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なぜ僕はここにいるんだろう(ロシア語翻訳記事)

ロシアでは現在、政治活動家のナワリヌイ氏の釈放を求めるデモが全国で行われており、残念ながら政権側はそれを力で抑え込む構えを見せています。目の前で警察によってアスファルトに叩きつけられる若者を目にした時の、むき出しの暴力に対する恐怖と悲しみは、言葉を尽くしたところで表現するのは難しいでしょう。それに日本に住むみなさんにとっては遠すぎる出来事であることも十分理解しています。この国に住む一人の人間として自分に何ができるだろうと考えた結果、新聞で見かけたある記事の翻訳を載せることにしました。もしかしたら何かが変わるかもしれませんし、何も変わらないかもしれません。でも変わることを信じています。

===以下記事の翻訳===

なぜ僕はここにいるんだろう 

モスクワのデモに向かう道すがら、君は自分にこう問いかけるかもしれない。そもそも行くべきだろうか?一人で?それとも誰かを誘って?いつどこに行けばいいんだろう?集合場所にはどうやって行けばいい?何を持っていこうか?身分証?カメラ?モバイルバッテリー?お母さんには言っておいた方がいいかな?でも理解してくれるだろうか?お母さんは心配するだろうか?怖い目にあうんじゃないか?もし怖い目にあうとしたら、どうなっちゃうんだろう?

この町は僕たちをどうするつもりだろう?いったいこの町はどうなってしまったんだろう?まさかもう町には季節外れのイルミネーションと警察しか残っていないんだろうか?この町をこんな風にしてしまった彼らは、子どものころ母親からこんな話を聞かされなかったんだろうか?「セリョージャ、ちゃんと電気を消しなさい。そうしないとこわいこわい警察官が来て連れていかれちゃうわよ」。もしかして彼らはあらゆる場所で電気をつけて回って、警察官を呼び出したんじゃないだろうか?怖い夢さえ見られないように。いったいどれくらいの、ヘルメットを被り手錠や武器や警棒を持った人間がいるんだろう?もし彼らが正しいことをしているのであれば、なぜ彼らはみな暗い顔をしているんだろう?僕らの前には光り輝く未来が待っているのに、なぜ彼らはかたくなに闇をまとっているんだろう?一体どこからこんなにたくさん出てくるんだろう?もしかして彼らは、歩道に停まっている黒いカーテンと柵のついた護送車の中でどんどん生まれてきてるんじゃないだろうか?シールド付きのヘルメットさえ被って。彼らは24時間絶え間なく護送車の中から飛び出してくる。まるでカエルの卵みたいにお互いの間をぎゅうぎゅうに詰めて鎖を作る。彼らは何がしたいんだろう?あの黒いヘルメットの中では何が起こっているんだろう?曇ったシールドの内側からはどんな世界が見えているんだろう?その中ではどんな声が響いているんだろう?

もしかして声はひとつだけだろうか?自分自身の声だけなんだろうか?僕はいったい誰だろう?あやしく見えるかな?それともまともに見えるだろうか?もしかして危ない状況なんじゃないか?それとも大丈夫かな?何か禁止されているものを持っていなかったかな?そもそも今のロシアで禁止されているものってなんだっけ?もし捕まったら抵抗するべきだろうか?殴られたらやりかえすべきだろうか?もし殴られるとすれば、どんな理由で?いったい何のため?それは誰のため?もし刑務所に入れられたら、僕は耐えられるだろうか?なんで外の有料トイレは60ルーブルもするんだろう?

たくさんの人が参加するだろうか?彼らはなんのために来るんだろうか?彼らはなにを思っているんだろうか?そもそも彼らは誰なんだろうか?なにを求めているんだろうか?自由?平等?真実?殴り合い?嫌悪?愛?幸せ?そもそもこれはなんなんだろう?どうやって手に入れることができるんだろう?そもそもそんなものこの世に存在しているんだろうか?それは永久に続くものなんだろうか?それとも一時的なものに過ぎないんだろうか。それは簡単に手に入るものなんだろうか?それとも戦いの末に手に入るものなんだろうか?僕らの国で永遠に続くものなんてあるんだろうか?なんで僕たちの国では良い人は消されてしまうんだろう?くずみたいなやつらがのさばっているのに。

まさか、すべてがこのまま崩れ去ってしまうんだろうか?またあの嫌悪と貧困と裏切りと殺し合いの悪夢が繰り返されるんだろうか?もしかしたらぼくたちは間に合うんじゃないか?あとどれだけ、叫ぶ群衆と、戦車と銃弾を見せつけられることになるんだろうか?なんで、なんでぼくたちはただ平穏に美しく生きることができないんだろうか?

ぼくたちは自分の頭で考えることができるだろうか?動いて、協力することができるだろうか?夢を見て、信じることができるだろうか?それともぼくらにできることは憎しみと軽蔑だけなんだろうか?もし恐怖と悪夢が広まるとすれば、何をすべきだろうか?その後は?どこに電話をして、どこに行けばいいだろうか?お金は残っていただろうか?そもそもいくら必要なんだろうか?なんでいつもこうなっちゃうんだろう?

そもそもこの国を心配してやる必要なんてあるんだろうか?国のために自分を犠牲にする価値なんてあるんだろうか?ここに留まって、全てを見届けて、それを理解しようとすることに意味なんてあるんだろうか?ここに立ち並ぶ荘厳な建物は、今は囚われの身になった人々の手で自ら作られたものではなかっただろうか?今、通りで彼らに対抗するものを産み出したのは、彼ら自身ではなかったか?もし彼らが正しいのであれば、どうやって間違いでもあり得るんだろうか?

このあと何が待っているんだろう?いつまで続くんだろう?あとどれだけ我慢すればいいんだろう?ぼくらが何をしたっていうんだ?彼らは答えてくれるんだろうか?僕たちは彼らと一緒に作り出したこの状況に責任をとれるんだろうか?すべてムダになって、僕たちは呪われて罰を受けるんだろうか?僕はなぜここにいるんだろう?すべての質問に対する答えは存在するんだろうか?

Да(ダー)もちろん。

記者:セルゲイ・マスタシコフ
引用:ノーヴァヤガゼータ

Зачем я здесь? Один ответ на тысячи вопросов о запрещенных митингах Сергей Мостовщиков /24 января 2021/ Новая газета
https://novayagazeta.ru/articles/2021/01/24/88859-zachem-ya-zdes

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