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多様性とよく言うけれど…

この曲は 
世界中の多くの人が知っていると思う。
平和を謳っていると思っていたが
今 このタイミングで聴いてみると
これは 単なる平和🕊を
願う歌ではないなと感じた。

ジョンレノンは なぜ 
死ぬことになったのか…

もう一度 よく見て聴いてみて。

最近 マイノリティなどなどの
多様性と声を大きく挙げられている。
しかし 時々 
違和感を感じることないですか?

わたしはあります。
差別という言葉をおそれ 
正義という言葉に邁進する人々
そして トイレなどが共同になってきて
違和感に氣づきだす。
しかし 声をあげることすら
しづらい世の中。

性別とか人種、肌の色とか言葉とか 
そういう事からの解放される事こそが
究極いうとこの体からの解放が
多様性みたいに なっていってないか…

そんな事を思いながら 
この曲をあらためて聴いた時に 
これは平和の歌でもあるけど
もっともっと 本質的な深いところを
伝えていると感じた。

私たちが目指すところを 歌詞にしてる。

『ワンネス』 『ゼロポイント』とかって 
よく聞くようになったけど

イマジンは そこへ戻るための歌ね

性別とかそういうことの解放ではないのよ。
ひとりひとりの価値を認め合えた
先にあるのが  

多様性でワンネス

そこに目覚められると困るものが
いるのかもしれない。
だから ジョンレノンの悲しい事件は起きた

潜在意識 に目覚めるというのも
同じことを思う。

目覚めるべきは
潜在意識のその先にある 

集合的無意識 

皆が共通して持ってる 意識世界が
確かにある。
それは 今現在も私たちは使っているのよね。

しかし 

良いとか悪いとかの二元論的なものに
支配されているから ややこしくなる。

男であっても 女であっても
美しさや優しさを感じる心は 同じはず

コレは生命の全てがつながり合うところの
意識であるのではないかな。

それを伝えている 
曲に感じたのはわたしだけだろうか?

ワンネスや統合とか
特別のことではない…
もうすでに持っていることを思い出す。
それを伝えている。

ファッションを題材にわたしもよく話す。

誰かが決めた
ファッションルールやトレンドの中で
生きるのではなく
自分がもつ 光を輝かすファッションを

『何歳からは着てはいけないトップス』とか

そんなものは ハッキリ言ってない。

同じ人などいないからね。

顔の大きい小さいも ハッキリ言うとない

あるのなら 縦横何センチからが それに該当するのか教えてほしい。

比較をするから そのように感じる。
精神性や生き方の話でも 
人と比較しないと 
よく言われるようになった。

コレ そんなものがあると思い込んでいるから
起きている現象なのではないかな。

国が変われば
お尻は大きければ大きいほど
愛される人種もいたり
首がとにかく長い方が 美しいと
驚くほど長くする民族もいたり

多種多様

それをひとつの物差し📏で測らない。
人間がつくった 世界に閉じ込められない。

それを歌ってると感じた。

人間が作ったシステムの崩壊が
始まってるのも そこへ向かうためなのかな。

わたしたちが 望む世界って
ほぼほぼ 同じなのではないかな。
そこを目指すのが ワンネスであり
生命に共通してあった 意識。
そして
これから わたしたちが創る世界。

YUKIKO

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