変化に弱かったりする「ある意味弱いところ」があります。
 それぞれの強いところと弱いところが違うために、誰を助けるべきか分からない悩みがウルトラマンにあるのでしょう。
 ウルトラマンや宇宙人に差別的や言動をする人間も、弱い人間達の味方をしているつもりなのかもしれません。
 『帰ってきたウルトラマン』でメイツ星人を殺した地域住民も、「そいつは何をするか分からない」と言っており、実際にメイツ星人は侵略こそしていないものの、犬を爆破する超能力を見せています。しかし人間による大気汚染に苦しんでいます。それぞれに「ある意味強いところ」、「ある意味弱いところ」があるのです。
 超能力を持つ宇宙人は、人間よりある意味強いところである「出来るところ」があるからこそ信頼を得ることが「出来ない」と言えます。私は、「出来るから出来ないことがある。出来ないから出来ることがある」と考えています。

2023年1月30日閲覧

 『ウルトラマンタイガ』で、かつて小さな怪獣だったキングゲスラを宇宙人から守ろうとした主人公の人間のヒロユキが、ウルトラマンタイガと一体化して、巨大化したキングゲスラを助けようとしたものの、同じウルトラマンのトレギアに殺され、「私が殺さなければ被害が出ていたぞ」と言われています。
 これも、人間と怪獣のどちらが強者か弱者かはっきりしない、正確には「ある意味強いところ」と「ある意味弱いところ」があるためでしょう。

ユダヤ人の「強弱」

 池上彰さんは、著書において、「言論の自由は弱者の権利を権力から保護するためにあるが、弱者だとみなしていた人間に同情が集まって権力者になることもある」と書いています。

 弱者と強者を「とき」で入れ替わるようにする論法はあり、『A LIFE』もそうだったのでしょうが、それだけでは「ある意味強いところ」と「ある意味弱いところ」の複雑さを捉え切れないと私は考えています。
 同時に「強いところ」と「弱いところ」が常に誰にでもあり、その「強弱」の定義も曖昧で、環境という事実、解釈という意見、そして時間で入れ替わるというのが、より正確だと推測します。
 ユダヤ人は宗教的、政治的に迫害されていても、金融業や宝石業で成功した人間もおり、貨幣の面では強いところがある場合もあります。また、ユダヤ家庭の中にも、女性や子供という「弱いところ」がおそらくあります。
 山を拡大すれば谷が、谷を拡大すれば山があるように、倫理的な強弱はフラクタル構造だとみなしています。

白人男性にも「弱者」はいるという主張

 近年は「弱者男性」という話題がありますが、これも男性だからと「強い人」で区切るのでもなく、「男だから弱い人」と逆転させるのでもなく、「男であることがある意味強いところにもある意味弱いところにもなり得る」と解釈しています。

 近年のアメリカでは、貧しい白人男性の労働者や保守的なキリスト教徒が、保守派で問題のある言動の多い大統領を選んだとされますが、その大統領も「弱者の味方」のつもりかもしれません。
 白人男性やキリスト教徒だからといって、遺伝的な肌の色や性別という生物学的な強さがあっても、宗教の文化的な強さがあっても、教育による貨幣などの弱さはあるのです。ある意味弱いところを、ある意味強いところで補えない場合もあります。
 『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』では、『ゴジラVSキングギドラ』について、「白人はロボットしか信用出来ないという扱いで、白人こそ差別されている」と主張しています。この書籍では「パワーポリティクス」を重視して、女性差別には反対しても、政治的にはアメリカに有利な主張が多いところがあります。
 その主張が極論になると、「強者こそ被害者であり、弱者こそ加害者で悪い」になるかもしれません。しかしそれは、白人男性やアメリカ人などの強そうな人間も、弱いところを弱そうな人間に突かれて苦しむためでしょう。

性差別と年齢差別

 『ヒヤマケンタロウの妊娠』では、男性も妊娠するようになるSFでの差別を扱いますが、終盤で、「産む男性が日本の政治家にはいない」という不満に、「あいつらジジイだからもう産めないだろ!」と言っている場面があります。
 女性に差別的な言動をしたある高齢男性に、「あの世代のおじさんだからと言うのは、女性蔑視に反対しているようで、年齢蔑視をしているでしょう」と、パックンさんは朝日新聞で主張しています。
 『ヒヤマケンタロウの妊娠』も、そのような面があります。
 しかし、それはこの漫画の人物が「弱者の味方を装って別の老人という弱者を傷付ける若い強者」というより、性別や年齢によって人間には無数の強いところと弱いところがあり、自分が相手のどれかを責めてしまう自覚を持ちにくいのでしょう。
 

身分差別と年齢差別

 『無用庵隠居修行』原作では、江戸時代で出世にこだわらずに隠居した武士の半兵衛が、身分差別や金銭に関わる暴力に反対する展開があります。
 しかし、「女の櫛」で、身分が上の人間の横暴で父親の死んだ若い藩士に、「お前だって国に帰ればさらに下の身分の人間に同じことをしているかもしれないだろう。気付かないだけで」と仇討ちを止めようとしています。それに「心当たりはあります」と言った藩士に、心の中とはいえ、「案外素直な青年のようだ」という地の文があります。
 また、当時若かった松平定信が良心的な政治を行おうとするのに対して、「ただの賢しらではなさそうだ」と、どこか侮った評価を陰でしています。
 私はこれを見て、半兵衛は身分差別に反対するようで、若者を見下す年齢差別を代わりにしているように思えました。自分の「ある意味強いところ」である、ほとんどの人間より上である年齢と、「ある意味弱いところ」である、貨幣や権力を「弱者の味方」になるかのように、都合の良い「反差別」と「差別」を使い分けている印象があります。
 これも、「彼は弱者の味方なのか強者の味方なのか」というより、「ある意味強いところ」と「ある意味弱いところ」から、こじれた部分をほどくべきだと考えます。
 その上難しいのは、年齢とは、先ほどの「ジジイだから産めない」のように高齢だから弱く見えるときもあれば、逆に若者を見下すこともあるように、どの数字をもって強弱を区切るかの定義すら曖昧になることです。

中絶は、2種類の「弱者」の利益の問題である

 また、キリスト教徒について、アメリカで問題になる「弱者」の問題として、デリケートではありますが、中絶の問題があります。
 左翼あるいはリベラルの思想では、中絶は母親の自由で、アメリカの保守あるいは右翼では、キリスト教の影響で、中絶を禁じる傾向があります。日本ではまた別でしょうが。
 しかしこの問題がこじれるのは、2種類の弱者の利益の対立を含むためです。
 おそらく、リベラルあるいは左翼は、「理性」や「自由」や「平等」を重視して、女性という「理性ある弱者の自由」を、胎児という「理性なき弱者の命」より優先するのでしょう。
 アメリカの保守や右翼の論理では、キリスト教の「神が人を作り、産めよ、増やせよ、地に満ちよと言ったのだから、胎児を殺してはならない」という思想で、女性の自由より胎児の命が優先されるのでしょう。

胎児の姿の強敵

 しかし、胎児が本当に絶対的に守るべき弱者なのか、という疑問を扱う物語もあります。
 これまでの記事で曖昧に扱いましたが、『二重螺旋の悪魔』では、胎児の姿の怪物が人類に「刈り取り」をしようとします。それはキリスト教やイスラームから見れば悪夢のようでしょう。本作独自の特殊能力について、イスラームの兵士が宗教的に表現したのが、部分的に、あまりに悲惨に言い当てています。その上、胎児の姿なのは、人類の方がそれに似せられているのではないかという推測もあり、「人類が他の人間を守りたいのも、数を増やすためのプログラムに過ぎない」と、「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」と関連付けられています。胎児の姿を人間が攻撃しにくいようにプログラムされているに過ぎない可能性すらあります。
 『PLUTO』では、アメリカを連想させるトラキア合衆国を恨む、「モスク」のあるペルシア王国の科学者が、胎児のようなロボットで「エデン」という公園の火山を爆破して地球ごと滅ぼそうとしました。それに気付く寸前のトラキアの大統領は、ペルシア国王の「汝らは怒りの炎に焼き尽くされるであろう」という台詞を「君らの側の黙示録かい」と表現して、どちらも聖書を読んでいることが示唆されています。キリスト教の国を、イスラームの国が胎児型ロボットで滅ぼそうとする悲惨な戦いになっています。
 また、『ウルトラマンガイア』では、女性の姿の巨人が最後の敵でした。『新世紀エヴァンゲリオン』劇場版『Air/まごころを、君に』を連想させますし、胎児という絶対的に見える弱者の姿の怪物と対をなす、「母なる姿の敵」だと言えます。「ガイア」が「母なる地球」と表現されていることへの皮肉とも考えられます。

「理性」は「弱者の美徳」か

 

 中絶に話を戻しますと、「胎児が絶対的な弱者なのか」という疑問のある物語もありますし、逆に「理性は絶対の美徳か」と言える物語もあります。
 『2001年宇宙の旅』原作では、ある宇宙人が「様々な生物を観察する中で、精神以外に大切なものを見つけられなかった」と表現され、精神ある生物を進化させる誘導のために、冷酷な「除草」を行ったとされます。
 「精神」を「理性」に置き換えれば、「心ある女性の自由のためなら、心のまだないかもしれない胎児の生命は軽視して良いのか?」とも言えますし、「元々精神のなさそうな生物は滅ぼして良いのか?」とも言えます。
 

 理性にしても、胎児の尊厳にしても、「ある意味弱いところ」と「ある意味強いところ」と言える「理性」や「胎児の命」が、複雑に絡み合っており、「絶対的な弱者」を探すのは不毛だと考えます。

母親と赤ん坊がひるませる強敵

 『鋼の錬金術師』2003年のアニメ版では、赤ん坊が強敵をひるませています。
 民族から差別される女性のロゼが望まぬ妊娠で産んだ子供を連れていたときに、知り合いであるエドワードが、強い人造人間(ホムンクルス)のラースと戦う中で、ラースは自分の強さを解説しました。
 2003年版のホムンクルスは、人間を錬金術で生き返らせようとした失敗作に「紅い石」というエネルギー体を食わせた存在です。
 ラースはホムンクルスのほとんどにある高い再生能力と、通常のホムンクルスに使われるべき拘束すら周りの物質を吸収して無効化する固有の能力と、2003年のホムンクルスにある弱点である「元の人間の遺体の一部」が、自分はその遺体で錬成されているため存在しないことを見せつけ、さらにエドワードの失った腕すら吸収して錬金術も使えるため、圧倒的な強さがありました。
 しかし、彼も絶対的な強者ではなく、赤ん坊の遺体から錬成されたために赤ん坊の泣き声が弱点であり、それにより、圧倒的な弱者に見えていたロゼの子供を恐れて動きを止めたのです。それはロゼやエドの奮起にも繋がりました。
 女性の妊娠というのは、少年アニメにおいてさすがに過激な展開にも思えましたが、おそらく『二重螺旋の悪魔』などに似た展開として、「胎児や赤ん坊が絶対的な弱者なのか」という疑問を扱ったと、私は推測しています。
 『鋼の錬金術師』原作や2003年版は、元々子供の無邪気な母親の蘇生という罪の罰で手足や体を失う苦しみから始まり、「弱者にも厳しい」ところはあります。
 だからこそ、「赤ん坊や女性」などの、一般的に弱者として扱われる人間の「ある意味強いところ」を描写した可能性があります。母親が自分の子供を利用して敵から他人を助けるという、ある種の厳しさもありますし。

労働価値説が「ところ」の「強弱」を見落とさせる可能性

 歴史上の経済学において、資本を産業資本と商人資本と金融資本に区切っていますが、商人資本は、ものの高く売れる場所を探すもので、商品に「ある意味強いところ」があることを示しています。
 これが、アダム・スミスやマルクスの「労働価値説」では、商品には人間の労働に応じた一定の価値しかないという主張になり、商人資本をずるく見てしまうのかもしれません。
 つまり、強いところと弱いところが、「ある意味」でしかないことを、産業資本や労働価値説では見落としがちになるのかもしれません。マルクスの『資本論』をきっかけに、共産主義が独裁に繋がったのも、「労働」に一定の強さしかないと単一の価値観で考えたことに間違いがあったのかもしれません。

サンゴの「ところ」

 生物学において、サンゴも澄んだ海水、実は栄養の少ない海水で、他の生物がほとんど暮らせない環境で出し抜いて、褐虫藻という特殊な生物の手助けで繁栄しており、温度変化に弱い弱者とも、他の生物の暮らしにくい場所に耐える強者とも言えます。これも「ある意味強いところ」と「ある意味弱いところ」があるに過ぎません。

法律で強い軍人と、貨幣で強い財閥

 また、誤解されがちかもしれませんが、法律と貨幣の強さは必ずしも一致しません。
 小和田哲男さんの歴史漫画では、関東大震災で貧しい農村出身の軍人の苦しみに「義憤」を抱いた青年将校が、国内の財閥との格差などに怒り、大陸へと軍事的に進出しようとして、財閥と結託したとみなされた犬養毅を暗殺したとされます。
 『保守と立憲』でも、日本の右翼の思想である「八紘一宇」は、経済的弱者のためだと考える議員がおり、福祉と両立させる主張も現代日本にあるとされます。
 つまり、法律を暴力で保証する国家権力や軍人は、必ずしも金銭的に恵まれた資産家と手を組む「強い者」同士ではなく、互いの「弱いところ」を責め合うところもあるのです。
 法律で強い権力を持つが貨幣で弱い「貧しい軍人などの公務員」と、法律で弱いが貨幣で強い「民間の財閥などの資産家」の対立もあることは、「ところ」を踏まえて整理しておくべきだと考えます。
 なお、八紘一宇のために、宗教、つまり文化的な強さである「天皇の権威」も重視されたのでしょう。

政治家にも女性などの「弱いところ」がある

 池上彰さんの『政界版「悪魔の辞典」』では、記者が政治家の家に取材するときにためらったことが紹介されています。それは、政治家が女性で、シャワーを浴びる音が聞こえたためです。
 政治家という「ある意味強いところ」と女性という「ある意味弱いところ」が複雑に組み合わさるため、「弱者の味方」であるはずのジャーナリストとして迷いが生じるのでしょう。
 『相棒』シーズン20でも、キャリア警察官で高学歴で、ある国家の権力と繋がりがあるらしい女性の社に、「権力に屈するな」と部下を叱咤していた男性の記者が取材しようとしていましたが、その手段が本人ではなく娘に、その上「(外国のスパイである)お父さんのこと、知りたくない?」と尋ねるというある種の卑怯なところがあります。
 これも、法律の権力で強い警察官の、女性として、母親として「ある意味弱いところ」である娘から責めるため、「強者をくじくのか、弱者をいたぶるのか」が曖昧になります。
 『相棒』で女性の議員の片山も似たような、政治家として力を重視しつつも身体的暴力は振るいにくい、学生時代は「親の圧力に耐える地味な優等生」のように苦しんでいたことが明かされるなど、「ある意味強いところ」と「ある意味弱いところ」が複雑です。
 片山の仲間で男性議員の音越も、与党総裁選に出馬するにしては若いことで侮られて苦しんだ経験はあるかもしれませんし、他の法的に「強いところ」を「若造」などと別の「弱いところ」で責めるのはどうか、とも考えます。
 そもそも、現代日本の政治権力は、行政、立法、司法の三権分立で、立法が最高とはいっても、それぞれ、行政より立法が弱いところもある相互の制御があり、「ある意味弱いところ」と「ある意味強いところ」があるとも言えます。


貧しい人間にも、数の強さはある

 『キミのお金はどこに消えるのか』シリーズでは、「低所得者の消費が景気を良くする。国が貧しい人を助ければ経済成長に役立つのに、今の日本ではそうなっていない」とあります。
 「弱者叩きに意味はないよ」という警告もありますが、私は少しひねった解釈をしています。
 それは、「低所得者は絶対的な弱者ではなく、デフレの現代日本においては、数の多さなどで、消費を増やせば需要を増やして景気を良くする、ある意味強いところがある」とみなしています。

まとめ

 私はここまで、「真の弱者と真の強者ではなく、ある意味強いところとある意味弱いところを探すべきだ」と主張しましたが、「弱そうな人間を叩け」という主張にしたいのではなく、「弱いところだけ助けろ、強いところだけ責めろ」とみなしています。
 強そうな人間や生命にも致命的な弱点はイメージより多く、弱そうな人間や生命も守っているうちに棘のような「強いところ」が膨れ上がってしまう可能性はあります。「弱点」という言葉はあっても「強点」がないように、我々の言葉はこの複雑さを表現するには不完全なのかもしれません。

参考にした物語

小説

海老沢泰久,2010,『無用庵隠居修行』,文春文庫
アーサー.C.クラーク/著,伊藤典夫/訳,1993,『2001年宇宙の旅』,ハヤカワ文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(上)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1998,『二重螺旋の悪魔(下)』,角川ホラー文庫
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 上』,朝日ソノラマ
梅原克文,1993,『二重螺旋の悪魔 下』,朝日ソノラマ

漫画

井上純一/著,飯田泰之/監修,2018,『キミのお金はどこに消えるのか』,KADOKAWA
井上純一/著,アル・シャード/企画協力,2019,『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』,KADOKAWA
井上純一(著),アル・シャード(監修),2021,『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』,KADOKAWA
浦沢直樹×手塚治虫(作),2004-2009(発行期間),『PLUTO』,小学館(出版社)
荒川弘(作),2002年-2010年(発行),『鋼の錬金術師』,スクウェア・エニックス(出版社)
坂井恵理,2012,『ヒヤマケンタロウの妊娠』,講談社
小和田哲男/責任監修,小杉あきら/画,1995,『マンガ 日本の歴史がわかる本』,三笠書房
岸本斉史,1999-2015,『NARUTO』,集英社(出版社)
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)
和月伸宏,1994-1999(出版社),『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』,集英社(出版)
ミウラタダヒロ,2016-2020(発行期間),『ゆらぎ荘の幽奈さん』,集英社(出版社)

テレビアニメ

水島精二(監督),會川昇ほか(脚本),2003-2004,『鋼の錬金術師』,MBS・TBS系列(放映局)

アニメ映画

庵野秀明(総監督・脚本), GAINAX(原作),1997,『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』,東映(配給)

特撮テレビドラマ

本多猪四郎ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1971,『帰ってきたウルトラマン』,TBS系列
根本実樹ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998年9月5日-1999年8月28日(放映期間),『ウルトラマンガイア』,TBS系列(放映局)
市野龍一ほか(監督),林壮太郎ほか(脚本),2019,『ウルトラマンタイガ』,テレビ東京系列(放映局)

テレビドラマ

橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)

瀬戸口克陽ほか(プロデュース),平川雄一朗ほか(演出),橋部敦子ほか(脚本),2017,『A LIFE』,TBS系列


参考文献

中島岳志,2018,『保守と立憲 世界によって私が変えられないために』,スタンド・ブックス
本川達雄,2015,『生物多様性』,中公新書
佐藤健志,1992,『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』,文藝春秋
池上彰,佐藤優,2015,b,『希望の資本論 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか』,朝日新聞出版
池上彰,2015,『いま、君たちに一番伝えたいこと』,日本経済新聞社
池上彰,2016,『池上彰の君たちと考えるこれからのこと』,日本経済新聞社
田中拓道,2020,『リベラルとは何か』,中公新書
高崎直道,1992,『唯識入門』,春秋社
中村圭志,2016,『教養としての仏教入門』,幻冬舎新書
デール・S/ライト/著,佐々木閑/監修,関根光宏/訳,杉田真/訳,2021,『エッセンシャル仏教』,みすず書房
池上彰,2019,『政界版悪魔の辞典』,KADOKAWA


朝日新聞,2021年7月7日夕刊p.4「みんなはどう?エイジハラスメント感じる?」,才本淳子ほか(取材)


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