人類の家畜化と農業~その2~

「自分のという存在すらも増やされた人類の中の1人に過ぎない」

組織的かつ計画的な農業の発展と共に人類は支配者層の恣意によって増やされた。
前回の記事ではここまでを説明した。
今回は現代の話をしよう。

言うまでもなく人類は増えた。
世界に存在する中のほんの一生物でしかなかった人間たちが多くの動物たちを絶滅させ、根絶やしにし、生息地域や自然の資源を奪い尽くした。
人類による生物の絶滅は現代になって始まったことではなく、マンモスなどの大型哺乳類の多くが人類の「狩猟」によってこの世から姿を消した。
つまり、人類こそが究極・危険極まりない特定外来生物であるのだ。
その人類は種を根絶やしにするだけではなく、森を開梱し農地を開き、現代に到るまで常に農地を拡大してきた。
牛や鳥と言った家畜だけではなく、人類を安定的に増やし家畜化するためには農業が欠かせないからだ。
その過程で人類はより効率良く確実に作物を採取する為に農薬や化成肥料を開発し、果は遺伝子組換え作物までをも生み出した。
それと同時に人類は爆発的に増えた。

「人類のコントロールに成功した支配者たち」

かつては宗教と恐怖を武器に人類を支配していた支配者たちは資本主義というより効率的に人類を動かす新たなコントローラーを手に入れた。

「働かなれければ生きていけませんよ」
「労働者にならないと社会から差別されますよ」
「働いて税金を納めるのは国民の義務ですよ」

そうやって労働を義務化すると同時に自然界に存在するありとあらゆるものに所有権を与え、その所有者以外のものはそれを取ってはいけないというルールを人類に課した。
一部の持つ者と持たざる者に分けられる。
こうなると殆どの人類は地球に存在する自然資源を使えなくなる。魚や貝を捕るにしても漁業権が発生したり、森林から木を伐採してエネルギーにしようにも森の所有権が必要になる。
住むにも土地が必要になり、何もかもが権利によって支配される世界になった。かつてのインディアン達には土地を所有するという概念が無かった。
その土地は誰のものでもない。彼らはそういった概念を持っていた。
そこに入植してきた白人たちは違った。
その土地を自分たちの「モノ」にしたがった。
そしてインディアンたちを殺戮した。
そうやって自然の中で自然に暮らす人達は支配者層の人間たちによってどんどんと駆逐されていき、今の支配管理世界が出来上がった。

「野蛮な民族によって支配される人類」

支配欲が強い人類を俺は「幼稚な人類」と呼んでいる。
人のものを自分のものにしたいと言う欲求はいうまでもなく幼児性欲求だ。
人よりも勝っていたい、という競争心もまた幼児的欲求または低次の欲求だと思っている。
特に欧米を始めとした白人はこのきらいが強い。
体は大きいがスポーツ等の争い事が好きで侵略を目的とした他国への侵入や介入などやっている事が非常に幼児じみている。(特にイギリス)
彼らは「自分たちの利益の為なら他の地域を占領支配しても良い」という概念をどうやら持っているらしい。
彼らのような人類が生息域を増やして行った結果、植民地や奴隷と言った支配文化が誕生したのだ。
それはアメリカという大国に変わって今も続いている。
世界のリーダーと冠して、世界のあらゆることに首を突っ込んでは支配を目論んでいる。

「人類の行く末」

白人を中心としたこの支配社会がどこまで拡大していくのかはわからない。
どこかで限界を迎えるのか、それとも戦争や今回のワクチンのような形で適宜、人類を間引きしてコントロールするのか、それはわからない。
しかし、彼らからするとこれ以上の人類は必要ないらしい。
技術が発展して人が居なくてもできることが増えたからだ。
AI・人工知能の開発も「人類よりもコントロールが容易でより従順な奴隷」を生み出すための技術と言っても過言ではない。
(人類は増える過ぎるとコントロールできなくなることを彼らは知っている)
これからの人間社会は人間の手による支配ではなく機械やAIを介した支配社会に突入すると俺は予測している。
先に話した農業が機械化されることはもちろん、カメラによる監視、スマホのGPS追跡、個人データ(マイナンバー等)を用いて管理する時代がやってくる。
(俺が向こう側の人間なら暴動や氾濫が起きそうな情報をネット上のデータから広い集めて分析するAIを開発して、暴動が起きる前に何らかの手を打つ)
ホーキンス博士も人口知能の危険性を指摘していた。
人間の知能をAIが超える可能性がある。
確かにその可能性は十分にあり得る。
しかし、その時に起こるのは人類による人類の支配ではなく、機械による人類の支配かもしれない。
そうやって人類による人類の支配は終焉を迎えるのかもしれない。
10年近く前にアニマトリックスを観たとき、妙なリアリティを感じたのを未だに覚えている。

※全体を通して鬱っぽいアニメなので閲覧注意

テレビやメディアが我々に対してしきりに

「人口が何十億人を突破した」
「食糧難に陥る」
「人口が増えて使うエネルギー量が増えたから温暖化した」

と報道するのも我々の潜在意識に
「人類はこれ以上増やしてはいけないし減らさなければならない」
ということを密かに刷り込んでいるようにも思える。
今回、世界規模で計画的に実行されたコロナ騒動(プランデミック)は今まさに人口削減のフェーズに差し掛かっているのだな、と強く感じた。

「どう生きるか」

今回、この記事で書いた人類による人類支配なんて話は単なる俺の妄想かもしれない。どう思うのか、は読み手次第で良いと思っている。
解釈なんてものは人の数だけ存在する。
ただ、支配が存在することを俺は事実だと思っている。
そして俺という存在もまた支配者たちに増やされた人類の中のたかだか1人に過ぎない、と思ってる。
この結論に至ってからは人生に執着するのをやめた。
所詮は俺も労働力として増やされた人類の1人でしかない。
その人生において競争心を煽られてしゃかりきになって、躍起になって生きてもそれは支配者たちの思うツボな訳だ。
(社会から独立的な立場を取れる自己実現者に至る科学的な方法や道筋も別で研究しているが一般大衆が言う社会性からはかなり逸脱している。
社会の言うしきたりや慣習、習慣、常識なんてもののおおよそ殆どが自己実現の役には立たない事がわかった。)
だから俺はこの理解に至ってからは必死になるのをやめた。
必要以上に必死になって働くのも馬鹿げている事に気がついた。
社会がチラつかせてくる欲望のニンジンを追いかけるのもやめた。
自己実現に至る為の行動は欠かさず行いはするものの、それも社会からより独立した存在であるが為の行動であり、社会的な地位や名誉を得るための行動では決してない。
あくまでも生存本能と自己実現的人間であることを目的とした行動であり、人格や人間性を損なってまで欲望の具現化にひた走る一般社会的な行動とは異なる。
恐怖や社会的な脅しに負けて奴隷のような労働者になるつもりもない。
もちろん共依存社会を実現するために社会的活動はする。
しかし、それは互いに得意な分野を活かして助け合い、より効率的で確実な生き方を実現するための活動であり、それで何かを成し遂げてやろうとかそういうきらいは一切無いし、必死になって働くこともない。

「人類の発展」なんてものにも興味がなくなった。
今あるもので十分過ぎる。
これ以上、他の生物の生息環境を破壊してまで何かを得たり、便利を追求する必要なんて1mmも無い。
欲望のままに働いて、労働を搾取されるのもゴメンだ。
それなら必要最低限で搾取されずに生きるほうがよっぽど人間で居られる。

「悟りの境地」

もしかしたらブッダも
「人類支配と意図的繁殖」
に気がついた一人なのかもしれない。
彼は王族の生まれで特権支配階級だった。
生まれたときから何不自由なく生活をしていた。
しかしその彼が人生に対して疑問を抱き、王族の座を降りて出家し、悟りに至る過程で

「人生は苦である」

という結論に至ったのも

「人生は結局のところ支配されているのだから生きる事は苦しみである」

と考えたからだと考察しても何らおかしくはない。
だからこそ人間社会からは距離をおくために出家するのだ、と。

そして

「輪廻転生を経てまたこんな支配世界に戻ってくるのなんてのはもうゴメンだ」

そう考えたからもう輪廻転生はしない、と宣言したのかもしれない。
もちろん推測の域は脱しない。

だが俺自身がこの人生を介して悟ったのは

「人という生き物の人生は考え方から身分、階級、その他もろもろすべてが支配されているからこそ苦しみなのだ」

(考え方が支配されている、というのは社会や民族によって意図的に植え付けられた固定的な観念や価値感こそがすべてだと思い込んでる人たちの考え方を指す)

ということ。
それがもしかしたらブッダの悟りとも交差しているかも知れない。

「結びに」

人類による人類の支配、そして生き方についてまで一気に語ったが、読み手にはどうかこの俺自身の考えにも支配されないでほしいと願う。
これはあくまでも俺個人の解釈であり、事実でも真実でもなんでもない。
だから気に食わなければ忘れてもらって構わないし、別の考え方があるなら俺に反論するのではなくその考えを別の形でまとめて社会に発信して欲しい。いちいち争う必要は無い。それもまた彼らの思うツボだから。

ただ、最後に言いたい。
生きることに執着するな。
自分というものに執着をするな。
所詮は自分も何十億分の1でしかない。
どんなに優れていたとしても所詮は人間。
多少、人より何かが優れていたとしても人より劣るところなんていくらでもある。どんなに煽てられて囃し立てられもその事を忘れなければ一生付け上がることもなく、また人からの評価も気にしなくなる。
人生の苦しみから逃れる方法はただ一つ。
生きることに執着をしない。
これに尽きる。

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