マガジン

  • 日記

    2023年8月1日からの日記。毎週火曜日投稿

  • エッセイ

  • 感想・考察

    映画や小説、音楽などについての感想や考察

  • ポートフォリオ

最近の記事

Forgetful Angel

 傷付くことによって生きていると感じる。正しく傷付きたい。  大学の単位も、取り損ねた免許も、趣味に対する熱も、将来も、流れてくる光や音も、成長も、怠惰も、全てが透明になって自分をすり抜けていく。自分から放り投げるのではない。難しいことは考えられない。  そういうものをいったん全部捨てて、バスの一番後ろの五人乗りの席の端で、見たことない景色を眺めながら、でも、何か考えてしまうだろう。知らない終点。知らない道路。知らない砂。知らない海。知らない空。知らないものに囲まれている

    • わたしにとってのくるり

       京都音楽博覧会2023。初めてのライブ。フェス。10月8日の京都は元気な雨予報で、さーっと雨が降っていた。くるりはトリ。2曲目の『ワールズエンド・スーパーノヴァ』で、くるりに出会ってから今までのことが走馬灯のように駆け巡り、気付いたら涙を流していた。  私の家族は音楽や美術に明るくなくて、音楽を音楽として認識したのは中学生になってから。中学生の頃のマイブームといえば逆張りで、風情もへったくれもない捻くれを露呈しては得意げになっていた。だから流行りのものには触れない。見向き

      • 忙しくない

         日記を途絶えさせている。自分の日記は自分しか書かないので、完全に私の所為ということだ。しかしおかげで充実な夏休みを過ごすことができた。地獄の7時間監禁和歌山旅や琵琶湖汚水伝説など、特に9月後半はアクティヴであったため、目的は達成されたと言ってよい。また春休みにでも。  さて、大学が始まってからというもの、私はさらなる忙しなさに追われている気がする。バイトを始め、大学祭のデザイン関係のボランティア(お金は発生しないので、図々しくもこう呼んでいる)も任されている。他にもレゴの

        • 八月のすべて

           只の休暇の終わりではない、もう一つの夏の終わり。記憶の短冊の一番端は、陽炎が見せるような落ち着きの無さで靡く。真夏のピークの知らせ。日が昇り、傾き、勿体ぶるように沈む。時間が惜しい。空の水筒が捉えて離さない図々しい季節。延びるシャッター。  夏は暑いのが嫌だ。いくら何でも暑い。皆一旦蒸気になって、こりゃ参ったねとクーラーで人の形に戻る。先のことは考えない。どうかあの日の私達はこちらに背を向けたままで。  アスファルトに照り返す友情恋模様多々あれば、粗大ごみと等号結ぶ怠惰

        Forgetful Angel

        マガジン

        • 日記
          1本
        • エッセイ
          16本
        • 感想・考察
          5本
        • ポートフォリオ
          8本

        記事

          日記を書いてみよう

           折角の夏休みを水泡に帰してしまう自負がある。我盆に帰り覆水盆に返らず、とならないように早急盤石な対策が肝要だ。したがって日記を書くことにした。面倒臭く言い換えると、男がすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり、といふやふなものを私もしてみむとてするなり、ということである。  しかし私の人生は元来、ただ道を歩いているだけで奇妙な出来事に出くわすようにはできていない。これでは炎天下にて至極つまらない駄文を無闇に大量生産ならびに脳や筋肉を動かすために必要なエネルギーを大量

          日記を書いてみよう

          『君たちはどう生きるか』

           当日中にさっと書き上げるつもりだったが思いの外時間が経ってしまった。思考を推敲するのは有益だが際限なくやると埒が明かないので、クオリティも程々に投稿することにした。  熱心なジブリファンでもないのに態々眠い目を擦りながら映画館に向かったのにはいろいろと理由がある。広告が殆どないというのは前代未聞だし、巨匠宮崎駿の(おそらく)最後の作品でもあるからだ。アニメーションはとても手間がかかる。大きなスクリーンに耐えうる長編ならばなおさらだ。前作『風立ちぬ』でカプローニは二郎に「創

          『君たちはどう生きるか』

          『まーごめ180キロ』

           7月6日。言わずと知れたサラダ記念日だが、振り返ってみると、私個人にとってはとてつもなくまーごめな一日だった。  「まーごめをご存じか?」煮えたぎる熱量を持ったインド映画の大作『RRR』の名セリフだ。私も例に漏れず映画館で鑑賞した。後半の肩車脱走シークエンスが一番好きだ。あの絵面はそうそう見られるものではない。  私の2023年7月6日は大寝坊をかましてエスキスを飛ばしてしまった失態から幕を開ける。夜な夜な案を練ったのに勿体ないが、いくら後悔をしても時間は遡らない。そこ

          『まーごめ180キロ』

          レゴブロックで作るあひる

           前回は手のひらサイズの蛙について記事を書いた。まるまると肥えた蛙のパーツそのものの形を活かした造形とは裏腹に、今回は言わば積分的な組み方をした作品についてごく適当に紹介していく。  一人暮らしの一年目は毎日きちんと湯船にお湯を貯めて銭湯ごっこをしていたのだが、だんだんと生活も適当になって、最近はシャワーで済ませている。節水大国オーストラリアの血が騒ぐ。グダイマイ。  湯船にラバー製のあひるを浮かべるのは、お風呂が嫌いな子供のため。言われてみれば確かに浴槽で良い思い出はあ

          レゴブロックで作るあひる

          レゴブロックで作る蛙

           年に一度のレゴブロックの祭典「Japan Brickfest」が終わって一息。家に籠っていてはまず浴びることのない大量のABS樹脂を摂取したことで、結構疲れてしまった。私は大きい作品をどんと構えるよりワンアイデアの小品を連投する星新一スタイルなので、何でもありの場だとどうしても迫力に欠けるところがある。来年は大物を引っ提げ鳴り物入りで会場に乗り込みたい。  最近は梅雨のせいか、自棄に夜更かしをしていて良くない。ぼーっとしていると窓の隙間から蛙の鳴き声が聞こえてくる。蛙。小

          レゴブロックで作る蛙

          窓は開けておくんだよ

           夜、何もやることがないまま、けれども寝る気にもなれなくて、放心状態でネットサーフィンをしていたら日が昇っていた、ということが往々にしてある。ネットサーフィンという言葉は最早死語だが、危険を顧みず夜な夜な波に乗るサーファーが持つ精神的な危うさというか、浮遊感というか、フィッシュマンズの音楽のような、退廃的かつ透明なニュアンスを持つ言葉を纏っているのは案外理に適っているのではないか。実際は夜中に背を丸めてパソコンで検索をしているだけで、なんだか仰々しい気もするが、心の内に抱える

          窓は開けておくんだよ

          押入れ

           娘が死んだ。下宿先で一人首を吊ったそうだ。月に一回の電話で、大学に行きたくないと度々言っていたので、それが原因だろう。私は都度頑張れと励ましたが、止めることはできなかった。  首吊りは数ある自殺方法の中でも手軽で楽で、成功率も高いらしい。いざ吊るや否や意識が遠のき、窒息による苦しみを感じないまま死に至るという。遺体は五体満足で、綺麗な顔をしていた。高校時代のアルバムには娘の写真が多く、彼氏も絶えなかった。綺麗な顔立ちと愛想の良さはあの人の血のおかげだ。久しぶりに彼に会いた

          押入れ

          辞書に書いてある

           チェーン店という言葉があります。この言葉は室町時代後期、日本のプライドのある寿司職人達が、安価で質の悪い寿司を提供している回転寿司店を「あんなチェーンに乗った食物」と揶揄したことから生まれました。応仁の乱の発端とも言われています。有名な話ですね。今では中華料理屋やレストラン、市役所など、全国展開をしている様々な飲食店に対して使われる言葉ですが、昔にあったようなネガティブな意味合いは無くなってきているように思います。私も週に一度某イタリアンチェーン店にお世話になっており、間違

          辞書に書いてある

          レコード

           自分しか知らないような良いアルバムを見つけて、うきうきしながら調べると、世間では名盤として既に有名らしくがっかり、という経験がある。がっかりは少し言いすぎだけれど、自分だけが知っているという特別感は消えてしまって、少し空しい。  ふと思った。音楽は無形なのに何故「盤」と言うのだろう。調べてみると、その昔、音楽は「レコード」というものに録音されていたらしい。音を振動に変換し、振動を刻んで記録する。針を溝に沿わせてレコードをぐるぐると回せば、録音されている曲が再生されるという

          レコード

          行列のできる店に行ってみた!

           近所に新しい店ができていた。一切の評判は聞かないが、四六時中行列ができている。飲食店だろうか。妻子も仕事もなく暇なので、好奇心に身を任せて並んでみることにした。

          行列のできる店に行ってみた!

          二回生になった

           タイトルの通り二回生になったは良いものの、身も心も一回生の時と変わりはなく、寧ろ荒んでいるように感じる。底なし沼の中を滑空している気分である。脳みその中がドロドロとしていて釈然としない。臼のように重い荷物を背負って京都の家に帰ってきたばかりだからであろう。近所のTSUTAYAが砂場になっていた。  私は長期の休みの度に地元岡山に帰省している。帰省先から京都に帰る時は十中八九新幹線だ。だいたい一時間で京都駅に到着する。文明の利器は素晴らしい。素晴らしいのはその利便性ではなく

          二回生になった

          『Everything Everywhere All At Once』

           2023年3月13日、私が住んでいる京都から野を越え山越え海を越え、遥か遠くのアメリカロサンゼルスでは第95回アカデミー賞授賞式が行われていた。そのことをすっかり忘れていた私は呑気に早起きして、借りすぎた映画の消化について考えていた。近くのレンタルビデオ屋は旧作を2週間100円で借りることができるので大いに重宝しているのだが、その手軽さゆえに毎回手提げ袋いっぱいに借りてしまう。鑑賞時間を工面できず結局一秒も観ずに返却してしまうことなどざらだ。これでは映画馬鹿ではなくただの馬

          『Everything Everywhere All At Once』