わたしにとってのくるり

 京都音楽博覧会2023。初めてのライブ。フェス。10月8日の京都は元気な雨予報で、さーっと雨が降っていた。くるりはトリ。2曲目の『ワールズエンド・スーパーノヴァ』で、くるりに出会ってから今までのことが走馬灯のように駆け巡り、気付いたら涙を流していた。

 私の家族は音楽や美術に明るくなくて、音楽を音楽として認識したのは中学生になってから。中学生の頃のマイブームといえば逆張りで、風情もへったくれもない捻くれを露呈しては得意げになっていた。だから流行りのものには触れない。見向きもしない。そんな学生生活。つまらない典型的なただの拗らせ野郎だ。

 私の通っていた学校は中高一貫校だったので、同級生の顔触れは全く変わらない。学年全体を取り巻く奇妙なノリも、それ故に先生に迷惑をかける所も変わらない。この頃の私には初恋があった。その人から薦められたのがくるりというわけだ。しかし私は数曲聴いた後に「うーん」と難色を示してしまう。大うつけ。

 高校を卒業し、私は浪人することになった。一年は長いようで短いようで、でもやっぱり長い。生き地獄。たかだか大学受験のために、一年間こんなに辛い思いをしなければならないのか。苦しい現実から逃避するために音楽を聴いた。この世にはまだ知らない音楽がたくさんあることに気付いたのも、音楽理論なるものを知ったのもこの時期。そんな中、再びくるりに出会った。午後の模試を抜け出して口ずさんだ『ワンダーフォーゲル』、蒸し暑い夜の星空に輝く『ワールズエンド・スーパーノヴァ』、二次試験の実技中に頭の中で流れた『ばらの花』。

 大学に受かった。エディオンの駐輪場で倒れている自転車を起こしたのが良かったのかもしれない。『京都の大学生』。今でもたまに、京都に住んでいることを忘れ息苦しくなるくらい、私は京都に馴染んでいない。地下鉄はいつまで経っても高いし、どこの路地に入ればいいか分からない。

ロゴデザインの課題でくるりのロゴを作った。

 曲を聴いていた期間は決して長くはない。しかし私は、私なりの激動の思春期を大好きな曲と共に歩めたことを宝物のように思う。移りゆくもの。手のひらで掬っては零れていく世界。社会。人間。その手に残った数滴の小宇宙のおかげで、私は私でいられる気がする。どうもありがとう。これからもよろしく。

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